「行動を起こすことが社会を変える。」パブリック 図書館の奇跡 ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
行動を起こすことが社会を変える。
The Public というアメリカ映画
The Way以来久しぶりのエミリオ エステベス監督の映画
このThe Publicも公共の図書館を使う立場又は提供する立場でどこまで個人の権利が反映されるか。
これはこれからもっと多くの課題になるだろう。
スチュアート(エミリオ)はホームレス経験者で本に救われたといってるが図書館で読んでいた本が教養や人格を高めそれに救われ職にもありつけたという意味だと思う。それに、人の気持ちをわかってあげられる上司になり、リーダーにもなった。図書館という場所は、人を救ったり、人に救われたりする。
私の学校に『高速対容量通信ネットワーク』のネットワークマネージャーというか、中心人物がいた。彼はホームレスだったので、高校を卒業していなかった。ホームレス中彼は図書館に通い、コンピューターのことを図書館にきていた高齢者におそわったらしい。この高齢者は自分のコンピューターの知識を伝授し、ネットワークマネージャー、私の友達は、高校卒業の資格をホームレスをしながら取った。その後、どう経歴を経たか、私は忘れてしまったが、大学は行っていないのは知っている。それで、当校でネットワークマネージャーのポジションを取った。図書館には勉強部屋というグループで勉強できる部屋や会議室があって無料で借りられる。多分、そういうところで彼は高齢者におそわったに違いないが、日本の図書館では良く高齢者は図書館で帽子を深くかぶって昼寝をしていたり、一人で黙々と新聞を読んでいたりする。あくまで私の経験だが。
この映画の中であるホームレスの人は図書館で全裸で歌を唄い出す。
ちょっとと思うような人もいるが私の経験上全員といっていいほど椅子に座り新聞や雑誌を読んだりコンピュータに向かって映画を見たり新聞を読んだり音楽を聴いたりし読み物を読んでいる。大声で話したり怒鳴ったりしている人は稀である。ホームレスの多くは、大荷物を持って図書館の椅子に座って、何かをしている。そして、開館時間にいくと、映画の通りにホームレスの人は入り口で待っている。冬は待たせて申し訳ないという気持ちになる。
ある図書館のミッションは『Our library is for everyone. We are a free resource helping our community connect, create, and learn.』
スチュアートともう一人の職員が追い出したホームレスは体臭が強くほかの客の不平でやむ得なかったようだ。これが公共機関における個人の権利で訴訟問題に発展し図書館は訴えられることになる。
個人的な話だが、私は図書館で誰かが小便を漏らしてある椅子に座っていたことがある。何か臭うなと思った時はもう遅く、慌ててうちに戻って、服を着替えた。この人は小便を漏らしていることに気づかず図書館の椅子に座ったのかもしれない。
米国オハイオ州のシンシナティでホームレスのシェルターが不足している。冬の寒空は路上生活にとって厳しく 宿泊施設を増やしてほしいというの声を市や州政府に向けて発したことが素晴らしい。
一般論だがホームレスだけの声だけでは弱いがホームレスと結局は公共の図書館である市の職員室が立ち上がったことになるので力になった。問題があればそのままにしておかず大声あげて動けというのがエミリオのポイントの一つで各大都市のホームレスシェルターについても問題点直視を促している。
個人的に 図書館は私にとって憩いの場である。それに、例えばユタ州のソルトレイク市などを訪問すると必ずといっていいほど、市立図書館に行ってみる。それが建築物が目的だったり、行事だったり、数多くの楽しみ方があるから好きだ。特に『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』映画を見てからは図書館での多目的な多様性のとんでいる行事とサーキュレーションの機械が人々が返した本をどう分配していくかに興味があった。そして、すぐ申し込んでボランティアで働き出した。実は私は教員なので、それほど時間がなく長くボランティアはできないが、このポジションが取れた時は天にも登る心地だった。コロナ感染で図書館が閉館する前までは、子供セクションで本を種類別に分けたり、古本のセールを手伝ったり、特別行事を手伝ったりしていた。憧れの、サーキュレーションの舞台裏の本を配分する機械も見せてもらった。それに、朝早く誰も図書館利用者がきていない時間に職員の入り口から、利用者の入り口の広場に入るとき説明できないほどの幸せを味わった。