「西野氏「俺の美しい生き様を見ろ!」を綺麗な色紙で包装した贈り物(要らない)」映画 えんとつ町のプペル Chuck Finleyさんの映画レビュー(感想・評価)
西野氏「俺の美しい生き様を見ろ!」を綺麗な色紙で包装した贈り物(要らない)
劇場公開中、街角のカラーサイネージなどでしつこいくらい「絶対泣ける!」「絶賛の嵐!」「感動の大人の童話!」とか必死に宣伝していたので、劇場映画を見ることが趣味の私ですが逆に警戒してしまい観ませんでした‥
ゴーストのささやきに従って正解。私としてはAmazon Prime見放題で星1が妥当です。
先ず良かったところを先に挙げてしまうと、最新アニメ映画としての画は素晴らしい。斬新で綺麗でした。
ただ見ていると、呼び名からして嫌がられること必至な「ゴミ人間」なんて、観客の良心をざらつかせたい意図が見えるプペルの容姿・配色などには敢えて見苦しい形と色合い(+臭い、とか‥)を与えていたり、悪人ではないが祖先は無駄に勇ましく末裔の今はひたすら無意見で弱々しい街の支配者にはどこか皇族っぽいイメージがあるなど、総指揮・西野氏の現代社会や政治への映像的警句がしっかり込められており、すぐに食傷気分になってしまいました。
また各声優さんたちも熱演されていたと感じましたが、残念ながらその熱で本作の嫌な自己主張が強調されてしまい、全体としてはプラスの印象になりませんでした。
ではそれ以外はどうであったかと言うと、この映画は原作・総指揮である西野氏の、
「オレの考える暗い世界の姿」
「オレの考える世界の問題点」
「オレの考えるヒーロー像(オレの分身たち)」
「オレの考えるそんな世界への処方箋」
「オレの考える幸福な世界の未来」
などの隠せない強い主張・説諭で満ち溢れ、その描写と説明(場面ごとの歌の歌詞と亡き父親による?詩の朗詠)に終始しているので、作品を一編の童話ともファンタジー物語とも感じることができなかったことが言えます。
物語の主役級にはプペル・ルビッチとその父親・故ブルーノが出てきますが、不遇な嫌われ者・純真一辺倒の賢い少年・隠れた反骨の理想哲学者… これ全て西野氏が”無理解・愚昧な世間とたたかう自分”に込めたイメージですよね。一旦そう見えてしまうと、彼らの受難や一々”正しい”言動がいかにも「西野教条主義」の教えのように見えてきます。物語の途中から増えるBGM風の歌もその歌詞が非常に具体的かつ説教的です。
後半からはそれにプペルの昇華した父、偉大なブルーノの遺した?いま背景で喋ってる?「社会の真理と不屈の精神」のような言葉が朗々と加わります。物語の最後近くになるとそれがもう止まらなくなって、観ているのが冒険アニメだか古代英雄の詩吟ビデオのアニメ背景だか分からなくなるほどだと思いました。これには普段からバディものや大逆転展開に涙腺の弱い私でも、流石に感動できない。
端的に言って本作は、西野氏本人が姿を表さない「西野亮廣の考え方・生き方紹介PVアニメ金言集」みたいな感じ。氏のファンの方には訴求力が大きいのでしょうが私にはツラかったという感想です。別の人のレビューで、「登場人物全部西野」とありましたが、その通り。
私は科学的にハッピーな某宗教の教祖さまが”アニ・アニ・実写・アニ・実写”の順で量産されている「ビミョーな絶対悪vsいろんな神様連合」の映画を、たまにタダ券(信者さんお布施購入の余り)を貰って見に行きますが、あちらにも毎回必ず教祖さまのアバターキャラが出てきますし最後には大神?になって争いを収めたりします。教祖さまって、様式や表現は違ってもその宇宙を覆う広大な自意識は共通なんですね。