三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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肯定と否定が交錯する三島の言葉
三島由紀夫の小説には敬意を持ちつつ、極端な政治的言動や天皇観についていけず、10数年以上三島の作品を読んでいない。三島と東大全共闘の討論会もずいぶん前にYou Tubeで見た記憶がある。
やがて他の作家に関心が移り、しばらく三島を忘れていたところ、このような映画が公開されると聞き、久しぶりに三島に関心を抱いた。ネットでは一部しか視聴できなかった三島の肉声をこの映画では存分に聞く(見る)ことができる。
これまで気が付かなかった三島のユーモアや上品さを知ることができた。もっと政治的な議論が中心かと予想したが、哲学的な議論が多かった。全共闘側で印象的だったのは、幼児を抱っこしながら三島に挑んだ芥氏。両者の議論は「毒」と「毒」の対決のように見えた。
三島没後50年の今年、彼の言葉には思想的立場にかかわらず一度は聞くべきだ。聞いたうえで、肯定すべき部分と否定すべき部分を選別し、自分の言葉にしたいと思う。
熱い人たちのその後。
その昔、三島が切腹したと同級生の女の子が教室に飛び込んできた。それに反応する同級生は少なかった。朝日ジャーナル読者だった私も三島のことは常に気になってたので反応した。そんなことを思い出す。
結構上の世代が主役なので当事者の語りよりも平野氏の感想がすっと入ってくる。さすが第二の三島。瀬戸内さんの乙女目線の語りが面白いというか可愛い。
最後、当事者の総括は私の世代にとっては一番期待してたところ。それだけで一本ドキュメンタリーを作る価値があるんじゃないか。
しらけ世代はそう思う。
討論をまとめたドキュメンタリーに留まらず、題材の良さにも全く名前負...
討論をまとめたドキュメンタリーに留まらず、題材の良さにも全く名前負けしない素晴らしい出来。それは運動以降から現在までの日本もしっかりと視野に入れているからに違いない。総括として完璧。それをやったのが映画というのは誇らしい。
まさかの
三島由紀夫が何ともチャーミングだった。
いくつかの作品とギラギラした肉体へのこだわりと天皇観を通してしか知らなかった三島と伝説の芥正彦の対決観られるとは!この二人を立体的にみることができたの収穫だった。芥は思っていたより青かったけどね。
時代の熱情
兄貴分としての三島が後輩たちに対して、真摯に語りかけるとても知的な討論会。不穏な空気の中に三島のユーモア溢れる知的で優しい言葉が花吹雪のように会場に降り注ぐ。彼の言葉を聴いていると近代日本を代表するとても優れた芸術家であるという事実がひしひしと伝わって来る。御多分に漏れず学生たちも本邦を代表する知の最高峰に位置する東大生なだけに、質問の一つ一つが鋭く興味深い。なかでも、取り分け狂言回しのように思える役者の「芥」という人物は最初はとても攻撃的なスタイルで三島に接するが、彼を認めた上でよく聞き、答える大人の態度にいつの間にか引き込まれて共に同志よろしくタバコを吸う場面に三島由紀夫の人間的な魅力がよく解る。三島由紀夫はまさに一つの時代の決定的なアイコンである。瀬戸内寂聴がただのファンとして三島を語っているのには思わず笑ってしまった。
東大紛争が革命に発展せずに、どうして収束してしまったのか、解った気がした。 前年に安田講堂に居なかった=居残り・残党組み?の”悪あがき連中(点)の中に指導者(線)は残っていなかった。
50年前の講演に至るまでの経緯を判りやすくドキュメントした映画だが
「すごい討論会が50年前にあった」という前提のもとに編集された何も学べない不毛映画
ドキュメントは最初の筋書きどおり、うまく切り貼りされて、それらしく魅せているが、
会場は一部の登壇者以外は整然とした1000人が興味本位のみで同じ空間に居ただけで、
単なる傍観者に過ぎず、壇上では雄々しくやってはいるが文化祭の特別講演会の質疑応答のようで
全学連達からは共産主義革命思想もマルクス社会主義思想もまるで伝わってこない。
三島由紀夫さんは後輩である学生達には哲学はあっても、思想なき革命にシンボル・旗印が必要な事を教えるが、通じない。
目の前に居る全学連学生が一連の大学闘争とは一線が引かれ、連続していない点である事も「解放区」というキーワードを使って
教えようとした言葉の意味が理解できていなかったようだ。
いくら東大でも、20歳前後の若さはあっても、学生にはしょせん無理な事変なのか?
芥と言う名の演出家学生が赤子を抱いて登場した時は おっ来た! と僕は思った。
なぜなら、あの場に不似合いな赤子を抱いているという事は、
「自分は肉体的な暴力は振るわないし、暴力を受ける事も歓迎しないが
言論を持って、決闘するぞ! 」という強い意気込みの表れだからだと僕は期待したからだ。
三島由紀夫さんもそう判断したと思う。
しかし、それも期待外れで、彼は単なる哲学好きな演劇少年で
永遠と三島由紀夫さんと哲学的な話をするばかりで両極対立の核心には至らず
耳障りのよい抒情的な言葉を連ねるだけで、
三島由紀夫さんの口元は緩んでいた。
壇上ではみな雄々しくしゃべっているので、それっぽく見えるがみな中身はない。
お陰で三島由紀夫さんのサルトルのエロスからの話を聞けたことは僕的には儲けものだった。
会場の傍観学生は大学授業を聞くようにお行儀よく
たまに数人による罵声が飛んできたりするが、1000人が討論している殺伐とした空間ではなく
みな”お利口”に壇上の話を好奇心的興味だけで傍聴している。
その場で戦っていたのは10余人。
殺気立たない会場では赤子も泣かない。
哲学少年だけ、三島由紀夫さんの諸本を読んでいたようだが
もし本当に意義のある論争がしたいなら、事前に論点整理をしておき
(この映画で論点と、なりうる議題は「解放区の意義」「反米革命と改革」「天皇という御旗」だろう)
その論点の相異について、論議すべきを
当日いきなり話を始めたので、話がかみ合ってこないのは必然だろう。
論争を企画した中の誰かが事前に気が付いて、少しでも段取りをしていれば、こんな場当たり的な不毛論議にはならなかっただろう。
三島由紀さんは事前に何を話すか、何通りか用意して準備していたようだ。
その辺を後日に誰かに伝えていたと思うのだが、その取材をしてほしかった。
この映画の中に僕がどこにいるのか探しながらも、観ていました。
99%の学生=”白けた傍観者”の中にいるのか?
30年前の僕も、現代の僕もそこにはいない。
2部の終わりに、業を煮やして「殴ってやる!」と会場からヤジを飛ばしながら、登壇してきたベージュのジャンバーを着た青年
彼が僕だと思った。
その後、彼はマイクを持って、話し始めたのだが、新劇青年に邪魔されもしたが
ドキュメントでも尻切れトンボにで編集され、内容がきちんと伝えられなかったのは残念だった。
3部になり、ようやくまともな方向に向かうかと思われたが、出だしのオレンジの服を着た青年の主張の肝心な前半部がカットされており
中身ナシの激論討論ぽい”雰囲気”だけドキュメントされていたのは
今回の映画での最大の失敗部分だ。
三島由紀夫さんは「安田講堂で、天皇と言ってくれれば、駆け付けた!」と言った意味を全学連側では理解できていない。
始めの頃にも三島由紀夫さんは前振りをしていたが、学生たちはスルー
三島由紀夫さんは東大生達が「天皇」と言う言葉の意味を理解していない事に気がついて、「言霊」という言葉を挟んでみたが
登壇している学生はにはこの意味も通じず、三島由紀夫さんが望んだものは何ひとつ討論会では得られなかった。
自分たちが何者で、何を目指すのかも理解できていない20歳の学生達に40男の主張を理解するには荷が重かったようだ。
三島さんには全共闘が見えていたが、全共闘から三島由紀夫さんがまったく見えていなかったのが歪めない。
映画の中では 白兵戦のような緊迫した論戦が両極の間で”さも”有ったように映画が編集されているが
全学連側は面白そうだから呼んで話をしただけで
記念にはなっただろが、何も残らず
いい思い出を作れただけだった。
三島由紀夫さんはOBだけあって、全学連2軍の白け具合を見て、革命を断念したであろう。
映画なので、映画的な部分を書くが
劇中「TBSのライトが明るすぎた!」という証言もあったが
冒頭の司会者も三島由紀夫さんも 絶えず正面ではなく、会場の斜め右を向いて話をしていたが、
カメラの設置場所のせいで、会場の傍観者にはより舞台との隔たりを作ってしまったのではないかと思った。
また、ライトに不満を持った週刊誌カメラマンは三島由紀夫さんの真後ろを何度も行き来して
撮影の邪魔をわざとくり返していた子供じみた仕返しには思わず笑えてしまった。
そんな戦いもドキュメントの面白いところだ。
そして最後に別セクトの行く末である「あさま山荘事件」等で強引に結ぶ
この映画は何を言いたかったのか?
他大学での、三島由紀夫さんの講演を内容と雰囲気を観比べてみたいと思った。
*最後に三島由紀夫さんの「天皇」とは個人・人物や役職を示すのではなく
日本そのもの(伝統・文化・歴史)の象徴なのです。
そして医学生の居ない全学連居残り2軍が行っていたのは革命ではなく、紛争と不満の薄っぺらい爆発だけでした。
*50年前のフィルムは白黒なので、僕が服の色を言っているのはあくまで、イメージです。
豊島圭介。
TBSがこの映画を送り出すこと、それ自体を前向きに捉えたい。以前NHKで同じような番組をやっていたが、この映画には、お互いの意見を交わすことへの重要性が訴えられていて、監督の意思が感じられた。
昨今アホな日本映画が多くて、辟易としていたが、久しぶりに意思のある映画とかんじられて高評価。
三島由紀夫氏の色気に圧倒された!
討論会の前半の理論をこねくり回している部分は聞いてるだけで脳みそがカーッと熱くなってきたところに、良きタイミングで挟まれる平野さんや内田先生の解説、絶妙に助かります。
後半はもうダンディズム全開の三島由紀夫氏に惚れ惚れするばかり。学生の幼稚だったり無配慮だったりする言論にも、穏やかな低い声で時々ユーモアを交えながら誠実に回答する姿が本当にステキでした。あと、ちょいちょいカメラ目線でタバコ吸うトコとか、ナルシストでステキ。ステキと思えるナルシストってなかなかいないと思うんですよね。
途中、学生同士の議論が熱を帯びてほったらかされた三島由紀夫氏がニヤニヤ見守るシーンがあって、その顔を見てたら、だいぶ昔に見た、美輪明宏さんの舞台「黒蜥蜴」のパンフレットに載ってた俳優・三島由紀夫を思い出した。
あとあと、この大討論会に出席していたり、楯の会一期生として活動していた(している?今も?)方々の現在のお姿を見れてキャリアも垣間見えるのがなんだかワクワクして、言葉は今も若々しくてトキメキました。
私が見た回もその前の回もかなり人が入っていて、今日も違うの見に行ったんだけどロビーの人がずずぃぃーっと三島由紀夫のお部屋へ吸い込まれていった。すごい求心力。だいたいこの頃を経験している世代の方々。私の席の後ろはその世代のご夫婦で、上映中時々思い出話的なことをコショコショ話しててなんだか可愛く思ってしまった。
あの時代の熱量
今の若い人には彼らの言葉は日本語なのに「何言ってるのか意味不明?」って思うのではないかしら。
三島の嫌いなサルトルやハイデッカーを高校時代読んでいた私でも、世代が違う人の当時のやりとりを聞いていると、こうも言葉が違うのか!外国語並みに分からない、という場面が沢山ありました。
もちろん私の頭が足りてないからだとは思うのですが、あの時代には学生は真剣に毎日あのような話をしていたのでしょう。
本当に言葉に力があって、顔を合わせて言葉をやり取りする意味が感じられる時代だったのですね。
その熱量はものすごく伝わってきました。
平野さんの解説等とても分かりやすくて、ナレーションの東出昌大さんの優しい語り口もとても好感がもてました。
みんなが言葉に力を込め、熱量を最大にしていた時代の空気をたっぷりと感じる事ができました。
それにしても煙草吸いすぎです!
この映画に真実があるとするなら。
私には討論の内容がさっぱり理解できなかった。それは彼らの使う言葉の意味や内容について、私が共有できなかったからだと思う。しかし三島は学生たちの言葉を理解しようと努力していたし、正対しようと努めていた。
編集してカットされていたのかもしれないが、あのころの学生たちに特有の、嫌味で空疎なヤジはほとんどなく、むしろ両者が対話での緊張感を楽しんでいたように感じた。
途中から赤子を抱いた男子学生が登場して攻撃的に話し始めるのだが、それが私には異様な光景に見えた。今なら紫煙うずまく中に子供を連れて来るなど考えられない行動だが、それ以上に、子供を自分の盾にしているような卑怯なものを感じたからだ。社会的に自立していない学生という弱い立場を、子供を連れてくることで生活感をことさら強調しているように見えたのだ。この場をおぜん立てした全共闘の闘志達は、その後社会にうまく同化していったようだが、この人は古希を過ぎた今でもその反骨精神のようなものを捨てられないようで、私は何かしら無残なものを感じた。東大一の論客といわれたこの人は途中で「つまらない」と退場したが、これは彼自身の敗北であり、それこそ青臭く、失礼でお粗末な態度だなと思うのだ。
私は1988年に新潮社から発売された三島由紀夫の「学生との対話」というカセット・テープを持っている。その中での三島は、今回の映画と同じようにとても紳士的で、やはり学生とのやりとりを楽しんでいたように思う。四十を超えた三島に対して「夭折の美学を説かれた三島さんも長生きされて」と嫌味を言っても笑って応えるところに、三島の包容力と動じない強さとを感じたものだ。テープは昭和43年、早稲田大学でのもの。
今回の映画でも学生たちは虚勢を張って精一杯大きく見せようとしていたが、三島はあくまで正直だったし、堂々としていたし、学生たちの言葉に真摯に耳を傾けていたし、理解しようとしていた。
私は三島由紀夫の作品を読んだことがないのだが、映画やテープでの彼の態度はとても好ましく、もしこの映画に「真実」があるとするなら、ライトアップされた三島のこの誠実な姿勢にあるのではないかと思った。
思想の違う学生の話を聞き
罵る訳でもなく、自分の意見ははっきり言う
濃厚な一生だったのだろうなぁ
取り上げられていたご本自宅にあるので。もう一度読み返してみようと思う
インテリジェンスのディベートは一言一句聞き落としできない108分
観たかったこの映画。「無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るだろう!」初めてこの遺言を聞いた時の衝撃。大古の時代からの価値観も完膚なきまでに叩きのめされて思想を模索の戦後。共産主義の台頭によってイデオロギーの対立の時代に現れた言論の天才。インテリジェンスのディベートは一言一句聞き落としできない108分、お薦めです。
今まで三島由紀夫には過激なイメージしか持っていなかったが、終始落ち...
今まで三島由紀夫には過激なイメージしか持っていなかったが、終始落ち着いて討論する姿に驚かされました。
相手の主張もよく聞いて、自分の意見を述べる。
本来有るべき討論の姿を現政権に見せてやりたい。
芥正彦氏の訳の分からない主張も受け止める、男三島由紀夫に感服します。
もっと上手く緊迫感のある映画に出来たのではないかと惜しまれます。
難しく観るな。
って自分に言い聞かせた。
頭の良い人同士のやり合いだから、途中置いてかれそうになるも必死に耐えた。
討論ってのは、エンターテインメントなんだ。
って思った。
一線を越えるか越えないかのギリギリでヒリヒリするあたりが、まさにロックンロールだった。
三島由紀夫が言いたいことはなんとなくわかるような気がしたけど、 芥...
三島由紀夫が言いたいことはなんとなくわかるような気がしたけど、
芥正彦って人の言うことは言葉だけがひらひら飛んでるようでよくわからなかった。
それにこの人、途中で逃げたしね。。。
難しいし面白くないけれど、観たらいいと思う
劇場で久しぶりに2桁観客数だ。それも200席程度のスクリーンで。さすがに俺みたいなおっさんばかりだけれど。
TOHOシネマなので、事前CMは「フリーガイ」や「モンハン」だったりと、同じドキュメンタリーを観るにしても、やはり渋谷イメージフォーラムや東中野ポレポレでとは、ずいぶん雰囲気が違う。
本作は、面白くはないし、言ってることは難しいしだけれど、TOHOシネマで本作が公開されているということは、全国津々浦々で観られるということ。これは、実はすごいことだと思う。コロナ禍の中で言いにくいが、可能になったら、みなさんが観る機会があったらいいな、と思う。
さて本作だが、自分は、1960年生まれで時代的に学生運動とかすかに重なっているので、観た。三島氏が、自衛隊市ヶ谷で割腹自殺したのは1970年、俺は10歳。その前々年1968年に、学生運動の実力行使の最後の砦ともいえた安田講堂が陥落している。本作で描かれている討論は、実力行使に敗れた学生(のうち全共闘)が、活動をこのまま終わらせてはいけない、という思いから、当時の人気文学者である三島氏と自分たちとの対談を企画したものだということを初めて知った。
大学構内にまだ各セクトの横長立て看板がいくつも立っていた1978年に、自分は大学生になり、その年、学生運動の名残ともいえる風景を目の前で二つ見た。ひとつは入学したての春、大教室でなかなか授業が始まらず、代りに、あるセクトの演説が始まったシーン。もうひとつは、秋の学園祭で、俺たちの模擬店の前を、頭から血を流した学生が転げるように走っていき、「なんだ、なんだ?」と驚いているところへ、学生が数人、当時 "ゲバ棒" と呼ばれていた角材を手にし、「待て!この野郎」と追いかけて行った、というシーン。まさに「学生運動とその内部抗争」なわけだが、ただ、俺が見たのはその2つだけだったので、 "名残" だったのだろう。その後の学内は、学生運動よりも、"統一教会"(サークル名 "原理研究会")と "歎異抄研究会" の対決に移っていったように記憶している。
まあ、学生運動は、俺がこの程度しか書けないように、78年の学生からは、すでに離れていた。自分は、民青と全共闘の違いも知らなかったのだ。
映画はドキュメンタリーで、その中身は討論なので、面白いはずはない。かつ、三島氏も全共闘も言うことが難しい。というわけで人にお薦めする映画かと言われたら難しい。しかし、冒頭に書いたように、みなさんが観る機会があったら嬉しいなとも思う。
こんな感じだ。
三島氏「エロティックと暴力は根源でつながる。エロティックは、相手を拘束し自由が利かない状況にすると感じる。自分が考える暴力も、相手の自由意思を奪って行われるもの。相手に意思を認めた上で振るわれる暴力は、自分が考える暴力ではない」
さらに、"解放区" に関する芥氏との討論は、もはやわからなすぎて、ここに何も書けない。
当時44歳の三島氏と、21-23歳の全共闘の学生の討論だが、三島氏は「討論しよう、話し合おう」という姿勢であること、学生側は、さすがに若いので、「三島氏を言い負かしてやろう、ぎゃふんと言わせてやろう」という姿勢が見受けられる。とは言え、両者はたしかに "討論" をしている。その姿を観ることは価値があるように思う。
討論以外に印象的だったことをひとつふたつ書く。まず、芸術家と自分の遥かなる隔たりを、全共闘の芥さんの言動にみた。全共闘の中でも際立っていた彼が話した内容はちんぷんかんぷんな部分が多かったが、「何もない中で語るとしたら、どう語るか。モノもない世界であなたは何を話すのか」という芥さんの問いかけは、前衛芸術家は、そんなことまで考えているのか。彼らの言う「魂の叫び」は、俺たちが考えるその言葉とははるかにかけ離れたものなんだな」と知った。自分は、"社会性" は生物の本能のひとつとも思っているのだが、そうとは限らないのかもしれない。ここまで「自分ひとりだったら」と考える人たちもいるのだというのは驚きだった。俺は、一生、彼らとは交じり合わないかもしれない。そのせいか、現代の芥さんが語る「憎むべきは、あやふやで猥雑な、この日本国」という言葉については、その真意がまだわからないままだ。
また、"三島氏を論じる文化人" の立場で登場する三人、内田さん、平野さん、小熊さんには、「世の中にはこんなに頭がよい人がいるんだなあ」と感心させられた。ここで言う頭がよいとは、三島由紀夫や全共闘が対話で語った言葉を、「こんな意味で言ったのだと思う」と俺たちにもわかるように解説する能力、という意味で書いてます。三島由紀夫が言った「あなたたち(全共闘)の行動を、天皇の名において、やれ」とは、どういう意味なのかを、説明できるって、すごい。「左翼と右翼は本質的な区分になっていない。両者は "反米愛国" という点で一致しているから接点があるという意味です」という説明もすごい。
終盤で語られる「三島氏(と同時代の人々)は、"国運と個人の命運が完全に一体" となっていた」という解説も、腑に落ちた。三島氏が言う「私は日本人なんだ。そこを越えていく必要は感じないんだ」という言葉は三島氏だから語れることであって、いまの時代の俺たちが安易に「そうだ、そうだ」と相乗りできるものではない、ということだ。日本、国、国家という、人間にとっての領域というか境目は、必要悪であって絶対的なものではない、と俺は、実は、初めて知った。そういうものがなくてもすめば、つまり、人類がすべてひとつになれれば、その方がいいんだね。
本作のナレーション、「彼らの"熱" と "敬意" と "言葉" は忘れるな」はその通りだと思う。語られていたことではなく、熱をもって臨むこと、(相手に) 経緯をもつこと、言葉 (は必ず伝わる) と信じること、この3つは、せめて忘れないようにしよう。
追記
三島氏が自衛隊で乗ったというF14戦闘機。自分は小学生か中学生の頃に、この機種のプラモデルを作った記憶がある。愛称は "スターファイター" 。ただの昔話。
予備知識が全く無いと辛いかも
ドキュメンタリーなので、ネタバレではなく、歴史的事実として。以下を前提として知っておいた方がいいし、この歴史に関心が無ければ、観ても仕方ない。
今から50年前のお話。1969年というのは学生運動の最盛期で、1月には有名な安田講堂攻防戦があった年。その5月に、三島由紀夫という極右の作家と、全共闘(全学共闘会議)という極左の学生が行った討論会を中心としたドキュメンタリー。
三島由紀夫は当時、ノーベル文学賞を川端康成と競う程の大作家でありながら「盾の会」という学生民兵を率いて、筋肉ムキムキに鍛えて、自衛隊で実弾射撃訓練をして、この討論会の1年半後に市ヶ谷で割腹自殺します。
東大全共闘は、前年に組織されるや大学や文部省だけでなく、一般学生や同じ左派の日共(日本共産党)や民青(共産党の下部組織)を向こうに回して、安田講堂で大立ち回りをしたバリバリの極左。
で、ややこしいのが、日本共産党は全く左翼ではない。共産革命なぞとっくに放棄し、大学側にたって学生運動を潰そうとしていた、極左の全共闘にとっては敵勢。また自由民主党も全く右翼ではない。天皇陛下に生きながら戦争責任を押しつけ、ひたすら謝りさせていた米帝の傀儡政権。極端に言えば、当時はこういう見方が一般的でした。
で、前置きが長くなりましたが、面白かったです。
討論会は、まあ、屁理屈みたいな抽象論の応戦です。当時の大学生の雰囲気を楽しんでください。学生結婚で子供を抱えていて、三島も学生もタバコ(ピース)をスパスパ吸って、サルトルを引用した哲学語ってをして、ゲバ棒や武器持って闘争していたんです。
ドキュメンタリーの作り方として、討論会映像の合間に、かつての学生たちが解説を入れるスタイルです。2月に観た「愛国者に気をつけろ」でも思ったのですが、今ならギリギリ、当時の人たちが70歳から80歳で生きているんです。この証言はもうこの先は聞けない、という貴重さも魅力です。
最後に、なんでコレがテレビ番組にならないのか。TBSが持っていた討論会の映像ですから、特番でやれば?とも思います。が、無理でしょうね。哲学も学生運動の歴史も若い人は知らないし、興味もない。何より「コンプライアンス」的に公共電波には「不適切」な内容かも。上記のタバコもそうだし、三島の発言もピーな発言が多い。地上波でやれば潰されるでしょうね。ちょうどナビゲーターも東出君だし。
まあ、それはそれでいいんじゃない、と思う一方、ワッケン司令ではないが「寒い時代だと思わんか?」とも言いたくなります。
三島式シンクタンク ~すべては対話から始まる~
当時の若者は生きることに真面目で一生懸命だったから、
あのようなムーブメントを起こし魂をたぎらせたのでしょう。
さぞ理屈っぽい議題を取り上げてくるかと思っていましたが
純粋でいて普遍的なことを、言葉のやり取りで、
互いの思想をつまびやかにしていく…
そんな、若者たちと三島氏が共同作業をしているように見えました。
印象に残るのは、若者の話を聞きながら三島氏が嬉しそうに煙草を吸う場面と、
芥氏と仲良く煙草のやり取りをする場面です。
あくまでも世間的?に“右と左”の対極関係にありつつも
論破したり看破したりせず、ちゃんと相手の話に耳を傾け存在を認め合う
そんな、同じ時代を生きる同士のように見えました。
そして三島氏は若者にとっての【話の分かる大人像】であり
若者は三島氏にとっての【これからの日本を託す子供像】
だったんじゃないのかな?
もしも、三島氏が自決を思いとどまり
あともう少し、生きて、影響力を及ぼす存在であり続けていたならば…
日本はどのような国であったのだろう?
三島由紀夫氏とのことは、
若松孝二監督作品『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』
で語られていることぐらいしか知らなかったんですが
自決前の自衛隊への演説シーンの、物悲しい空虚さときたら…
やっぱり三島由紀夫は若者と絡んでいた
この時代が一番輝いていたように思いました。
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