「解放区」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
解放区
このドキュメンタリー映像を観ていると、右翼対左翼、革新対保守というテロップが流れたのに、全共闘と三島由紀夫が対立関係だったとは決して思えない。
芥正彦と三島由紀夫の議論に、観念的と言って割り込む学生がいたが、確かに……と思う反面、もっと、この場面を長回しで見せて欲しいと思ったりする。
そこには「言葉」の意味が支配する議論があった。
毎月の最後の金曜日の深夜の〇まで〇テレビとか、元知事とか元議員とか自称国際政治学者なんかの政治討論より、よっぽど頭の回転数が上がるし、こっちの方がクソが付くほど面白い。
胸が高鳴る。
この時代は、確信など無いのに、未来が手の届くところにあったようなイメージだ。
そういうことを考えると、あの教室には「解放区」が確かにあった。
小説や舞台よりも体感的な解放区だ。
彼らが云う暴力は、僕らが忌み嫌う暴力ではない。
何か変革を求めて迸(ほとばし)るエネルギーが器に収まりきらなくて溢れたようなものだろうか。
そこには、何か因習を破壊しようとするエネルギーはあるが、人を傷付けたりすることが目的のものとは違うのは明らかだ。
三島由紀夫は、全共闘に天皇をどうして欲しかったのだろうか。
そこは分からずじまいだった。
ただ、昨年の愛知トリエンナーレの昭和天皇の写真をフェイクの炎で燃やす映像に、親の教育が云々とか、道徳上どうだとか、情でしか話をしないコメンテーターや落語家を思い出して、今、僕達の周りには「解放区」はないのだと改めて考えてしまう。
Twitterに溢れる短いだけで、行間を読むのもままならないバカ丸出しの文章のやり取りや、匿名に隠れた誹謗中傷やウソ・フェイク(ただ、僕のフォローしてるアカウントはそんなことはないですよ)。
言葉の意味を間違って使ってても平気な恥知らず。
解放区どころか言葉に重さもなくなっている。
言葉が意味を持って交わされて初めて、「解放区」に繋がるのではないか。
意味を知って言葉を使うのは人間だけだ。
出演者たちはあの日自分が語った言葉の意味を、時を経て再び自らに問いながら、返す相手(三島)を失った現実の中で言葉を選んで口にしていましたね。
今回この映画の企画が、出演者各自にとっても得難い、そして有り難い場になったのではないかなぁ。
でも相手が生きている内に出かけて行って対話を続けることのかけがえのなさを、僕は自分が歳を取って痛感しているところです。
今日は仕事してます。しかし人が出歩かないので、暇過ぎて今のところ売り上げは700円です(笑)
ということで休憩がてらに映画館に来ました!
金沢コロナワールドです😆🎵🎵
難しい言葉ばかりで理解するのに時間がかかりそうでした!
しかし、アベちゃまの会見の方が理解しづらい・・・「〇〇したいと思います」とか言っても、結局、具体策が何も説明されてない・・・
ワンコさん💫ロマンチストに納得です✨
本作と比較にはなりませんが、シュレイダーの「Mishima」は正にロマンチストの部分を的確に捉え、レビューに書いたジャン・ジャック・バーネルは「三島にに甘美なロマンを感じて虜になった」と言ってます…国内より海外の評価に、俯瞰で見る眼があったのかと思います。「皮肉にも」と言って良いのかわかりませんが…三島氏のロマンチストを最初に見つけたのは外国の人だったと…私的見解です🙇