パピチャ 未来へのランウェイのレビュー・感想・評価
全44件中、41~44件目を表示
アルジェリアに生きる女性の物語は母と姉から受け継がれ、そして友の娘へと引き継がれていく
女性の生きづらさや閉塞感という点では、日本や韓国と驚くほど似ている(ちなみに2019年のジェンダーギャップ指数は韓国が108位、日本121位、アルジェリア132位)。韓国でのジェンダーギャップを描き、日本でも話題になった、「 82年生まれ、キム・ジヨン」での女性の息苦しい社会を想起させる(日本はジェンダーギャップの社会課題にきちんと向き合った映画すら制作されていない)。
しかし、日韓との決定的な違いは、アルジェリアでは女性が声をあげることは生命の危険に直結することだ。
アルジェリアの90年代は「暗黒の10年(La décennie noire)」と呼ばれ、独裁政権と反政府組織(イスラム原理主義者)が衝突し、一般市民含めた10万人以上の犠牲者を出している。この作品でも原理主義者や彼らを支持する市民が登場し、ヒジャブの着用を強制する同調圧力が伝わってくる。所々で描かれるテロの現場は凄惨かつとても痛々しい。
「大変だよね。でも、あれはイスラム教の国だから私たちには関係ないし…」と他所ごとですまされる話だろうか。ヒジャブ着用が議論になっているので宗教的な背景に目がいきがちだが、問題の背景は男尊女卑の世間の根深い意識の問題だ。そういう意味では日韓も根っこは同じ。また、日本においても社会の分断が深刻化し、ヘイトや不寛容からの暴力性は深刻化する一方だ。
Mounia Meddour監督がこの作品で提示される社会課題はどこの国でも起こりうるものとして描きつつ、決して希望は捨ててはいけないと最後のシーンはポジティブに表現している点に共感を覚える。
アルジェリア独立戦争を経験してきた母親の姿は強く美しい。姉は最後までジャーナリズムの正義の精神に生き、Nedjmaはファッションで女性の生きる自由を表現しようとする。自由を求めて海外に行くのではなく、あくまで国内にとどまって闘って生きていく姿勢を捨てず、友人の生まれてくる「娘」にもその想いを伝えていこうとする。
彼女たちの希望を捨てずに生きる姿勢から私たちが学ぶべきことはたくさんあるはず。
自分の娘にもぜひ観てほしいと思う。
勉強にはなった
アルジェリア国内の情勢については殆ど知識はない。
この作品を通して初めて知る事も多くとても勉強にはなった。
今現在どこまでアルジェリア国内の情勢、風情、文化に
変化があるのかは恥ずかしながら分からないが、あくまでこの作品内で描かれているアルジェリア国内を見る限り日本と比較すると非常に自由に制限があるように感じた。
もちろん背景には異なる歴史や宗教などもある。その為豊富な知識がない上で一概にどちらが良い悪いは分からないが、特に女性にとっては日本に限らずよその国と比べたら自由に制限があるのは事実だろう。
主人公のネジュマはもっと広い自由を求め抗うわけだが、この抗う描写が僕個人としてはあまり心打たれる事がなくいくつか疑問を抱いてしまう鑑賞となった。
ネジュマが求める自由はなにも間違っていない。ただその行動に強い責任や意思があまり感じる事はできなかった。暴力には暴力をという姿に見え時折不快感を覚える。まぁこの辺の表現は文化の違いが大きく出てるのかもしれないが荒々しい場面が多く見ていて疲れる。
メッセージ性は伝わり、決してアルジェリアの縛りある文化に強く共感する事はないが戦い方が好ましくない。映画作品としてはあまり興奮や魅力を感じる事はなかった。
タイトルなし
デザイナーを目指すネジュマ
夢・自由を求め大学で学び夜遊びもするが
行動は監視・制限
死にたくなければヒジャブをつけろと
着用を強要もされるが
自由を求め
ハイクを使ったファッションショーを行い
抵抗する
.
.
試写会後のAfter talkに監督登壇
.
1990年代のアルジェ
15万人ものの人々が亡くなったとされる
アルジェリア内戦(暗黒の10年)
1990年代に青春時代を過ごした若者たち
ムニア・メドゥール監督もその一人。
アルジェリアを離れたことにより
客観的に見られるようになったという。
自身の記憶を辿り
イスラム原理主義による女性弾圧
国内テロとの闘いを内側から
女性の姿・その立場から描いた
実話から生まれた物語。
当時の若者の心にはトラウマが残るという
この映画はアルジェリアでは上映中止に。
女性たちの心の叫びに耳を傾ける
声をあげるきっかけにと
監督は語っていました
全44件中、41~44件目を表示