「製作者が“前に出すぎた”不幸な作品。」映画 えんとつ町のプペル るいこすたさんの映画レビュー(感想・評価)
製作者が“前に出すぎた”不幸な作品。
5歳の娘と観劇。言葉がやや難解なため、娘の興味は途中から薄れてしまったが、作品自体は悪くなかった。
作品のテーマは
“同調圧力に抗う異端者が見る希望”だ。
それは製作者の西野氏がこれまでの半生から絞り出した、渾身のメッセージだったと思う。
お笑い芸人としてブームに乗り、一応の成功を果たした西野氏だが、様々手段で自身を表現したかったのだろう。
そういう西野氏にとって、芸人や芸能界、テレビの世界は大変に窮屈だったに違いない。
成功者と見なされる世界に見切りをつけ、絵本の世界、映画の世界へと歩み出した異端者・西野氏の人生が、この映画の主人公・ルビッチとリンクする。
それは、全体主義がはびこり、同調圧力が強まる現代日本において、痛烈な主張となっている。
凝り固まった常識を捨て、その先にある広い世界に目を向けよう。西野氏のメッセージは伝わるものがあった。
確かに、子供に向けた作品にするならば、熟語が多かったため、もう少し平易な言葉を使ってもいいと思った。
また、目を背けたくなる暴力的なシーンもあったが、それを差し引いても、悪くない作品だと感じた。
1番の問題は、この作品を多くの人たちが、元・お笑い芸人で、原作や製作総指揮を努めた西野氏の作品だと分かった上で観劇していることだろう。
この作品の評価が大きく二分されているのは、作品自体への評価ではなく、信者とアンチの、西野氏自身への感情が二分されているためだ。
これほど作品にとって不幸なことはない。
例えば宮崎駿氏は偉大なアニメーターだが、ナウシカやトトロの存在を超えることはあり得ない。
確かにキャラクターは表現者を体現するもので、自己の分身のような存在だろうが、一度表現されたキャラクターは、表現者の手を離れて、観客との共同幻想において存在するものだ。だからこそ宮崎駿氏はキャラクターに過度な主張を背負わせない。
しかし、この作品のキャラクターたちは背負いすぎているように感じる。
西野氏がどこまで自覚的か分からないが、西野氏のこれまでが知られ過ぎていることがひとつ。
また、作品の製作過程の公開などビジネスとしての成功なども見せられると、観客として純粋にキャラクターに感情移入する気を萎えさせているようにも感じる。
それは興行として成功をおさめたとしても、表現者としては失敗以外の何者でもない。
それはこれからも表現者として、西野氏だからこそつきまとう大きな課題だ。
表現者はもっとそのキャラクターを愛し、だからこそもっと自由にさせてあげてほしい。そうすることで観客もより深くキャラクターを愛することができるだろう。
西野氏に、他者を染めようなんて意識はないと思いますよ。
ただレビューを見ていると、「説教じみている」「宗教っぽい」と感じている人が多いですね。
これ、自分と異なる考えに対する許容度の問題で、それこそ多様性に対して不寛容な現代的な反応だと思います。
結局全体主義からあぶれた者は他のところに行って自分の主義に染めようとするんですね。正直サロン内でやってくれれば文句なんか言わないのに。
声優さんが大健闘の映画だと思ってましたが興醒めします。
レビュー参考になりました。ありがとうございます。