「いわゆる007」TENET テネット 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
いわゆる007
ショーンコネリーがカツラをかぶって一時的に復帰したネバーセイネバーアゲイン(1983)という007作品がある。
イオンの正規品じゃないが、わたしをふくめ、たいていのロートルは、ジェームズボンドといったらショーンコネリーでしょ──なので、ネバーセイは、ニッチだけど、けっこう愛された007映画だった。と思う。
この映画を見ながら、そのネバーセイネバーアゲインを思い出していた。
敵役はクラウスマリアブラウンダーというオーストリアの俳優。
メフィスト(1981)というアカデミー賞をとったハンガリー映画ですごく有名になった俳優だった。
かれが、ちょうどこの映画のブラナーとデビッキの関係のように、脅迫的に妻(キムベイシンガー)を支配していた。
で、その妻はボンドとデキていた。独占欲やら嫉妬心やらで、怒り倍増しているクラウスマリアブラウンダーが本作のケネスブラナーに重なったのに加え、船上のできごとなのも、あの映画を思わせた。──のだった。
そう思ってみると、むずかしい映画じゃない。
映画上は冷戦から世界を救う話だけれど、観衆にとってみれば、独占欲が超強いDV夫のセイター(ブラナー)からキャット(エリザベスデビッキ)を救い出す話。
007同様情報部のような組織があり、007同様超人的活躍があり、007同様主人公はタフでかっこよくて女にやさしい。
遡行・逆行をすべて武器とみるなら、たんじゅんでさえある話ではなかろうか。
ジョンデヴィッドワシントンのタフガイっぷりが堂に入っていて、エリザベスデビッキはなん頭身あるんすかとおたずねしたくなる超スラリで優雅、ケネスブラナーはふてぶてしさががっつりあらわれ、じょうずだった。
直近のBlacKkKlansmanで、コミカルなジョンデヴィッドワシントンを見ているせい──なのかもしれないが、あの役からこの役へ飛んでしまう、ノーランのキャスティングセンス。慧眼だと思う。
来歴を見たらアメフトのプロプレーヤーから役者へ転身したとのこと。どうりで──なっとくのヒーロー像だった。
バックでながれるサウンド/スコアがいつもながら独特だったこと、また個人的に、大型車輌がほとんどひっついて併走しながらプルトニウム奪取する作戦シーンが気に入った。
ところで、少年のころ夢中になった昔のSFでは、時空の往来をあつかうばあい、過去または未来のじぶんに会ってはいけないというジンクスがあった。じぶんに会ってしまうのはタブーであり、混沌への転落をいみしていた。
すなわち過去または未来のじぶんに関わると、未来も過去もメチャメチャになってしまうんだぞ──と往年のSF作家たちは言っていた。と記憶している。
それを犯しているゆえのカオスではなかろうか。編集が、これ編集者も、こんがらがっているんだろうな──としか思えない超絶の多元構造だった。が、意図的でもあったにちがいない。
SFで時空を行き来し、じぶんに会ってしまうと、それはSFから輪廻の話に変容してしまう。探究していくと、最終的には、じぶん自身に行き着く──という話になってしまうわけ。これもそんな話だったと思う。
ノーラン監督がすごく好きってわけじゃないが、トップランナーなのはわかる。
そのことを裏付けているのは、時間や量子力学などの科学的な要素/概念であろう。
それらの本格的な土台があってのクリストファーノーランだと思う。
ただ、映画のおもしろさをつかさどるのは、科学への造詣じゃない。じっさいわたしはネバーセイを思い浮かべたわけだし、ケネスブラナーはたわむれにロシア訛りの英語をしゃべっていたわけじゃない。冷戦ってことばが何度もでてくるし、逆立ちして見ても、これはひとつのスパイ映画だ。
わたし/あなたが、おいしいものを食べていて、何が入っているか当ててみろよと言われたら?映画はそんなことしない。おもしろかったらそれでいい。
万人向けの楽しい映画をつくっているノーラン監督のテネットを小難しく解説している文化人やライターのことを、権威主義者というのだ。