「難解な映画は何度も観る楽しみがある」TENET テネット SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
難解な映画は何度も観る楽しみがある
とても主観的な解釈としての感想を綴っていきます。
◽️この映画の魅力の本質
ノーランの作品のほとんどにいえることだけど、「目眩のする悪夢」を生々しい迫力で具現化した映像がすばらしい。ときどき、ものすごい世界観の頭がぐしゃぐしゃになる混乱した夢を見るときがあるのだけど、これをそのまま映像化したら、とんでもなく面白いのに、と思うときがある。ノーランはまさにそれができる稀有な監督なのだと思う。
◽️この映画を理解するのに、物理学や論理的思考が必要か?
結論から言うと、必要ないと思う。この映画は感性で見る映画だ。ストーリーと設定が極めて難しいのに、それを分かりやすくしようとはしていない。これは意図的なものだと思う。
なぜなら、この映画の世界観はもとから矛盾しており、論理的に理解しようとすればするほど、理解できないようになっているから。
話を分かりやすくしてしまうと、その矛盾性が露骨になってしまい、話に現実味がなくなってしまう。
その根本的な原因は、我々は因果律によって物事を理解しているが、この世界観では因果律が崩壊しているから。
その一つの証拠が、「回転ドア」の効果。回転ドアを使うと逆行した時間軸に入ることができるが、このとき、同じ時間の中に同時に同じものが二つ存在してしまうことになる(だから主人公は自分自身と戦うことが可能になった)。
また、回転ドアをくぐった瞬間、くぐった者は未来の時間には消滅してしまうことになる。
これは、科学の基本的な原理である質量保存の法則やエネルギー保存の法則に反する。
時間の矢やエントロピー云々の話以前に、最も基本的なところで科学的には矛盾した世界観である、ということだ。
◽️この映画のテーマ
ゴヤといえば、「我が子を喰らうサトゥルヌス」である。サトゥルヌスは時間の神であるクロノスのことだから、きっとゴヤを出したのは意図的なものだろう。
自分の子供を喰らうおぞましいサトゥルヌス(クロノス)が象徴しているのは、「現代人を犠牲にしても自分たちだけが生き残ればいい、と考える浅ましい未来人」だろう。
現代と未来の戦争といえば、ミヒャエル・エンデの言葉を思い出す。エンデは確か、こんなようなことを言っていた(うろ覚えです)。「第三次世界大戦はすでに始まっている。それは時間の戦争であり、戦っているのは、現代人と未来人だ。現代人は常に優先にある。なぜなら、現在人は環境破壊などの形で常に未来人に攻撃をしかけられるが、未来人(我々の子孫)はその攻撃を防ぐ手段が無いから」
この映画の「第三次世界大戦」は、エンデの言葉が由来である可能性があるように思う。
TENETの未来人は、現代人を全滅させても自分たちが助かればいい、と考えている、本当に最悪なヤツらだが、それは実は僕ら自身ではないだろうか?
未来人は単に現代人のツケを払わされているだけで、だからこそ、現代人を犠牲にして何が悪い、と考えるようになったのでは?
TENETのタイトルの通り、善悪がひっくりかえる。
◽️この映画の神話性(寓話的象徴性)
インセプションやインターステラー同様に、ノーランのストーリーはSFの体裁をしていながら、とても神話的だと思う。そこが、理屈を超えて無意識の肝にズシンと響いて、その神話的意味を探っていきたくなる。
・自分自身との格闘…
・セイターやキャットが、個人的な人間的な感情で世界の命運を左右するような行動をしてしまう愚かなところ(まるでギリシャ神話の神の振る舞いのよう)
・無知は武器。人間の最大の武器は、その不完全性、無知であることにある…。
・9つのパーツを集めると世界が滅びる…
・この映画全体がはじめから最後まで一枚の絵物語の巻物のように因果を越えた物語として描かれていること
・随所に言葉遊びの要素が隠れていること(TENET、オペラなどラテン語の回文が元ネタ)
◽️各キャラの象徴するもの
それぞれのキャラも深く掘り下げ甲斐がある深みがある。それぞれ、未来に対する考え方が異なる。
特にセイターとニールは、死の運命に対する受け止め方が対比されているように思う。
セイターは、自分が死の運命から逃れられないのなら、全てを道連れにしようと考えた。そこには、結果だけが意味を持つ、自分自身だけが意味をもつ、という考え方が底にある。
対してニールは、「起きたことは仕方がない」が口癖の、達観した死生観を持っている。自分が死ぬ運命を知っていながら、自分のやるべきことを果たそうとする。運命を受け入れ、全うすること、言い換えれば、生き方、プロセスに意味を見出している。そして、生きる意味の中心に、「崇高な義務感」がある。このような態度をもつ人間は、とても気高く、美しいように思う。
キャットも面白い。自由に生きる他人に憧れを持つが、実はそれは未来の自分自身だった、というオチ。自分とはまるで正反対で、憧れの対象になるような人は、実は自分の未来像である、というようなことは実際ありそうに思う。
未来人の考え方は、懐古主義的といえようか。未来を建設的に改善していこうとするのではなく。過去を美しいものとし、過去に限りなく戻っていきたい、という幼児的な幻想。
とりあえず1回目観た感想を書き散らしてみた。もう一度観てみようと思うので、またそのとき新しく発見できるものがあるかもしれない。難解な映画は何度も観る楽しみがある。