「えんとつ町は現在の日本そのもの」映画 えんとつ町のプペル 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
えんとつ町は現在の日本そのもの
戦時中の日本に似ていると思った。えんとつ町では、町を支配する中央銀行が、空を煙で覆って外の情報を隠し、体制に異を唱える者は異端審問官が排除する。
戦時中の日本では、大東亜共栄圏などという絵空事を無邪気に信じる国民と、日々刻々と悪化する戦況を押し隠し、御用マスコミを従えて嘘の情報を流し続ける軍部、それに反体制的な人間を捕えて拷問にかける特別高等警察(特高)がいた。
えんとつ町の宗教はどうやらキリスト教らしく、ハロウィンの夕方が物語のスタートとなる。どこかしらに神父なり牧師なりが登場したら、よりそれらしくなったと思う。天才西野にしては凡ミスだ。ダンスのシーンが一度きりなのも少しさみしい気がする。
とはいえ、全体を通じての世界観は大したものである。冒頭から異端審問官の出現までのシーンは文字通りジェットコースターのようにワクワクしながら進む。アニメーターの方々の気が遠くなるほどの努力には脱帽だ。
ゴミからできたゴミ人間という発想は、恐ろしく秀逸である。天才西野でなければ生み出せなかったキャラクターだと思う。頭の中まで整理整頓を求められる世の中に対して、これほど典型的なアンチテーゼの存在はない。ゴミが臭いという事実も臆せずに前面に出す。存在そのものが異端であるゴミ人間と、同じく異端であったブルーノの息子ルビッチとのやり取りは最高に面白い。
そして最も愉快だったのは炭鉱泥棒のスコップのマシンガントークである。声を担当したオリラジの藤森慎吾はまさにこれ以上ない適役だった。単なるおしゃべりというだけではなく、物語の展開に大変重要な役どころとなっている。特に「煙のでない爆薬」は彼がいちばん重宝している道具であると同時に、物語のキーアイテムでもある。ここにも天才西野の発想が光る。
藤森慎吾以外の声優陣もみんな役にぴったりで、芦田愛菜のルビッチが感情の起伏の激しいのに対して、常に落ち着いた窪田正孝のプペルという対比がこれまた傑作で、動と静、子供と大人みたいな感じがそのままラストに繋がっていくという仕掛けも楽しい。伊藤沙莉のアントニオの子供時代の伏線もきっちり回収される。終わってみるとすべてのシーンに無駄がなく、大団円に繋がっていったことが判る。とてもよく出来た作品である。
エンドロールを観ながら考えた。えんとつ町のようにひとつのパラダイムで支配しようとする一元論の世界は、どうしても異論を押さえつける必要が生じるから、弾圧組織である異端審問官や特高警察などが必要になる。彼らは任務遂行に熱心になるあまり、異端でない者までも異端として拷問し、殺害するようになる。ヒトラーだけが正しいというナチスも大東亜共栄圏を唱えた戦時中の日本の軍部も一元論の典型だ。
2020年の現在、現実の世界でもアメリカ・ファーストを称える一元論の大統領が出現したり、戦前の日本をトリモロスという一元論の首相が現れたりしている。どうにもキナ臭い時代になってしまった。アメリカはトランプを捨てて民主党の大統領を選んだが、日本は相変わらず裏金もらい放題、選挙違反し放題、収賄し放題の自民党が政権を担い続けている。有村架純がホーダイ、ホーダイと歌うCMは自民党に捧げる歌に違いない。悪役を宮根誠司が担当したのも何かの皮肉だろうか。
えんとつ町は現在の日本そのものだ。革命家ルビッチが日本に現れなければ、このままコロナ禍と政治の無策で日本は崩壊してしまうだろう。