「「時間逆行理論」の破綻と、映画製作としてやりたかったこと」TENET テネット f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
「時間逆行理論」の破綻と、映画製作としてやりたかったこと
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【ストーリー】
1. オペラ劇場-テスト
2. リクルート-時間逆行
3. ムンバイ-黒幕
4. クロスビー卿
5. キャット
6. オスロ空港-回転ドア
7. セイター-逆行請負人
8. タリン-"アルゴリズム"と逆行チェイス
9. 再びオスロ-逆行治癒
10.スタルスク12-アルゴリズム奪取
(核心への接近ー直線的構造)
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【感想】
初回鑑賞時には、「時間逆行(diversion)」理論の破綻にばかり目が向いて、作品を楽しむことができませんでした。
それから数日のあいだ、最初の鑑賞体験を反芻しつつ、2回目の鑑賞を終えるころには、「映画製作として」あるいは「映像製作として」、監督がやりたかったのはこういうことかな?という理解がかたまってきました。
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【考察】
「TENET」という作品全体の構造は、大まかに「未来へ進んで、戻ってくる」というUターン状になっています。
↩️(絵文字は表示されますか?)
主人公はまず、未来へ進みながら、いくつかの「事件」を目撃します。
その後過去へと逆行する主人公は、その事件の犯人が自分自身であることを知ります。
つまりTENETは、まず第一に、「自分自身が目撃者であり犯人でもある」というミステリ作品であります。
たとえば、
・デンマークの空港で自分自身と格闘するシーン
・タリンの高速道路で車が横転するシーン
等がそうです。
また物語を通しても、「自分自身が黒幕である」という気づきが得られていますね。
ではなぜTENETという作品がこのような構造を取っているか。
それは「全てを現在形の映像として語ろうとした結果」です。
つまり役者のセリフ(字幕)によって事件の種明かしをするのでもなく、回想という「過去形」の映像を用いるのでもなく、主人公が「現在」「体験している」映像を用いて、"過去"の事件のネタバレをしようとした結果、1つの事件を未来へ進みながら見たあと、今度は逆行しながら見るーしかも主人公=1人の人間がーという結論が導かれるのです。
※似たことを『ダンケルク』でもやっていますね?(映画ファンの皆さんであればきっとお気づきでしょう!)ただし『ダンケルク』では、1つ1つの事件で犯人と目撃者が異なりました。TENETでは同一人物です。
これはおそらく監督の、「映像とは我々の視界であるべし」という信条(tenet)によるものだと思います。
映像とはまさに今リアルタイムで体験できるものであって欲しい。
いままさにここで体験できる物を映像としてそのまま観客に見てほしい。
そういった信条から、「逆行」理論を導入することによってリアルタイムで過去を見る(ただし逆回しだけど)こととなったのだと思います。
ただし理由づけ(批判)を気にする監督のことなので、どうしても「エントロピーの減少」といった科学的根拠を必要としました。
「映像はすべてリアルタイムな体験を」という信条を至上命題としながら、エントロピーという科学的根拠を導入し、理由づけをすることで、作品中の各所で破綻が生じてしまいます。
そういった破綻は、例え微細なものであれ、その場で説明・解消されないまま蓄積していくと観客の不満となり、映画への没入を妨げたり、最終的に映画の評価を押し下げたりすることもあるでしょう。
そういった破綻点について語るのも、(映画作品そのものを楽しむことではなくとも)映画鑑賞後の楽しみの1つです。
「映画作品そのものを楽しむ」ことも「鑑賞後感を語り合う」ことも、監督の用意のうちでしょう。
結局ノーランはまず第一に映像製作者で「こういう映像が出来上がるのなら、理由は二の次」だと思うのです。
まず映像が作れる。その映像が現実世界においては破綻していても、それっぽい理由づけに可能性を感じられるならそれでいいと。
映像の作れることが大事。
映像を提供するのが本分ですから。
映像はあくまで映像であって本物ではない。
あくまで映像を見ているのであって現実ではないけれども、現実に起こり得る映像を目指して作り上げる……
リアルには存在しないものを、リアルな材料を使って映像に仕立て上げる手腕は面白いと思います。
(出来るだけ実物を使って撮影を行おうとする、等)
※この点は『プレステージ』でノーランが主張したことですね。『インセプション』でも顕著な実践が見られましたね。
映画(映像)という「都合のいい嘘」
→各種ノーラン作品(嘘をつくことと映像製作との類似)
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通常、映画の細かい粗(アラ)に突っ込むのは野暮だとされています。
「こんなことは起こり得ないよ」
「こんなのおかしいよ」
というツッコミは
「野暮だ」
「映画なんだから」
という回答を即座に得ます。
映画を見るにも「心」というものがあって、そういう「心」で見れば楽しめるもの。
現実の、完璧なリアリティの視点を持ち込めば、映画とはまったくおかしいもの、そもそもの存在が根本的に消去されるべきものだと思います。
しかしこの映画は、リアルな視点(現実に起こり得るか?という心/現実との比較において映像を見る心)をある程度持ち込んで見ることが要求されるように思います。
だがそうして見ると各所の破綻が気になる。
かといって従来の「映画を見る心」で見るとちょっと分かりにくい。
野暮な心と映画を楽しむ「心」のどちらかに全身が浸っていてもその魅力がなくなる。
そんな、バランスある見方を要求する作品だと思いました。
「この映画が何をやったか」に関しては、先に述べた「自分自身が目撃者であり、黒幕でもあることを、逆行によってリアルタイムに体験しながら映像で見せる」「過去も現実として見る」という語り口の手法だと思います。(※ただし「それは本当に過去か?」というツッコミはあり得る)
科学的(?)な破綻は、その結果生じた些末なこと。
でもそれについて語るのもまた、この映画がもたらした楽しみの1つ。
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【TENETの破綻】
「逆行」と「2人の自分」というコンセプトは、物理学における対生成/対消滅および粒子/反粒子(物質/反物質)の関係に着想を得たものでしょう。
しかし2人の自分が厳密に物質/反物質の関係にあるとすれば、「反物質の自分」は物質世界にインタラクトすることが不可能でしょう。なぜならば対消滅を起こしてしまうからです。
そのため「時間の逆行」という反物質の性質を一部残しながらも、逆行あるいは回転ドアの仕組みが対生成/対消滅であるということは伏せられ、(あくまで着想源として)陽電子の逆行という物理学的概念がセリフの中で提示されるのみに留めました。
(というのが私の見立てです)
また劇中では、逆行とはエントロピーの減少であるという説明がなされています。
しかし逆行が、単にエントロピーの減少なのであれば、自分が2人存在するのはおかしいでしょう。エントロピーが減少することによって自分は2人出来ません。また、呼吸ができない等の実際的問題も起きないでしょう。
さらには、回転ドアという小さな容器に、この世界をすべて投入し逆行させるということも不可能です。時間の逆行を、エントロピーの減少あるいは物質の逆運動だと考えた場合に、回転ドアは小さすぎるのです。
そのため逆行あるいはもうひとりの自分の存在には、単に「エントロピーの減少」を超えた、より大きい包括的な理由が必要なのです。
時間の逆行が、対生成/対消滅(のうち、反粒子の時間の逆行という性質のみを取り出して残した)メカニズムにしたがっているとした場合に、「エントロピーの減少」がここに含まれるものであるかは分かりません。
もう少し勉強してみようと思います。
ただ、対生成/対消滅やエントロピー減少といった、現実の物理学における理由づけをしなくとも物語を考えることは可能です。
「この物語における」逆行のルールを捉えることは可能です。
しかしながら、この物語における逆行のルールを受け入れたとしても、残念なことに矛盾点がいくつか生じてしまいます。そうした「時間逆行」理論の破綻は、どのシーンで見られたでしょうか。
① 芸術劇場、客席の銃孔
② 空港中枢、ガラスにあいた銃孔
③ 高速カーチェイス、サイドミラーのヒビ割れ
④ 空港中枢、主人公(逆行)の腕の刺し傷
など
→「逆行」理論に従うなら、これらは「すべての始まり」の時点で存在しているはず。
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【疑問①】
そもそも時間逆行で自分は2人できるのか?
→映画製作上の都合。自分自身の犯行を目撃するには、自分が2人必要。ということはわかる。
「逆行マシン」が、「世界に対して自分を逆行させる」マシンなら、世界に対して自分はもう1人増えることがないはずだし、「自分に対して世界を逆行させる」マシンであるにしても、やはり自分は1人のままのはず。
「もう1人の自分を見る」というのは、既存のSFに登場する過去へのタイムトラベル(ドラえもんのような)と同じであって、そのイメージに親しみのある観客にすんなり受け入れやすい。
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【疑問②】
未来へ戻ることはできないのか?逆行後の世界は、元の未来だと言えるのか?
→10分の逆行には10分が必要。10分逆行したなら10分ぶん老化する。逆行後の世界で「時間逆行マシン」を利用することにより、順行に戻ることは可能。しかし、順行しながら時間を進める仕組みは本作において導入されていない。
1倍速早送りと1倍速巻き戻ししかできない(劇中で確認される限り)ので、自分が本来生きられたであろう老化後の世界には行けない。改変前の世界へ戻ることはできない。また改変後の世界も、元の世界とは異なった様相を呈する。
「あったはずの未来」はどこへ行ったのだろうか。やはり世界は1つなのだろうか。(だとしたらなおさら、自分が2人いるというのはおかしいはずである)
※相対論的には、高速で移動することにより未来へ行くことは可能。ただしそれは「未来の自分へ会いに行く」というような類のものではない。自分が高速で移動したとき、自分の時間の進みに比して、元いた場所の時間はより大きく経過している。また相対論的には、過去への移動は不可。
『インターステラー』でも描かれている。
★「エントロピーの減少」はあくまで「逆運動」では?
→逆運動なら、順行逆行問わず物理法則は変わらないはず
・「起こったこと」の逆再生ではなく、意のままに物体の運動を巻き戻せる描写が不思議。これは逆行マシンによるものではない。
→(例)床に落ちた弾丸を、手元に引き寄せる。
これは完全に超常現象。SF。
・順行人が箱を押している。逆行人が彼を助けてやるにはどうすればよいか?
→逆行人は、箱を押してやる。順行人が地点Aから地点Bまで箱を押すなら、逆行人は地点Bから地点Aまで箱を押してやればいい。(力のはたらきどうなってるの???)
→では、「箱をより速く運ぶ」にはどうしたらいいか???そんなことはできないのではないか?なぜならば逆行しても、元の自分(順行人)が見た謎の答えを示すだけだから。意図的に行動したはずなのに、起こったはずの過去を再現しているだけなのだ。
映画の「意図」=過去をなぞる逆行
と、
逆行が可能と仮定した場合=行為を意思のまま行う
との矛盾。
これは「エントロピーの減少」という正当化をしなかったとしてもおかしい。
(やっぱりTENETはおかしいよ!)
【メモ】
・映像で見えてしまうと弱いー視覚情報の優位性
→「2人の自分」が前提となってしまう
・力学が普通なら、呼吸もできるのでは
・連続的であることにより過去が現在として見えることに説得力が持たされる
・映画を観る次元/物語を見る次元…物語はどういう次元で成立しているか、どういう心持ちで見たとき物語は成立しているか。物理法則等の矛盾があっても、納得いく物語とは。人は何に納得するか