パピチャ 未来へのランウェイのレビュー・感想・評価
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イスラム社会の男尊女卑
1990年頃のアフリカ北部アルジェリアでデザイナーを目指す女子学生がイスラム原理主義の弾圧の中、寮内でファッションショーを行おうとする話。
女性は髪や体を隠すヒジャブを着るべきで、ファッションなんてとんでもない、というイスラム原理主義が強い時代のアルジェリアが舞台だが、現在もこうなんだろうか?
髪の毛を隠す服装じゃないという理由だけで家の前で撃ち殺されたり、女子寮に銃を持って入ってきた男達に銃殺されたりしてた。ちゃんとした裁判も無さそうだし、有っても、イスラムの教えを守らない奴が悪い、って事になるのかも。
アメリカの友人もイスラム教徒だが、女性はもっと自由だった。地域によって厳格度合いが違うのだろう、と感じた。
女性が不自由な社会って、よその国の事だけのように思うのではなく、男尊女卑なのはまだまだ日本でも残ってるのだから、自分の周りでも女性の自由について常に考えることが大切だと感じた。
良い作品です。
女の子が戦う理由。
パピチャ(PAPICHA)とは、アルジェリアのスラングで、「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味をもつそうです。映画HPより。
90年代にアルジェリアで内戦があったことは、知りませんでした。
アルジェリアと言えば、フランスの元植民地で、その後独立して、アフリカの北のほうの国だから、多分イスラム圏で、地中海に面しているんじゃなかったけ?くらいのしょぼい知識しかありません。
それでも十分わかります。力作だと思います。
90年代のある時点で、大学生である女の子たちが、寮内でのファッションショーをやろうとするけれども、原理主義者が女の正しい服装をしろとのプロパガンダをうってくるし、もともと女性の地位は低いし、女子の寮生はなんか差別されてるっぽいし、前途多難…というお話です。
女の子があつまってきゃっきゃうふふと楽しむ描写がたくさんあって楽しくて軽やか、なんですが、突然人が殺されたり、原理主義グループによる検問とかもあってスリリングです。
主人公のネジュマは、父親がいなくて母親がやさしいので、割と自由に育った様子です。
洋服を作るのが好きで、その年の子らしく楽しいことが好き。
寮を抜け出して、クラブへ行ってトイレで自作のドレスを売ってます。
お姉さんのリンダはジャーナリストなのですが、なんか思惑ありげな表情をしてると思ったら、お亡くなりフラグだったようで、ネジュマとともに訪れた実家にて、突然リンダを訪ねてきた女に銃殺されます。
お姉さんが殺されて落ち込むネジュマですが、お姉さんが最後にキレイと言っていた布でファッションショーをやろう!と決めます。
大学のお友達と協力して、準備を始めますが、今まで協力的だった門衛さんはいきなり体で払えやと脅してきたり、壁の穴がふさがれて外出できなくなったり、友達の一人が妊娠(相手は恋人)しますが、兄に別の男と結婚させられる予定で、どうしていいかわからない。
また、ネジュマは別の友達とグループ交際を始めますが、友達の彼氏が男尊女卑野郎で、女は「正しい」服装をして家にいればいいとかゆうので、友達の彼氏とけんかになります。
ネジュマの彼氏のほうは、原理主義がはびこるこの国にはいられないということで、国外へ出ていくのでネジュマについてこいと言います(かなり上から偉そうに)。
ネジュマは彼氏の誘いには乗らず、怒って帰宅しますが、寮の部屋が荒らされて準備してきたドレスがめちゃくちゃ…
学内でもこの状態なので、ファッションショーはやらせられないと寮母さんに言われますが、何とか開催をもぎ取る。
で、何とかファッションショーは実施されたのですが、原理主義者たちに踏み込まれ銃撃され・・・
多分生き残った学生は、退学させられたか退学したかで大学を後にします。
ネジュマは母の住む実家へ帰りますが、妊娠した友達が兄に殴られて、家を追い出されてネジュマの家に来ます。
じゃ、一緒にくらそっかという感じになり、中庭できゃっきゃうふふと楽しんで、多分映画は終わったと思います。
全部事実ってわけではないのでしょうが、90年代のアルジェリアの女の子の現実とは、押しなべてこのような感じだったのだと思います。
ネジュマをはじめとする女の子たちが悪い点はひとつもありません。
楽しんで、恋して、夢を見て、勉強して、、、、、、、人権として保障されるべきことをやっていただけ。
なんだけど、それが許されなかったんですね。
そんななかでも女たちの連帯があり、なんとか希望は残ったという印象です。
イスラム原理主義による弾圧は、ちょっと横へ置いておいて、出てきた男性たちを見ていて思ったことがあります。
それは、原理主義者がいう「正しい」女性像を、周囲の女たちに強いることで、自分の鬱憤を晴らしているように見えたということです。門衛さんとかね。
彼らは「正しい」女性像なんて別に信じてないし、自由に商売もできないし、うれしくないけど、きな臭い世界で自分がうけるとばっちりを女をいじめて発散しようとする男、に思えました。
現代にもいるぞ、と思いました。わたしも知っている情景だと思いました。加害者は男に限りません、女だってやっています。
のびのびできない苦しい社会・生活の中では、人をいじめる気持ちよさが選び取られてしまう。ということなんだと思います。
女性への抑圧が大きい国で上映してほしい
宗教的、かつ複雑な国家事情の中でも夢を追う
サクセスストーリー的な作品かと勝手に思い、
見終わったらスカッとできるかなー?なんて、、、
甘かった。。。。いや間違ってました。ナメてました。
グリバリの社会派ドラマでした。
映画ポスターのイメージからなぜ本国で上映を
拒まれているか?わからなかったのですが、
観て合点がいきました。
1990年台の内戦時代のお話ではありますが、きっと女性の
生き辛さは継続しているのではないでしょうか?
狂信的な人々の暴走や、男性の暴力や都合が彼女らの行手を阻むでしょう。
習慣や風潮に抗って自由を求める彼女達は、きっとなんども打ちのめされ、
おきあがり、また打ちのめされるのでしょう。
何度も泣いて何度も傷ついて、何度も立ち上がって欲しいと思います。
この作品を観ている中、僕も何度か打ちのめされました。
「どうして!」
「なんで!」と。
言葉にならない叫び声をあげたくなるほどでした。
人間としての悦びや自由に生きることを得ることがこんなに大変だとは。
国やそこで生きる民、文化、宗教を否定はしません。
しかし、価値観の多様化には対応できないものか?
と、この映画をみて辛い思いになりました。
続く抑圧、しかし逞しく、しなやかに生きて欲しいと願います。
ラストシーンに女性の尊さと強さが詰まっています。
ぜひ、この作品は世界中の方々に届くことを祈ります。
日本は幸せ
159本目。
神だ、宗教だ、戒律だと思考がショートカット出来る便利さと、不自由さの葛藤。
90年代とは言え、今も差程変わりないんだろう。
日本に生まれて良かったと思う。
凄く意義のある作品だと思うけど、主人公の女性がいちいち感情的になるのが、観ていて
ストレスかな。
知ることからはじめたい
90年代のアルジェリアを舞台に、女子大に通う女性たちが、命懸けでファッションショーを開くまでの物語。
冒頭にクレジットが入るように、実話をもとに作られた作品のようです。
真夜中に寮を抜け出しクラブに向かうところからはじまり、
タクシーの中でワンピースに着替え、化粧をして、ノリノリの音楽をかけて、煙草を吸う主人公と友人。
その楽しそうな様子にこっちまで笑顔になりますが、
タクシーが検問所を通るときに、一気に雰囲気が変わります。
銃を持った覆面の男たちが車を止め、運転手やトランクを徹底的に調べ、少女達にも「どこへ行く、女は家にいろ」と威圧する。
その時、青春を謳歌する少女たちの物語であると同時に、90年代アルジェリアの実情、空気、息苦しさが伝わってきました。
主人公のネジュマは服を作ることが好きで、将来はファッションデザイナーになることを夢見る、芯の強い女性。
作中、お洒落を楽しみ、友人との時間を楽しみ、恋をして、夢を見て、ファッションショー開催を目指してドレスを作る描写と、
「女は家で家事をしていろ」「ヒジャブを身につけなければならない」「肌を露出するな、正しい格好をしろ」「外国語を勉強するな」「煙草を吸うな」「外国の歌を歌うな」などを強制させられ、従わない者はただそれだけで殺されるという、息苦しい以上の、神の代弁だと力を振りかざされる残酷な様子が描かれる。
どんな場面でも恐怖が付き纏う。命が簡単に奪われる。それが恐ろしかった。
そんな状況でも、主人公は負けず、恐れずに立ち向かっていきます。
この作品はすごくアップや寄りのカットが多く、多過ぎるくらいで途中からちょっと疲れてしまうのですが…
でも、その撮り方だからこそ彼女たちの情熱や強さが、表情から指先から視線から伝わってくるような気もしました。
様々なことがありながらも寮内で開かれたファッションショーは、本当に美しくて、素晴らしくて、キャストの表情も胸にくるものがあって、涙が出ました。
好きな服を着る、ただそれだけで命を奪われるなんてことがあってはならない、許されてはならない、その歴史があったことを忘れてはならない。
不公平で残酷な現実と立ち向かい、夢を叶えた女性たちの姿は、本当に本当に素敵でした。
だからこそ、その後の展開は、何となく悪い予感がしていたものの、涙が止まらなかった。
一方的な悲しみ。
何でこんなことが起こるんだ、許されるんだ、何の権限があって彼女たちの人生を、夢を奪うのか。
辛くて辛くて仕方がなかった。
恥ずかしながら私は、アルジェリア内戦の歴史や、女性が受けていた差別や、宗教についてを全く知らなかったです。
20年ほど前にこんなことが起きていたのかと、衝撃を受けたし、怒りが湧いた。
昨今、フェミニズムがブームとなり、定着しつつあります。一部の人はフェミニストを馬鹿にしたり、やり過ぎだと毛嫌いしたりしますが、そんなの知るか!と思いました。
確かに、男性を落として女性を上げる的な、間違った論を叫んでしまう人もいますが、元々は女性の立場や権利を男性と同等にするべきというもの。
この映画で見たような、女性というだけで様々なルールを課せられ命を奪われた歴史があるということ、それは今後絶対に無くさなければならないこと、そういう一つの背景もあっての今のフェミニズムという形があると思うので、
やはりこれはしっかりと全女性、全男性が改めて考えるべきだと思った。
映画としての出来栄えとかストーリーだとか云々は一旦置いて、こんなにも心動かされ、映画を観て自分の思いが溢れたのは久々でした。
それだけで私にとっては素晴らしい映画だと思っています。
タイトルにも書きましたが、まずは歴史や出来事を知ることからはじめたいです。
どんなことも、人が知ることから議論され、問題視され、変わっていくはず。
変わるためには、変えるためには、知らなければならないと思った。
運命って決まっているのかもしれないけど…
生まれる国も自分で決められるものではないけれど生まれた場所は愛すべき故郷。運命と言うには苛酷すぎるなー。本国では上映禁止になったらしいしまだまだ自由な国ばかりではないんだと。女性弾圧のならわしが当の女性からもうけるんて…やってるほうはそれが正義だと考えているんだろうし…難しい…。
人類に平和は訪れない
日本にも戦前には特高(特別高等警察)という組織があって、天皇制政治に反対する人々を取り締まっていた。「蟹工船」で有名な小林多喜二は特高に捕えられ、拷問を受けて獄死した。太平洋戦争が行き詰まるにつれて国粋主義が国中に蔓延して、派手な格好をした女性を愛国婦人会が注意するような場面もあったようだ。酷い時代だった。
しかし本作品のアルジェリアの状況は、悲惨さの点で日本の戦前の状況を遥かに上回る。それは日常に武器を携えたイスラム原理主義のゲリラがいるということだ。イスラム原理主義者は男女の別なく存在し、暴力的、攻撃的である。時として重装備だ。安全な場所などどこにもない。
主人公ネジュマの服飾デザインに対する情熱は並ではない。服飾と言えばパリコレクションに代表されるようにフランスのパリが究極の発信源である。アルジェリアは帝国主義時代のフランスのアフリカ横断政策によって19世紀のはじめ頃からフランスの植民地になっていて、フランス語が広く行き渡った。現代では公用語はアラビア語だが、一般で使われるのはフランス語だ。本作品のネジュマもフランス語を話す。服飾デザインをやりたくてフランス語が話せるなら、パリに出て勝負してみると考えるのが当然のような気がするが、ネジュマはそうしない。そして武装ゲリラがあふれるアルジェリアで無謀な行動に出る。
イスラム原理主義の恐ろしいところは、その不寛容さにある。一般に人間が腹をたてるのは、主に被害意識である。物理的、金銭的に損をしたとき、自分や家族を身体的に傷つけられたとき、人格を蔑ろにされて自尊心を傷つけられたときなどだ。しかしイスラム原理主義者の怒りは自分の被害にとどまらない。他人が反イスラム的であったりハラムであったりすることが我慢ならない。そして彼らは武器を持っている。ネジュマのように、愚かな人たちが信仰をたてに暴走しているだけと割り切るにはあまりにも危険である。
弱い人は自分の価値観を信じきれない。だから自由を恐れる。生きる拠り所がないからだ。だから自由を投げ出して宗教に価値観を委ねてしまう。教えられたとおりに生きるならそれほど楽なことはない。しかし自由への未練は残る。だから自分が捨ててしまった自由を謳歌する人が許せない。街でヘイトスピーチをする人々と同じ不寛容な精神性である。
イスラム原理主義者に限らず本作品のような精神性が世界に蔓延していて、更に増え続けているとすれば、人類から戦争は永久になくならない気がしてくる。現実主義者はだから武器が必要なのだとせっせと兵器開発に勤しむかもしれないが、武器があるから原理主義者が過激になるという見方もできる。日本で武器の売買が自由だったら、重大犯罪の発生数は現在の比ではないだろう。武器を取り締まることが犯罪を重大化させないことでもある。ナイフや包丁で人を殺すのは大変だが、大型の拳銃なら非力な人間でも人を殺せる。
人間が臆病なのは臆病であることが生き延びるのに必要だからだ。武器は人間から臆病さをなくし、変な勇気を与えてしまう。寛容と言葉による話し合いを放棄して暴力で他人の自由を封じ込めるのが武器だ。ヘミングウェイが「武器よさらば」を発表したのが100年近く前の1929年。何年経っても人間は弱くて武器に頼る。人類に平和は訪れない。
自由とは
90年代のアルジェリアで起きた内戦を背景に女子大生たちがイスラム原理主義者からの暴力に屈することなく新しい女性像を切り開こうと奮闘する姿を描いたヒューマンドラマ。授業中に黒いヒジャブを来たイスラム原理主義者の女性たちが教室に乱入し外国語教育の廃止を求めるシーンが登場したが、逆らう者には暴力で服従させようとする姿勢は恐怖でしかない。
にしても主人公は、この様な状況に置いて自由奔放過ぎやしないかと疑問に思った。命が懸かってる社会状況と言うのにファッションショーを開いたりとか。
体制に対する反抗なのだろうが、それにしてもだ。一度やなく何度ともなく危険な事であると助言を受けているのに。
ただラストは微かな希望を抱かせるものとなってるところに救いがあった。
ちなみにパピチャとは「常識にとらわれない自由な女性」という意味らしい。
女性のエネルギーを感じた
イスラムの社会で女性はかくあるべしとの規範にがんじがらめになっていることが分かる。その一方で主人公たちが日々それと闘い、傷つきながらも、国に留まって進んでいこうとする姿に、女性の強さを感じる。画面の作り方などには、時々?と感じた。
普通の青春物語もままならない
90年代の内戦中のアルジェリアで、イスラム原理主義と戦いながらファッションショーを開催しようとする女子大生達の物語。
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イスラム教の女性はビジャブっていうベールを被って髪の毛を隠さないといけなくて、厳しいと目以外全部隠してたり、未婚既婚でかぶり方が違ったりするらしい。
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そもそもこのビジャブを被る理由は男性は女性の魅力に弱いから女性は美しい部分を隠せってコーランに書いてあるらしい。この理屈が完全に性被害にあった女性に服装が悪いとか色目使ったんだろっていうクズと同じなんだよな〜こんなこと宗教に書いてあるのがびっくり。今は時代が違うから緩くなってるところもあるのかもしれないけど。
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普通の国なら、色々あったけどファッションショーを成功させたっていう青春物語になるけど、そんな普通の物語すらアルジェリアでは叶わない。
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女性の権利が低い国ほど女vs女になる気がして、ハリウッドだと男vs女だけど、この映画、ビジャブを被った女性と主人公達の対立がある。まずは女性の意識を変化させること、男性に理解してもらうのはまだまだ先。
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私は日本だって、まだ女vs女だと思ってる。日本はアルジェリアと違って目に見えないところでそういうのがあるから余計タチが悪い。
自分らしさを押し殺す生き方が信仰なのか
宗教やそれに基づく文化を否定する気はない。
でも、かつてロンドンにいた頃、日本より圧倒的な多さで、よく見かけた本作にも出てくるヒジャブとニカブは、私に好奇心と疑問を抱かせた。
この生き方に疑問を持つことはないのだろうか、と。
その頃から持ち続けている気持ちが、この映画にひかれた理由でもあって。
暗黒の90年代と呼ばれるアルジェリアを舞台に、自分らしさを求めた大学生のネジュマと周囲の人々の話。
自らも内乱の時代に家族と共にフランスに移住した監督の半自伝的な話だという。
ネジュマ役の子の美しさ。
目鼻立ちの整った愛らしさもある顔立ちと、その豊かな長い髪と、どの服もよく似合う体型。
ファッションに興味があり、自らも服を作る。
でも、当時のアルジェリアで求められ始めていた女性の生き方は、そのほぼ全てを隠すように生きることを強いてくる。
それが女性の生き方だ、と。
ネジュマは、逃げずにそれと真っ向からぶつかり続ける。
けれど、数々の過酷な運命が、彼女に襲いかかる。
ただ、自分らしく生きたいと、生きようとしているだけなのに。
「女は家から出ずに信心深く暮らせ」
「外国語を学ぶ必要はない、ヒジャブをかぶれ」
「死にたくなければヒジャブをつけろ」
「女が正しい服装をすれば、何の問題もない」
予告編に出てくるこれらの言葉たち
正直、理解できなかった
本編を見ながら、おそらくこの生き方が出来ない私は、思わずにはいられなかった
この信仰や、それに基づくこの文化は、それを望まない人の命を奪うほどのものなのか、と。
女性が女性である前に、ひとりの人間として、自分らしく生きようとする、その自由と選択を奪うほどのものなのか、と。
本国では上映禁止になったこの作品、ネジュマや彼女の周囲の人のような人々が、少しでも自分らしく生きられることを、願ってやまない。
死と背中合わせの青春
自由を謳歌したい、自己主張したいお年頃なのに、死と背中わせ。
同じ教徒であっても、思想が違えば異教徒扱いなのね。
性欲を抑えさせる為に臭化カリウムを混入した給食を出すとは…
幻想的な雰囲気を断ち切る現実
自分目線でいうと、エスニックで幻想的な雰囲気・・・が、それが突如の如く信じがたい現実でぶったぎられる・・・それの繰り返しだったという印象。
「PAPICHA」とは… アルジェリアのスラング。「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」という意味を持つ。─と、グーグル様が申しておりました。この意味を知っているだけでも、観賞の手助けとなると思います。
ちなみに、世界経済フォーラムなるところが男女格差を測るジェンダーギャップ指数なるもので格差の国別・地域別ランキングを発表していて、2020年は日本が121位、アルジェリアが132位、これが観賞に役立つかどうかは分からないが、極論、日本の現状はアルジェリアとそう遠いものではないと世界は見ているということを意識しながら観賞するだけでも、没入できるかもしれません。
肝心の映画の内容はというと、幻想的な音楽や映像は素晴らしいけれど・・・とにかく酷い!あまりに偏った描かれ方だとは感じるけれど、酷いことをした輩にどんな理由があったにせよ、決して肯定できない出来事が突如の如くバッサバッサと─。最後に訪れるのは、果たして希望か絶望か─、個々人で確かめてください。
アルジェリアのパワフルな女の子たち
アルジェリアが舞台の映画は初めて。
どんな風にパワフルな女の子たちなんだろう。
チラシを手にした時から楽しみにしていました。
ただ「女の子」であるだけでどれだけ行動を制限されているか。
日本も無縁の話じゃありません。
私自身は70年代生まれの40代ですが、10代の頃いつも窮屈さを感じていました。
「女の子」というだけで、有形無形の制限がたくさんあるのです。
スカートの丈は短すぎないように、奔放な振る舞いをしないように、一人で遠出しないように、言葉遣いに気をつけるように・・・などなど。
女の子だから大学じゃなくて短大で充分、という考えの女友達もいました。
ところがアルジェリアの場合、そうした圧力に抵抗しようとすると命がけとなってしまいます。
劇中、宗教を理由にヒジャブを強要する人たちに対し、「あの人たちは無知でそう信じているんだ」というようなセリフがあり、ヒヤリとしました。
そんなにハッキリ言っては、アルジェリアで上映禁止になるのもさもありなんですね。
女性への暴力や抑圧に対し、力強く抵抗し立ち上がり、折れかけ、そしてまた雑草のように立ち上がる。少なくとも、この女の子たちは10代だった私よりもずっとずっと勇敢です。彼女たちのその後が見たい。
そして、自分の出自を生かして母国の現実をあぶり出し、世界へ提示してくれた監督にエールを送りたいという気持ちを込めて星4つ。
日本の女の子たち、男の子たちにも見てほしいです。
【エンディング……】
このエンディングをどのように感じるか……。
アルジェリアは、1962年のフランスからの独立後も長い間、政情が安定したことはないように思う。
昔、バックパッカーをしてた時に、モロッコからアルジェリアに入ろうとして、ルートによっては危険だからやめた方がいいとアドバイスされて、素直に考え直したことを思い出す。
この作品は、暗黒の10年と呼ばれる90年代のアルジェリア内戦の時代が舞台だ。
だが、自分が入国を諦めたのを考えると、出てくる女性の現代的な出立ちや、煌びやかなビーズ、フランス語の会話、アメリカの音楽など、当時は想像もしなかったことばかりだ。
植民地時代からフランスの文化が大きく影響していたのだろう。
一度自由の息吹を感じたら、後戻りするのが困難なのは、世界のどの国でも一緒だろう。
話しは変わるが、モロッコのカサブランカも近代的な都市で、女性も現代的なファッションをしていた。
ただ、イスラム世界には、イスラム原理主義とか、イスラム復興主義と呼ばれるイスラム法に従って生きるのが最重要という考え方が根強くあり、これは常に自由主義や民主主義と対立している。
よく知られたのがアルカイダやタリバンだ。
そして、特に女性には戒律が厳しく、一夫多妻も特徴だ。
最近、サウジアラビアでは女性が車の運転が解禁されて話題なったが、ヒジャブはきっと必須のままだ。
宗教のことをあれこれ言うのは難しい。
アイデンティティにも関わる問題になりかねないからだ。
しかし、原理に従って、正当な裁判もなく、めたらやったら人を殺しても良いような思想原理などあり得ないだろう。
異なる宗教に対しての攻撃や他国へのテロも同様だ。
ただ、僕はこうした原理主義の背景には、資源ナショナリズムが強くあるように思う。
資源が潤沢にあって、有能な人材や他の産業を育成する必要もなく、特定の階層だけが、豊かで努力や忍耐などなく潤っていれば、それで良いと思う人は少なからずいると、下世話だが思う。
車での移動の中の会話を聞いていても、女性は従属的で、何も言わず、家にじっとしていてくれれば良いというように思う男性が伺える。
バカバカしいが、きっと真面目にそう思っているに違いないのだ。
そして、政府と対立するアルジェリアの原理主義派は、資源の利権を内戦に乗じた暴力で奪取して、これに反目する考え方の人間には銃をぶっ放して、殺したり、黙らせれば良いと、実は、イスラム法典に具体的に書いてないのに、原理主義の指導者が勝手にイスラム法を解釈して、それを流布して、自分たちは許され、救われると信じて疑わないのだ。
だが、時代は変わりつつある。
原油が枯渇しつつあると言われていたアメリカが、シェール原油やガスの産出量が復活して、中東諸侯やロシアを抜いて、世界一となり、だが、一方で、国際エネルギー機関(IEA)や石油輸出国機構(OPEC)は、世界の化石燃料の需要見通しは、再生可能エネルギーの効率化や、地球温暖化を食い止める世界的なムーヴメントで減少の一途だと予想している。
主要なエネルギー供給国には散々な見通しだ。
世界一の産油国サウジアラビアでさえ、ほかの産業育成が急務だとしているのだ。
アルジェリアも天然ガスを中心に化石エネルギーの豊富な国だ。
この利権は、政府、反政府派の戦いの中心だ。
リビアも似た状況だ。
でも、世界は変わりつつある。
だから、この映画のアルジェリア国内での上映を拒んだり、アメリカのアカデミー賞に圧力をかけて出品を妨害したりしないで、もっと国際交流を図ったり、女性の社会進出を図ったほうが、今後の国としての生き残りのためには重要だろう。
最後の場面、当時、こうした光景が実際にあったのだそうだ。
やるせなさを感じてため息をつくのか、
怒りの感情を呼び起こすのか、
パピチャがアルジェリア出身の女性によって作られたことを考えて少しでも事態が改善していると思うのか、
時間がかかりすぎと感じるのか、
世界的にこの映画が上映されて出来るだけ多くの人の目に留まり、問題意識を共有出来れば良いと願うのか、
人それぞれだと思う。
救われない光景で、当時のアルジェリアの惨状が明らかになり、憂鬱にもなったが、それでも、女性達の強い意志には変わりがなく、こうした映画が作られたのだと僕は思う。
だから、少しは明るい気持ちを保ちつつ、世界の人々がこの状況を共有して、問題意識として心に留められたら良いと心から願う。
紛争や戦争の芽
1990年代のアルジェリアで、ファッションデザイナーを夢見る女子大生が文化と時代と国に抗い生きる話。
イスラム原理主義者が力を増して行く中で、ヒジャブをつけずハイクを着ず寮で暮らす主人公。若い頃のジェシカ・アルバにちょっと似てる。
主人公以外にもヒジャブをつけていない人がかなり多かったのが個人的には意外。
検問所を偽った原理主義者による宗教感の異なる人物の殺害事件が頻発していき、学校内でも外国語の抗議にすら異議を唱える一団が現れたりとまともじゃない。
でも、これが当時のアルジェリアのリアル。
信仰もその深さも自由だけど、自己完結でと切に願うよホントに。
そんな中、主人公の近くにも影響があり、寮内でハイクを使ったファッションショーを開くことを思いついて行く。
主人公もイスラム教徒だし、生まれた国に対する思いもあるしという葛藤や、身の危険をおぼえる葛藤の中で、仲間たちと共に「生きる」決断が、恐ろしく力強くとても響いた。
全44件中、21~40件目を表示