「西野さんを本気で応援するならきちんとした評価を!」映画 えんとつ町のプペル りんさんの映画レビュー(感想・評価)
西野さんを本気で応援するならきちんとした評価を!
私は西野さんの大ファンです。
ですが今回の映画公開では看過出来ない部分が多々見られます。
まず、宣伝についてですが、サロンによる信者ビジネスのマーケティング戦略で動員数を稼ぎ、信者によるイメージ操作を多数のサイトやSNSで行うことは、彼の好感度と映画のイメージを地に落としました。
彼のやり方はビジネスという側面では面白いのですが、それによりゴリ押しされた当の作品には本人や信者が熱く語るほどの力もなく、低評価を許さない信者側の同調圧力には一般層が近づきがたいイメージを生み出しました。
結果、この映画は大変評価の分かれるものとなりました。
この評価の分かれ方を信者たちがまた「アンチによる嫉妬」とか、「夢を否定するマジョリティの圧力」と呼ぶ滑稽さは、自らを省みない哀しみを感じます。
(奇しくも映画内に悪役として登場する異端審問官に彼等自身がなってしまっています。)
そもそも、西野さんがこの作品に込めたメッセージは、自身が見た夢をことごとく否定された過去の体験から来ていますが、思うに夢を否定されたのは今回のような西野さんのやり方や高圧的態度、人を下に見るナルシストな彼の性格が敵を作り出すことにあると思います。
そしてそんな自分から目を背けて、周りを高い壁で囲った城の中で作られたこの作品に力がないのも当然といえば当然でしょう。
作品についてはいずれ世論が正当な評価を下す日が来ると思いますが、
映画のツッコミどころはあまりにもたくさんある為箇条書きにします。
以下、ネタバレを含みます。
・映画の途中、突然この町は海に面していることが分かる。→海上の星は?そこまで隠されてるのか?そんなことは可能か?
・ストーリーがラピュタの劣化コピーであるが、主人公ルビッチにパズーのような人間力や努力が見られない。(えんとつに登って空を見てるだけ。一方、パズーはシータが降りてくる以前から飛行機を作っていたり、海賊に入ってシータを守ろうとしたり、その後も様々な努力と自己犠牲をする。)
・ルビッチは夢を周りに悟られないようにしている。しかしたまたまゴミ人間が口を滑らせてルビッチの夢を周りの人に言ってしまった結果、ゴミ人間と絶交。(あと、いくら洗っても臭いという理由もあり。)→ひどいw
・物語を自分の力で動かそうとせず他力本願であるルビッチは、ただのカラクリ人形にしか見えない。
そしてまた、そのカラクリを動かすためにさらなるカラクリが固めた浅い物語という印象を受ける。
・そもそも父親がルビッチに信じろと言う、「空に星があるという事実」だが、空に星があるという「夢」は、父親が居酒屋で出会った炭鉱夫から聞いた話。この終盤に判明するあまりのペラペラな背景に失笑。(パズーの父は自分でラピュタを見たことがあった。)
しかもその夢を盲信して船で外海に出ようとした父は無駄に命を奪われる。
(車椅子の妻と幼い子供を残して夢にしがみつき、無駄死にするバカな父親という印象しか残らない。)
・異端審問官たちが弱い&リーダーが物言いたそうにしているが、特にこちらのリーダーも積極的な行動をしない。
・気球で空へ行くが、なぜ絶対的に空を隠し閉鎖されてる町に気球の概念がある?(歴史的に情報を制限され必ず検閲されているはず。)そしてそんな事が子供に可能なら、とっくに誰かがやっててもおかしくない。
・太陽光を遮られているわりには食糧が豊富であり、資源も不思議と枯渇していない。そして気候も安定している。そんなのおかしくないか?→町の人がさほど不幸そうではないのに、ルビッチは、空の煙をふきとばし町の人に星空を見せるんだ!(つまり新しい時代を作る)というのはなんだか一方的な感じもする。
・そもそも星があると我々観客は知っているから、ルビッチの知識は最初から正しいのだと分かっている→だから物語内で証明されたところでこちらは驚きもしないし、星あると信じる人VS星はないと信じる人々のこの戦いは出来レースに見える。
さらに演出などを含めたらもっと言いたいことはありますが、キリがないのでここまでにしておきます。
矛盾や違和感をファンタジーだからと言ってしまうのは簡単ですが、全ての物語は嘘である前提で作られているものです。
しかしその嘘を許せるケース、許せないケースがあります。
やはり物語が観客を引き込み、嘘に騙されても良いと思うほどの力で我々観客を楽しませられていないことに尽きるのでしょう。
この作品の伏線は次回作で回収されると仰る方もいますが、次回作は作られるのでしょうか?吉本興行がバックにいなくなったいち個人に、一流のアニメーション会社が手を貸してくれるでしょうか?
出来なければ、ただの矛盾だらけの作品で終わります。いやそもそも伏線が今作で回収できていないことに問題ありなのですが。
ファンは西野さんの話や副音声付き上映や本で情報を総動員して楽しむのでしょうが、そういう信者しか楽しめない構造になっていることがおかしくないでしょうか?
西野さんが個人的感情で自省せず作り上げた自叙伝がプペルであるなら、この物語には彼の積年の恨みが詰まっています。
日本中からバッシングを受けた過去や芸人仲間達からバカにされた過去、このような怨念の詰まった作品に本人とファンが偏愛を示してしまうのは当然ではありますが、ここで良しとしてしまっては西野さんの今後の成長はないでしょう。
なので、私はいちファンとして、彼の今後に期待する意味でも、評価を操作するような真似はせず、きちんと評価をしました。
この作品になんの違和感も覚えず高評価を繰り返すのは、むしろ彼の足を引っ張る行為であり、才能を潰す愚行だと思っています。
西野さんは様々な窮地を脱してここまで来た不屈の男で、生き様は誰よりも「芸人」であり、口だけでなくそれを行動や作品で表現し、泥を被りながらも実行するメンタルの持ち主です。
彼の生き方そのものがエンターテイメントだと思います。
私は西野さんが必ずこの挫折という伏線を回収してくれる日が来ると思っています。
これからも彼の行動から目が離せません。
西野さん頑張ってください。応援しています。
追記。hydeのハロウィンパーティと最後のエンディング曲は頭に残るし良い曲です!あと4℃の映像美も素晴らしかったです。