「三島の言葉と肉体」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 十二滝わたるさんの映画レビュー(感想・評価)
三島の言葉と肉体
1000人が集う駒場の900番教室一杯にエーテルのように満ちているのは、熱情ではない、やや光を失いかけながらも輝くサルトルの亡霊。
肉体を持とうとした作家と肉体を失ないながらも標榜を立ちきれない集団が、サルトルのなかでもがき続ける。
単純な右翼と左翼などといった世間の煽りの対立構造はそこにはない。反米愛国の単純化でもない。日本固有の歴史と文化は、あくまでも生きた言葉で残せば良かった、死に体の思想も生きた言葉で残せば良かったのだ。
そんな観念論なんか聞きたくないんだよ、という異論は直ぐにかき消されたが、今では最もらしいその言葉は、当時の世界的な潮流の前では無力であり、もしそのような議論にいければ、少なくとも継続する思想として、肉体の一部位は持ち得たのだ。
226事件からわずかに30年後、226事件の再現を夢見みた無理やりの強引な殉職劇に肉体を捧げた三島は、言霊と英霊の二つとなった。
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