三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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言葉が大切に使われた最後の時代 追記(2020年4月17日)
追記:映画館も閉まっているので、2015年に放送されたNHKの番組「三島由紀夫」を見ました。時系列に、そして関わりのあった人々ー美輪明宏、ドナルド・キーン、横尾忠則、高橋睦郎などー(映画にも出ていた芥さん、木村さんも)へのインタビュー、並行して、編集者から見た三島の作品の変化の話も面白く、色々と考えさせられました。映画は、三島と全共闘の学生との出会いと話に重点が、NHKの方は三島そのものにポイントが置かれています。空間(解放区)のみに意義を認めた全共闘、時間と継続に意味を持たせたかった三島の間の違いは、あまりに大きいと思った。
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反知性主義という言葉が50年前に発せられたことが一番衝撃的だった。三島の言ってる意味と、今の反知性主義(首相や国会議員見ればわかりますよね)は意味が異なるが、三島が生きていたら、何と言うだろうか。
三島の、鍛えた肉体を意識した姿に嫌だなと思いながら、彼の闊達で丁寧な物言い、笑い、目、言葉、そして学生の発言を最後まで聞く礼儀正しさに魅入られてしまったではないか!スーパースターだったことが、よくわかった。映像の力はすごい。
学生の言葉は認識で、結局、行動に降りてこなかった。だから私は日本の68年世代(全共闘世代、団塊の世代)が、好きではありません。大学の学費を無料にする教育改革もせず、alternativeなライフスタイルに行くこともなく、環境保護に意識を向けて緑の党のような政党を作る方向にも行かず…。大学卒業して社会人になって、何してたの?
三島由紀夫という、天才の大人の掌の上で楽しく遊ばせてもらった全共闘の人達。よかったね。ちょっとヤキモチ。だけど、あの時代に男が、まして女が大学に行けたって、すごいことなんだよ。そういうこと言った瞬間に、口を閉ざしてしまう世代だと思います。
団塊の世代前
10代の頃読み漁って現在あまり覚えていない中年です。そんな私の中にも綺麗な文章という記憶とその頃流行っていた限りなく透明に近い…、とはえらい違いだなと思った記憶の三島由紀夫。
真摯に紳士な当時の三島由紀夫さんが東大の教養学部で登壇します。周りの中高年たちと少しずつ席を離して観て参りました。
子供時分には陳腐に捉えていた盾の会の軍服が今日はかっこよく感じました。内田樹さん好きで読んでいましたが、かっこいい。でっくんの映画のなかでのいい意味の存在感のなさがよかったですよ。
三島劇場
三島の声や笑い顔をこんなに長時間観たのは貴重かと。
討論バトルは、勝たなくても負けなかった三島の場となる、まさに三島劇場。罵声や暴力沙汰も無く、常に敬意を持った言葉の応酬。クールで粋で時に場を緩める三島に感心した。なかなかカッコいい。すなわち三島劇場。
良い映画だが、飛び抜けた良作とは言えない。
テレビサイズで十分。独占フィルムったって、こういうのをテレビで放映する事がテレビ復活の鍵となるのだよ、TBS。
芥氏の当時から現在に至るまでの、変わらぬ偏屈さがエグい。
「言葉が力を持っていた最後の時代」
全共闘の名を知ったのは「ぼくらの七日間戦争」を読んだときだったと思う。あれは中学生が学校に反旗を翻す物語だが、主人公らの親が「全共闘世代」といい設定である。子どもらはそれをスマートに模倣してみせるわけだ。
「ぼくらの七日間戦争」が1985年刊。その時点で「全共闘」は遠くなりつつあるものだったのだ。
さて、この映画で映し出されるのは、安田講堂陥落後、1969年5月13日に開催された、東大全共闘と三島由紀夫の討論映像である。
碌に知性を育んでこなかった者にとっては難解極まりない議論である(反知性主義の意味を考えさせられる)。芥正彦は若者特有の詭弁から抜け出せてないように見えるのはわたしだけだっただろうか。しかし73歳の彼も一貫していたので、「彼」は自身を曲げなかったのだという、なぜかしらの安堵感があった。
討論は激昂することなく展開され、お互いの共通項も見出されつつ、それでいて徹底的に空転しているようにも見える。
「世代の差」はやはり大きく、再三指摘されるとおり、三島由紀夫は「生き残ってしまった世代」であり、「天皇」に対するアンビバレントな感情を隠さない。対して東大全共闘の思想、そこには「闘う」という意思を持ち行動しつつも、それがどこへもいけなくなっているものを感じる。闘争の疲弊は必然だったようにも思う。学生運動、新左翼が先鋭化するのはある意味帰結点だったような。
とはいえ。そこで言葉を放つことが重要なのだ。「媒体として言葉が力を持っていた時代の最後」と芥は語るが、認めざるを得ない。今、この世の中でこんなに言葉は力を持つだろうか?
しかし、この1年半後に三島は自決するのである。もう既に片鱗を感じてしまう。「熱情に期待する」三島の姿に。具象として何に対して熱情しているかは別にして、三島も全共闘も熱情していたのは確かだ。
ちなみに私の母校(高校)は学生運動の煽りで制服と校則がなくなったので、決して学生運動は失われた遠い時代のものだけではないことは書いておこうと思う。
若者に見てほしい
中学生を連れて行きました。内容を理解しているかは怪しかったですが、食い入るように観ており、何か大切なものをつかんだ様に見えました。青少年が観ても、決して有害なものではありません。日本で暮らす外国人も、本当に日本に興味を持ってくれるなら、できれば見てほしいかな。
分かりやすくて非常に面白かった
半ば学びのつもりで─、と思っていたけれど、実際にはかなり楽しんだ印象。何よりも、三島由紀夫という人物がやはり魅力的であった。
物心ついたときから今までも、右翼とか左翼などの概念がよく理解できなくて、とかく日本におけるその境界が何なのか全くわからないでいるのだけれど、時とともにそれが何なのか少しずつわかってきて、この作品もそれを理解する上で非常に有効のように思えた。
その時代を生きなければ本当に知り得ない概念も、丁寧に語られているこのドキュメンタリーなら、かなり理解できるはず。
ただ、どんなに色々と見聞きしても理解できないのは三島由紀夫が最後に起こした行動。その知性を知ろうとしても無理なのはわかっているけれど、何故に腹切りをしたのか理解できない。あの流暢で魅惑的な弁舌を見ると余計に謎が謎を呼ぶ気持ち・・・と同時に瀬戸内寂聴が語っていたように、もったいない、という思いが強まるばかりだった。
この貴重な映像を最高の形で残してくれたことに感謝するとともに、この時代を反映した三島由紀夫の生の声を聞くことができない無念を思わずにはいられなかった。
言葉は・・通じない
新型コロナ型が世間を騒がせているこの時期に、映画館にあつまるのだろうかという心配をよそに多くの客がいた。見るからに客の平均年齢は高く、50代半ばの自分でさえ、全体から言えば下の方ではなかったか。多くが「その」世代、あるいは彼らから感銘を受けた、受けようとした年代なのであろう。
既に『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』を読んではいたが、そしてドキュメンタリーで少しは知ってはいたものの、「この」世代に対する言うに言われぬ感情もあって、どこかほおっておいた気もする。
当時としては熱い語りであっただろう。それは彼らにしてみれば自分が生きる時代の言葉そのものであっただろう。しかし今見てみると、お互いがその言霊主義に酔いしれている様にもうつる。所詮は言葉を手に入れた、入れていると思っている擬似(似非)エリートによる自慰ではなかったのか。若者の言葉というものは、どこか浮ついていて、観念論を否定する言葉も観念的である。従来の知性を打破しようと反知性主義を装ってみても、どこかそれは民衆には届かない。
彼らが人々にとって唾棄されるべき机上左派であったがゆえその力は衰えたのだろうか。
ならばまた、人々を蔑ろにする排外主義的な右派ならば、これもまた同様にいずれ滅びるはずだ。
この様な言葉による知的遊戯を戦後民主主義の出発とするというのは果たして正しいのだろうか。
それを熱情などという幼稚な言葉で語って本当に良いのか。
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でもな、
映画の最後、エンドロールが始まった途端、席を立つ人の多いこと。
俺の前を遮るな!
やっぱこの世代って唯我独尊の自己中なん?
自己中心的連帯エクスタシー主義者なん?
ま、三島が語った様に他在が物象化すればするほどエロいんやけどね・・・。
お、共闘できるやん。。笑
で、ナレーションの東出が、お互いに真摯に言葉をぶつけ合うって・・・言うなや!
なんかこのドキュメンタリー、コミカルにも見えてきた・・・。上映された時期が悪かったのか。
没後半世紀
そう考えると、三島由紀夫は既に歴史上の人物なのだな、と思ってしまう。
当時の学生運動のことはニュース映像などで見聞きした程度だが、これを観て、その熱量は充分伝わってきた。
主義主張の違う者同士が論戦を交わす場を設けたうえに、何より互いの言っていることにもきちんと耳を傾けていることが、とかく排他的な現代の風潮からすれば、すごく健全に映る。
当時既に文壇一のスターであった三島からすれば、学生側の売名に利用されるだけかも知れないこの場にのこのこと出向く必要もなかっただろうし、全共闘側も三島にやり込められてたじたじになって全体の士気が低下するリスクもあったろう。
ややもすれば、それぞれが互いの主張を展開するだけの合同演説会になっていたのかも知れない。
そう考えると、オファーした学生側も受けた三島も大英断だったのだと思うし、一応は討論会の体を成しているのは互いをリスペクトする気持ちが少なからずあったからだろう。
かと言って、この討論会に参加していた者に思想信条に変化があったわけではないだろうし、時代を越えて今現在スクリーンを通して観ている観客に大きく影響を与えるわけでもない。もちろん、この映画の制作者側も、そんなことは企図していないだろう。
ただ、この熱気が感じられれば、それで良いのだと思う。
ただ、一つだけケチをつけるとすれば、ナビゲーターの東出昌大は全然ダメ。0点。進行の邪魔。
声質がナレーション向きでない。この手のドキュメンタリーなら、専門のナレーターに任せた方が良かったのに。
下衆の勘繰りになるが、TBSは起用を決めた時点で東出の不倫を知っていて、早晩騒動になることを見越して、映画のいい宣伝になると思っていたのでは?
熱情?
vsと題名はなっているが、全共闘が三島氏と対決しているようには見えなかった。
何と言うか、福祉大相撲で、横綱一人に群れていくチビッ子たちが学生諸君っていう印象でした。
TBSのニュースソースに限界があるのか監督の編集能力に問題があるのかはわかりませんが、少なくともそれほど緊迫感が伝わってきません。
私には三島氏のいう熱情は伝わってきませんでした。
☆☆☆☆ 簡単な感想。 〝 《言論》そのものが成立していた熱い時代...
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簡単な感想。
〝 《言論》そのものが成立していた熱い時代 〟
この中で語っている言葉の、精々2割程度しかおそらくは理解出来てはいないが。現在の様なネットの社会の中でのみ、自分の存在を誇示したがる【承認欲求】のより強い人間こそが観るべきな作品…と言って良いでしょう。
当時の三島由紀夫の心情や、思想の基となる根源的な問題点を説明する平野啓一郎や。この討論会に於ける社会背景であり、一体何の事について語られているのか?…と言った辺りを、分かりやすく説明してくれる内田氏の解説等で、最後まで一気に観れてしまう。
それにしても、未だに闘争を続けている芥正彦は超〜ヤベー奴(^^;)
平野啓一郎曰く、「三島は生き残ってしまった世代」の言葉には、『タクシードライバー』でやはり。ベトナムの生き地獄から生き残ってしまったトラヴィスの面影を、ほんの少しだけ感じずにはいられなかった。
2020年3月22日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン1
何を言っているのかわからないけれど…観て良かった映画作品
今日は三連休の中日で夜遅くの上映時間。
そんなに本作を観に来る人はいないはず。
昨今のなんちゃらウィルスのリスクも少ないはず…だったけど、、、、
淡い期待を崩されてしまった感じの席の埋まり方でした。。
なんだ、この作品は注目されてるのか?それとも話題作なのか?
ちょっと驚きましたです、
私は私で三島由紀夫氏にとっても興味があったんです。
太宰治氏や芥川龍之介氏や夏目漱石氏以上に、この方の本は読んだことはないけれど、経歴(割腹自殺・自衛隊入隊・癖のある人物像)等で何故か早く観たい!と思わせる何かがありました。
全体を通して、とても素晴らしいドキュメンタリー映画作品でした。
何を言っているのかわからない(私がおバカなので、笑)中にも、ストーリーに引き込まれてしまうほど、本作の魅力に取り憑かれていってしまいました!
心の中で、何度も"へぇ〜"って言ってました!
三島由紀夫氏の後輩で、元東大全共闘の橋爪大三郎先生のお話はとても素敵で、久しぶりに聞き惚れてしまうくらいの内容でした。
こういう風な映画も教養の一つとして知っておいたほうがよい大切な作品なんだ!
と、思いました。
オススメです!是非御覧ください!
※推してる役者さん、女優さんの観たい映画作品は、昨今のなんちゃらウィルスに戸惑っている間に一度目?の上映が終わってしまいました。
二度目の再上映がもうすぐですので、必ず劇場で観て感想を述べたいと思います☺︎
劇場の幹部の方々も配慮をしてくださっているのでとっても感謝しています!
ありがとうございます♡
芥さん、キャラが濃い
久しぶりの素晴らしいドキュメンタリー映画を観ました。
単なる右翼VS左翼の水掛け論的な掛け合いではない、秀才VS秀才のリアルな頭脳戦に舌を巻きました。
特に三島の論理的でありながらウィットに富んだ話ぶりに、第三者であるこちらもニヤリとしてしまいました。
令和にも語り継ぐべき
熱と敬意と言葉
自分が在学時はセクト対立、三里塚闘争、反米・・惰性な空気だったなあ、とこの映画の真剣勝負をみながら、当時を振り返りました。
三島由起夫、不世出の人間と、全共闘、是非は別として、こういう時代を忘れてはいけないと思う。
ナレーションは、もっとプロを使ってほしかった。それだけが残念無念。
三島由紀夫にm(__)m
なんで死を決意したのだろ
今の時代に必要な人だったのかな~
私たち戦後を知らない50代ちょうどあの赤ちゃんの今の私達どうなるこの日本
三島由紀夫に脱帽m(__)m
出来ればもっと学びたい人間力
熱を感じたかったな~
観てよかったです!
右とか左とか、あの時代に生きていた人達の言葉は
いい意味でも悪い意味でも生きた言葉だ
三島由紀夫も、この990番教室に言の葉がただよってると論戦を行った学生に言っていた
学生に対して、決して威圧的でなく論じる
人間三島由紀夫は本当に魅力的ですね
稀代のパフォーマーによる見栄の張り合いとしての討論会。
本作を鑑賞すると、三島由紀夫と全共闘の学生達の討論会が、東京大学の講堂を舞台にした二人(二群)の演者によるパフォーマンス対決という色彩が強いことが理解できます。
そのことを最も強く印象づけているのは、映画のポスターや本編のインサートカットで使用されている写真です。それらはどれも構図や表情が完璧で、まるで入念にリハーサルを経たかのようです。
それも当然のことで、実は三島は、この討論会を宣伝材料として利用することを事前に計画しており、昵懇の記者を同行させて、記録撮影をさせていました。
三島はカメラがどの位置にあり、どのような振る舞いをすれば「写真映え」するのか、討論しつつ十分に計算していたのです。報道記者として状況を客観的に記録していたはずなのに、いつの間にか三島に「撮らされていた」という記者自身の証言が非常に印象的です。
対する全共闘の側も、三島に負けず劣らずパフォーマンスを仕込んでいます。映像に映し出された、子供を抱きかかえて議論を挑む男性学生の姿は一種異様な印象を残しますが、これは大学内での知識人同士の討論という、知識を巡る権力闘争となり得る状況を敢えて破壊するための仕込みでした。こうした手練れの役者同士の演技合戦と観念的な議論が交錯して議論は展開ていきます。
全編にわたってとりわけ強い印象を残したのは、今も舞台の世界に生きる全共闘の元闘士の鋭い眼光ですが、彼は現在、一体何と闘っているのでしょうか?
残念なアウトプット
この作品を映画にする意味がよくわからなかった。せっかくの映像が台無しで、制作のクオリティにも疑問。むしろ全映像を2時間まるまる流してもよかった気がする。
映像を所有していたTBSがドキュメンタリーにする能力も誘引もないのであれば、NHKに作って欲しかった。より良質のドキュメンタリー作品となったと思う。
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