「どうしたノーラン?」TENET テネット kkさんの映画レビュー(感想・評価)
どうしたノーラン?
ここまでのキャリアで「時間」を一貫した一つのテーマとし制作してきたノーランの最新作。
ここまでの作品群では、
深く掘り下げた世界観によってもたらされる作家性と
徹底した人物描写によって生まれる重厚なドラマの相乗効果によって
ハリウッドにおけるメジャーな評価を獲得していて、筆者もそこを評価していた。
今作はその点に於いてこれまでの作品群とは一味違うものになっている。
今作は熱力学に基づく「時間」の操作、それによって生まれる新しい行動原理と因果応報を、逆再生を用いた複雑な映像表現によって展開している一方で
人物描写とそれに伴うドラマ性を極力排除している。
主人公には背景が無く、記号化された状態で観客を巻き込んでいくのだ。
一歩下がって考えてみると、(別の意味で)面白いほど人物描写が雑であるとも言える。
現代的な「人種、性別、職業その他とそれに伴うステレオタイプ」を基準の一つとして見てみよう。
主人公はこの映画における唯一の黒人であり、背景は全くと言って良いほど明かされない。まるで「初見ではこの映画についていけないであろう全ての観客」を体現したかのように無個性で、ただ黒人であるという視覚的記号があるだけだ。
分かりやすく敵は一個人であり、典型的悪役的な性格を持つロシア人だ。そしてその妻の描写も含め、90年代のスパイ映画の設定をそのまま借りてきたかのように短絡的であると言える。
この映画で唯一と言っていい、人間的魅力を感じられる程の描写のあるニールは、白人男性で、我々の一歩先を行く「分かっている」人。
こう見るとノーランとしては珍しく、一昔前の小粒なハリウッド作品群に見られる様な、とても短絡的で、その属性が持つステレオタイプ以上の深みのないキャラクターで構成されているのがわかる。
これまで、しっかりと人間を観察し深くドラマを描いてきたノーランであるから、これは意図的なものだと考える。(でなければこの映画に対する筆者の評価は、「拗らせ設定厨の作った公開オナニー映画」位のものになる)
何故ノーランはこの様な映画にしたのか?
あまり政治的観点で映画を論じるのは好まないが、気づいた点が一つ。
映画「ゲットアウト」では、
リベラルな白人コミュニティが
主人公の「黒人」としての特徴をもてはやしながら搾取するという、マジョリティの有様を描いていたが、
果たして我々はテネットの主人公を通して同じことをしたのではないか?
黒人として白人至上主義団体KKKに潜入する映画「ブラッククランズマン」で主役を張ったジョンデイビッドワシントンを使って、
今よりも白人至上主義的であった時代に隆盛を誇った古き良きスパイ映画を楽しんだのではないか?
メタ的な映画の構造から作品を作り上げるノーランが
敢えて登場人物の背景をステレオティピカルで浅はかな人物像に抑え、ドラマ性を排除した理由があるのであれば、
そこにこそ、今この映画を公開した意味が隠されているのかもしれない。
あくまで考察の域を出ないが。
とは言え本作は、作家性と大衆性を併せ持つ「インセプション」や「インターステラー」程の完成度ではないし、
主題を映画の構造のみに絞り、シンプルに表現をした「メメント」と比べても
作りが雑である様に感じた。
少なくともこの人物・ドラマ描写の不足によって人々が混乱しているのは間違いないと思う。
巷では「複数回見ることが前提の映画」等と言われているが、
筆者の様に同じ映画を複数回観るタチの人間からしても、
映画は初見で納得がいく作りの方が良い。
本作においては、初見の観客が置いていかれるであろうシーンは作品側の説明不足な点が多い。
混乱しながらも一生懸命考察し、ノーランについて行こうとするファン達の気持ちも分かるが、
描写不足の映画を作って腕を組みほくそ笑んでいるノーランの姿を想像してしまい、それをどこか滑稽に感じてしまった。
ただ、コロナで世界的な不況と通常営業への圧力があるこのタイミングで、劇場公開を押し通した点はリスペクトする。