「映画作品としてのカタルシスと人物描写のバランス」オフィシャル・シークレット ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
映画作品としてのカタルシスと人物描写のバランス
まず前提として、イラク侵攻にあたりアメリカが主張した「大量破壊兵器」の存在が結果的に確認されなかったことは非常に重い事実だ。不確かな根拠をもとに強引に開戦へ進んでいくアメリカ政府の姿を白日の下に晒したキャサリン・ガンの行動には大きな意義があると認識している。
純粋に作品の出来についての感想を以下に書きたい。
情報秘匿がどこより重んじられるであろう政府通信本部にいながら敢えて通信内容を漏洩するのだから、主人公は相当な覚悟とゆるぎない信念をもってリークしたのだろうと思っていた。
しかし劇中のキャサリンの姿は、リークが及ぼす身辺への影響について何も想定していなかったように見えた。義侠心に駆られて機密メールの写しを知人に託すものの、なかなか新聞に掲載されないとそわそわして再度その知人に会いに行ったり(仲介した知人に圧力が及びかねない)、掲載されるとメール原文が記載されたことに不満を抱いたり、通信本部内で漏洩者特定の面接が始まっても最初はやっていないと嘘をついたり(隠し通せる訳がない)といった描写でちょっと気持ちが萎えてしまった。リークした情報の重さと、本人の覚悟の重さが釣り合っていないように思えた。
気持ちが付いていかなかったので、入社時に誓約書まで書いた禁じ手を使うのは職業人としてどうなのかとか、この映画のテーマからすると些末であろうことを考えてもやもやとした。
それと、事前に見た予告映像のイメージで、物語後半で重厚な法廷劇が繰り広げられ「驚愕の結末」(作品サイトより)が示されることを楽しみにしていたのだが、かなりあっさり終わって拍子抜けした。驚愕といえば確かに驚愕なのだが…。
もちろんこれは事実に沿った展開だろうし、キャサリンの人物描写は生身の人間らしくてリアリティがあるとも言える。ただ個人的には、主人公の気持ちのリアルなブレを描写することに力点が傾いたことで、映画作品としてのカタルシスが減じられたように感じた。
むしろこの事件のドキュメンタリー作品を見てみたい。