「正しいコミニケーションの大切さ」行き止まりの世界に生まれて KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
正しいコミニケーションの大切さ
恥ずかしならこの作品の舞台となるイリノイ州ロックフォードという町については詳しくは知らない。
その為この日常的な暴力がどれほど町に染み付き住民を苦しめてるのかは分からない。あくまでザック、ギアー、ビンこの三人がこの作品で描かれている姿を見て感じた感想としてはコミニケーションの大切さこれに尽きる。
主人公の3人達は幼少期から日常的に父親から暴力を受け、時には母親や兄弟などが暴力を受ける姿を見て怯えて育つ。
大人になった今ザックは妻に暴力をし、ビンは家族を作ることを強く望まず、そしてギアーは暴力が原因で父親と喧嘩別れしそのまま関係を修復できず他界した父親を今だに後悔し心を苦しませている。
彼らの父親の姿や発言は殆ど描かれていない為暴力の真偽や詳細はわからないが、あくまで彼らの発言通りに話を進めるのであればやはり暴力はポジティブな事はなにも生まれるず、暴力から解放されてもトラウマを植え付け何年も苦しませる恐ろしい呪いである。
ギアーは劇中で暴力があったから人の物を盗む事のいけなさを理解したと発言していた。人の物を盗む事は相手を傷つけるだけではなく、あらゆる人間関係を壊すからいけない。その通りである。
ただそれらを暴力じゃないと伝える事はできなかったのか。決してそうではないだろう。
もしかしたら言葉で伝えるには暴力で伝えるより時間は要するかもしれない。ただその苦労から逃げて暴力で伝える事に意味を見出しては決していけない事がこの作品を通しても改めて伝わる。
彼らの父親もまた暴力を受けて育ったのかもしれない。
その環境から育ったものがその負の連鎖を断つのは物凄く大変な事かも知れない。
ザックが大人になってから同じように暴力をしていた事もそうだが、ギアーのように暴力から逃げる事で育つとなにかあっても逃げる事で解決をしてしまう。それに関してはザックも同じような姿が描かれていた。
誰もが暴力に快感を得て傷つけることを目的としてしてるようには見えない。どうしてもコミニケーションに行き詰まると暴力で解決しようと、そして時には逃げ出すことで人生を送ってしまってる。
きちんとしたコミニケーションが取れていたらまた違ったポジティブな道を選択できたようにも思える。
ビンはカメラを通し母親と心内を明かしたコミニケーションを取る事で最後は幸せな関係を築く事ができたのではないか。
この作品を通して改めてコミニケーションの大切さを学んだ。そして同時に誰もがみんな正しいコミニケーションを取れるわけではない。時には失敗しネガティブな事が起きる事もあるだろう。ただその時に劇中でザックが発言してたようにさらにネガティブな事を起きる事に身を任せてネガティブな事に染まらない事であろう。
ネガティブな事やそれらが続いても決して下を向かずポジティブな事を目指して諦めず日々を過ごす事の大切さを改めて感じさせてくれた。