「本作を難解にしている3つのポイント」TENET テネット 冥土幽太楼さんの映画レビュー(感想・評価)
本作を難解にしている3つのポイント
3回くらい観ないと理解できないと言われる本作、
しかし、購入したパンフレットによる山崎詩郎教授の解説を読んだところ、「なんだ、そこまで複雑な物語ではないのではないか。」ととても視野が明快になった。
ここでは本作を理解することを難解にしている点について、三つほど説明していきたいと思う。
1、 新たな時間の逆行という概念
本作をもっとも難解にするポイントのひとつだが、1回目はなんとなく新しい映像体験として流し見すればいいと思う。
そもそも今までのタイムトラベルものとは時間の逆行の概念が異なるので、理解できる筈もないのだ。
でも映像を観てるでも楽しいし、パンフレットによる山崎詩郎教授の解説を読んだところ、大体のシステムは理解できるようになっている。
複雑だ、理解できないと嘆いていた人間には騙されたと思ってまじでパンフレットを購入してみてほしい。
高校程度の知識があれば普通に理解できるとは思う。
世界観の説明については、優れたパンフレットの収益が少しでも向上することを願って差し控えさせていただく。
ぜひ自分で手に取ってみて、「なるほどねぇ。」と納得してから、ぜひ二回目に挑んで欲しい!
2、 セリフ内の学術的な用語の多さ
世界観の難しさはさることながら、本来ならば説明の役割を果たすはずのセリフの難解さが余計拍車をかける。
エントロピー、陽電子の対消滅、時間の逆行、プルトニウム(放射線)、祖父殺しのパラドックスとか、まぁsf小説やタイムパラドクス好きにはお馴染みの用語だが、要するに学術用語いうものが多すぎる。
でもそんなもの全てを理解しておく必要はない。
本作で原理的に理解しておけばいい最低限の事柄は、
エントロピーの増減に関してと、回転ドアの仕組みではないだろうか。
しかしそれに関して、彼らはセリフでちゃんと説明してくれていただろうか?
一応してるんだけれども、あまりにも必要最低限で短すぎて、多分説明不足になっているんだと思う。
・エントロピー
宇宙空間ではエントロピーが増加し続けており、減少することは現在の科学では不可能で、本作の概念はそうなった場合の仮説的なものであること。(例えば、
水溜りを足で踏むと水が足元から飛び散って散乱していくことをエントロピーの増加、散乱していた水の粒たちが水溜りの戻っていくことをエントロピーの減少と呼ぶ。この世のすべてのエネルギーというものは、エントロピーの増加をし続けている。)
これこそが逆行の要因と、人類滅亡の危機につながる。
・回転ドア
素粒子である電子と陽電子がガンマ線を浴びて合わさることで対消滅したり、その逆にガンマ線から電子と陽電子を作り出す対生成があって、これは粒子力学という学問の学術用語なのだが、それを用いてあの例の「回転ドア」が作られている。
しかし未来人ではないので、我々には大雑把な原理しか理解できない。
回転ドアに入ると逆行して、さらにもっかい入ると順行状態に戻る。
イメージでいうと上に行くエスカレーターと下に行くエスカレーターみたいな感じだ。
逆行すると対消滅して順行世界の自分は消えてしまい、
順行に戻ると対生成(戻った過去に二人いる)ことになる、みたいなとこだろうか。
逆行の分は時間が進むので、その分の歳は取る。
さらに順行と対象的な世界なので、風向きも時計の向きも生き物の動きも空気も、そして熱温度までも全て反転する。
以上、浅薄ながら重要な二項目について。
なんか学術用語を当たり前のように知ってる前提なので、まぁ敷居がたかいことはたしか。
しかしそれらのまだ解明されていない部分についての仮説こそが本作のsf的要素なので、あしからず。
3, 必要最低限に切り取られた編集
映画というものはそもそも編集(映像と映像の繋ぎ)ですべて説明できるのが至高であり、音がなくとも映像だけで話をなんとなく追っていけて面白い、みたいのなのが優れた映画の条件のように思う。(会話劇を除く)
だってそうでなければ、映像表現である必要などないのだから。
音楽やセリフというのは、調味料みたいなものである。
そういう意味で昨今のエンタメ映画というものはかなりのカット数を割いて、誰が見てもわかりやすいように編集するものだが、本作ではそういう「わかりやすい」の一切を排除していると言っても過言ではない。
芸術映画とはそういうものだが、要するに行間で考えさせる造りである。
しょっぱなからなにが起きてるのか分からないし、中盤も終盤もなんとなくしかわからない。
そこには、カットとカットの間に大幅な「省略」が存在するからだ。
例えば。
今回の設定上、逆行している状態では時間は1秒毎に戻っていくので、クライマックスの二週間前に戻るまでにもかなりの歳月が要するはずだ。
しかし、本作ではその「2週間分の逆行」がほんの数カットですぎてしまう。
そんな調子でポンポンポンポン時間が遡るので、
観ている観客は「あれ、もうそんなに遡ったん?」と、時間感覚が混乱してしまう。
俗に言う「置いてけぼり」を喰らう。
普通のハリウッド映画なら、その間に「長い期間遡りましたよー。」という映像をいくつも導入して観客に説明する筈だ。
しかし本作は最初から最後まで、必要なパズルのピースのみでカット構成しているので、普通の娯楽映画を求めて観賞すると、案外物足りなさみたいなものを感じるのでは無かろうか。
そもそもノーラン監督の特徴として、
脚本の複雑さが挙げられる。
彼はそもそも脚本を書く際、図形を用いて立体的に物事を考えるらしい。
更に、騙し絵の名人エッシャーに非常に感銘を受けており、監督作「メメント」などにみられる、最後まで行き着くと最初に戻る構造がそもそもエッシャーそのものなのだ。
また、昔から漫画雑誌やミステリ小説などを結末から読む癖があるらしく、ひとつの導き出された結末がなぜそうなったのかを逆から紐退いていくと、それがひとつのミステリーになるという独特の美学を持っている、根っからの変人である。
そんな彼の特徴を押さえておけば、本作の脚本の構造もなんとなく理解していただける筈だ。
ちょっと微妙だなぁと思った点が、
悪役のキャラクターケネスブラナーについて、
あまり魅力的に思えなかったということ。
人類滅亡の動機がちょっと稚拙すぎない?て。
結局は金持ちの夫婦喧嘩が世界滅亡の危機をひき起こしたのかよ。
悪魔に魂を売ったファウスト博士がモチーフらしいが、
めっちゃ利己主義というかもはやわがままな武器商人にしかみえない。
奥さんへの執着もすごいし、人間臭いのかどうなのかよくわからない人だった。
まぁそういうひとつの家庭の崩壊が人類崩壊の危機にもつながるという、ミクロな話がマクロに拡張していく様もある意味面白いか。