「継ぐものと断ち切るもの」コリーニ事件 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
継ぐものと断ち切るもの
ユダヤ人思想家ハンナ・アーレントがいうところの「凡庸な悪」と、戦後のナチスについてと、他にもいくつか、多くのことが盛り込まれたとても面白いストーリーだった。
「凡庸な悪」とは、ざっくり説明になるが、人が考える事をやめた時に、命令だから、任務だからと行為を正当化し悪を成すこと。本作では事件の被害者ハンスがこれに該当する。
老いたハンスと若きハンスはとても同じ人物とは思えないほどに違う。
ハンスが本当にナチスの思想にどっぷりだった場合、仮に反省し考えを改めたとしてもトルコ人少年であった主人公を可愛がることはできなかっただろう。
つまりハンスは、戦時下の狂気に飲まれ人間的な思考を放棄し、ただ真面目に任務を遂行しただけの人なのだ。
一見全く別人のような二人のハンスに「凡庸な悪」とは何かが潜んでいる。とても良い人に見える老ハンスでさえ「凡庸な悪」により極悪非道になれるのだ。
勘違いしないで欲しいのは「凡庸な悪」を理由にハンスを擁護しているわけではないということ。
彼は裁かれなければいけない罪を犯した。
では何がハンスを守っていたのかが本作の一番の見所である。1969年に施行されたナントカ法だ(名前忘れてスミマセン)
これに、最初に書いた戦後のナチスが絡んできていると思っている。
ナチ党とはどこからともなく沸いて出てきたのではなくドイツ国民が選挙で選んだのだ。独裁になってから暴走し始めたことや、ナチ党おかしくね?と心変わりした人などいるだろうが、スゴく極端な言い方をすればドイツ全てが親ナチだったのだ。
それが戦争が終わりナチ党がなくなった瞬間にナチスは一人もいなくなったのか?もちろんそんなわけはない。
罪に問われなかったナチスやうまく誤魔化したナチス、罪は犯さなかった親ナチ、それと国外から戻ってきた人、そういった人たちが戦後のドイツの国家運営をしたのだ。
終戦から24年。まだ若かったナチスや親ナチの人が力を得て、今後自分の罪を問われないようにするために作った法がナントカ法だったのではないかと思うのだ。
親衛隊だったハンスをナチス残党が作った法で国が守っていた。これに対しコリーニが個人で復讐をするのが事件の内容だ。
コリーニを演じたフランコ・ネロの演技が最高で、ほとんど話さず動きも少ないが、ちょっとした表情の変化や仕草は多くを語りかけてきた。
ワルサーを使うことでハンスにこれから起こる事を悟らせ、察したハンスは無抵抗にそれを受け入れた。
死者は復讐を望まないの言葉の通り、事情はどうであれコリーニは自分の望みのためだけにハンスを殺したのだから、無抵抗なハンスのように自ら命を絶ったラストも秀逸だ。
コリーニは自分の減刑を望んでいない。罪には裁きをという思いには自らも該当する。
コリーニが知りたかった正義と理由を主人公カスパーが明らかにしたことは、コリーニに安らぎを与え同時に命を縮めた。安らかな死と続く苦しみという点で加害者のコリーニと被害者のハンスが重なるのもいい。
そして重なる人物はもう一組いる。主人公カスパーと彼が法廷で戦う相手であるマッティンガー教授だ。
若く力もなかった教授がナントカ法がおかしいと気付きながらも逆らえなかっただろうことは容易に想像がつく。
そして今、目の前で、かつての自分ができなかった事を成そうとしている若き弁護士の姿がある。
証人台での教授のセリフの直前は緊張の一瞬だ。
彼の言葉は依頼人を裏切る発言かもしれない。しかしもっと根っこにある信念を二度も裏切れなかったのだ。
受け継いではいけないものと受け継ぐべきものを同時に描き、且つ、問題提起し国家をも動かした原作はさぞ素晴らしかろう。
そしてなにより、ここまで書いた理屈っぽいことを抜きにしても、法廷ドラマとは思えないほどのスリルがあり面白いことがスゴい。
もしかしたら法廷もので過去一番面白いかもしれない。
タイトルが地味で記憶に残りにくいことが非常に残念。
鑑賞後の妻の一言
「イタリア、ドイツといえばやはりサッカー。ドイツサッカー界はトルコ系移民が背負っていくって作品だったな」
余計な論争になりそうな一言は控えて!