「原作の良さを丁寧に一個ずつ全部つぶしている…」さんかく窓の外側は夜 romiさんの映画レビュー(感想・評価)
原作の良さを丁寧に一個ずつ全部つぶしている…
【酷評ですので、この映画を好きな方は読まないでください。原作ファン同志向けに書いた映画レビューです】
この映画の制作陣は、原作マンガを全く好きじゃないんだろうなとしみじみ思った。あのマンガが好きならこんな映画にならないはずだし、この映画を作るセンスの人はあのマンガを好きにならないと思う。
もちろん原作を読み込んでいるのは分かるんだが、設定や内容を把握するために読んだだけで、あの良さを味わって読んだわけじゃないんだろう。
ヤマシタトモコさんの漫画は、シリアスな中でも決して沈みすぎない、軽妙洒脱なおかしみが常にあって、それが一番の魅力なのに、その軽やかさやドライさが全く映画にはない。ただベタベタどろどろと暗い映画になっている。
まず、キャラクターが全員、原作とは変えられている。持ち味が全部なくなっている。
すごく怖がりだけど、社交的で明るく『にぎやか』で冷川さんの暴挙も軽やかに受け流すしなやかな強さがある三角くんが、怖い思いしてぼろぼろ泣いちゃうただただ気弱で内気な人に。
常識に乏しく善悪や倫理がバグっているけど、あっけらかんと天然でにこやかな表情したり可愛げもある冷川さんは、無表情かニヒルな笑みを浮かべるだけのただただ不気味なサイコパスに。
やってることはえげつないんだけど、少女らしい小生意気さや臆病さや繊細さも持ち合わせた可愛らしさのあるエリカちゃんは、無表情で不気味な暗い怖い少女に。
あと、三角母!彼女うんぬんのセリフ、許せんかった。ステレオタイプの母親としてはよくあるセリフなんだろうが、三角母は絶対に息子に「彼女できないぞ〜」なんて軽薄で低俗なことを言う母じゃないんだよ。絶対に絶対にないんだよ。あのセリフが出てきた時点で、「あーこりゃだめなタイプの実写化だ」と悟った。
ここまで全部、原作キャラの良さを消せるとは、もはや意図的としか。
原作の印象的な食材(=エピソードやセリフ)を適宜ピックアップして、全然違うスパイスで味付けしてるという印象。そりゃ違う料理になりますわ。
原作はブロマンスとBLの境界くらいの塩梅で、それがまた良さなんですけど、
映画は岡田将生と志尊淳のBLを観たい人や、感動ストーリー好き向けに作ったんでしょう。
一番許せない改変は、「冷川少年は事件のショックで記憶を失った」というところ。そこだけはだめでしょう…
「壮絶な経験をして凄惨な事件を起こして、それを全部『忘れたことはない』のに、全て覚えたまま、普通にあっけらかんと生きている」のが、冷川さんの一番の危うさ、アンバランスで、それこそが彼の救われるべき点と深くつながっているのに。
冷川さんの少年時代も、マンガでの無邪気な狂気の怖さが、映画では全くない。まあそれを子役にもとめるのは酷だけど、演出や演技指導で出せるはずのものなので、脚本と演出があの空気感を消すつもりでやってるのだろうと思う。
とりあえず、この映画を観てつまらんと思った方には、ぜひ原作を読んでほしい。逆にこの映画が面白かった方はたぶん原作はハマらないと思うので、読まなくていいと思う。
もちろんどんな作品を好むかはそれぞれなので、こういう映画が好きな方は全然それでいいのです。好みの問題です。
つまり、原作マンガと本映画では、正反対の嗜好の層に向けて作られているということです。
世の中には色んな人がいて、だから色んな映画が作られて、それはいいんです、それでいいんです。
でも、原作の良さを変えてまで、違う層向けの映画作る必要あるか?って話なんです。Aタイプ好きな人にはAタイプの原作を使えばいいのに、なぜA映画を作るのにBタイプの原作を利用した?と言いたいんです。
とにかく、自分の苦手なタイプのベタベタした演出(※好みの問題です)ばかりで、ゾワゾワ鳥肌が立った。
あー、最後まで見るのつらかった…
あの名作漫画を原作にして、ここまでベタ陳腐(※好みの以下略)な映画が作れるものなんですね。
映画終わってすぐに原作を読み返して心と頭を浄化しました。
やっぱり好きな作品の実写化は見るものじゃありませんね…