劇場公開日 2020年6月19日

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「愛と性生活のドタバタ喜劇が楽しめる」今宵、212号室で 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0愛と性生活のドタバタ喜劇が楽しめる

2020年7月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

知的

 食生活ほどではないが、性生活も人生の大きな部分を占めている。食欲がまったくないと個体の生命維持が危うくなるし、性欲がまったくないと自己複製をするシステムとしての生命の種の保存が危うくなる。食欲が差し迫った自己の生命維持に不可欠なものであるのに対して、性欲は次の世代の生命を誕生させるために不可欠なものなので、食欲ほど逼迫しておらず、禁欲しても命に別条はない。仏教やキリスト教の一部の宗派で性交を禁ずるのは禁じても死なないからである。
 フランスは性欲に寛容な国である。浮気が日本みたいに責められたり断罪されたりすることはない。そもそも浮気はモラル(倫理)に反する行為ではないとしているから、日本みたいに不倫という言葉を当てることさえ間違いとなっている。日本での使い分けは、結婚している人の場合を不倫、していない人については浮気としているように思われる。
 食欲についてはイスラム教徒以外はかなり自由であり、何を食べても責められることはない。自分は和食しか食べないと決めてずっと和食ばかり食べている人もいるかもしれないが、たまには中華や洋食やジャンクフードなんかを食べたくなる。中には昆虫を食べる人もいる。性欲についてもあまり変わりはない。ときには違う相手としてみたいと思うのは万人に共通だと思う。
 フランスは女性の性欲が社会的にちゃんと認められていて、男女ともに快楽を追求する権利を有している。フランス料理で美味しいものを追求するとともに、より快楽の深いセックスも追求するのだ。その点、日本の女性は不幸である。ごく一部の女性を除いて、たくさんの相手と性交する機会に巡り逢えない。一度もオルガスムスを知らないままの女性もかなりいるのではないかと推測される。
 姦通罪は封建主義的な世界観が生んだ悪法である。日本で女性だけに適用されたことについても、男女不平等の封建主義の悪しき世界観が見える。いまは一部の地域や国を除いて、姦通罪はない。浮気に刑法は適用されないのである。それは人権の尊重という考え方の広まりと同時に、人間の性生活の本質についての理解が進んだためである。人は浮気をする動物なのだ。浮気をした相手に暴力を振るうと、暴行罪や傷害罪で裁かれることになる。この点については法律のほうが進んでいる。

 本作品はマルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴの娘であるキアラ・マストロヤンニが主演した、性生活と愛についての考察ともいうべき映画である。浮気をする妻としない夫。快楽を旺盛に追求する妻とEDの夫。互いを解り合い、許し合ってともに年老いていくためには、どんな努力をすればいいのか。
 212号室には自身の過去と夫の過去が人の形をして押し寄せる。過去は過去だが、現在から見れば過去には後悔があり、諦めがある。しかし夫は、愛とは過去の記憶の集まりだと言う。哲学的な言葉なので簡単に理解するのは困難だが、フランスらしく愛の定義も人さまざまに許される。日本では「これも愛、あれも愛 ♪」という歌があった(ドラマ「水中花」より主題歌「愛の水中花」作詞:五木寛之、作曲:小松原まさし、歌唱:松坂慶子)。
 ドラマとしてはスラップスティック(ドタバタ喜劇)だが、哲学の国らしい人生観があり、世界観がある。ドアが勝手に動いたり、天井からの視点になったり、突然海辺を歩いていたりと、時間と空間を自由に飛び越えて、愛と性生活の真実を見せようとするところは、なかなか面白い演出だ。とても楽しめる作品である。

耶馬英彦