ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男のレビュー・感想・評価
全124件中、101~120件目を表示
ホラーより、怖いわ。
マークラファロ、アンハサウェイ、ティムロビンス、実話と来たら見るでしょ。
ラファロの抑えた演技が実話である事を強く観てる僕らに訴えてくる、、、怒ったら顔緑色になっちゃうしね(^-^)
アンハサウェイもいつも面白い映画に必ず滑り込んでて凄いと思う。
調停や話し合いのシーンでデュポンのCEOも出てくるんだけど、あまりに長期隠蔽してたから当事者意識ゼロ。怒りのぶつけどころが具体的に見えてこない巨大企業の恐ろしさ。司法のスキをついてかわしてくる。じわじわと時間切れ、引き伸ばし、分断を誘導していく。
なんか最近見た映画のなかで一番怖かった。
派手なことは何も起きないのに、なんでこんなに怖いんだろう。子供の頃、いやつい最近までテフロン加工のフライパンはわりと身近にあったからだろうか?
20年ちょっとまえ辺りからテフロン加工のフライパン空焚きすると有害物質がでるとか、ヤバさは伝わってきてウチでも使うのやめたの思い出したわ。
つまり僕らもある程度汚染されてるわけだ。
都内の上映館もう少し多くてもいんじゃないかな?
今もなお続く悲劇(ネタバレ)
予想を超える凄い映画でした。
ラストの説明を読んで、この裁判がまだ継続中であることに愕然としました。
ちょっと前に起きた「悲惨だけど今後の改善が見込まれる」中くらいのハッピーエンディングを予想していただけに、本当にショックでした。
マーク・ラファロの怒りがひしひしと伝わってくる構成と演技でした。
家族もキャリアも危うくしつつ、住民からの不審を買いつつ、それでも戦いを続ける理由は、単純明快な正義感だけではないように思えます。
残念ながら、今も昔も権力者は大事なことを隠蔽しがちで、それを防ぐための仕組みが整備されてきたはずなのだけれど、現実はとても厳しいのですね。
デュポンのお膝元でデュポンに歯向かうというのは、自分達の生活を危うくしかねないリスクがあります。
ましてや訴訟から11年という年月は、住人の健康を後戻りできないレベルに悪化させてしまうのに充分すぎる時間です。
行政が自分達を助けてくれないのなら、正義が勝てない現実で生きていくには、自分自身が闘うしかない。
ある種の諦めを抱えながら、今日もまた訴訟に立ち向かっていく主人公の姿は、もちろん美しくもあるけれど、「明日は我が身」という恐怖を観客に突きつけてもくるのです。
この日本でも、公害による健康被害はたくさん起きているし、これから起きないという保証もない。
経済活動はとても大切なことだけれども、それと引き換えに人命や健康が損なわれることを良しとしてはいけない。
そんな当たり前に思えることすら平然と裏切っていくのが、 企業法人という「人ならざる人」の危険な側面であることを改めて痛感させられました。
不毛
物語で登場人物が大きな力と戦う時、何度となく「絶望」に襲われる。
もちろん主人公がその力に負けていては話が進まない訳だが、それにしても、これが実話で、こうも次々と苦難と絶望に見舞われると、やはりその意義や正当性よりも「タフさ」の重要性が際立ってくる。
この主人公はまさにその「タフ」を象徴しているが、彼もまたこの戦いの中で健康や安全、家族との時間や関係を危険にさらしている。
この戦いで仮に勝ったとして、彼らや被害者たちは何を手に入れるのかを考えると、結局のところ「失った時間や健康や人間関係や大事な人は帰ってくることはない」という虚しさに行き着かざるを得ない。
こんな不毛な戦いでも、次の生活、次の世代のために、やはり我々は勝ちを求めるしかないという皮肉。
現実の被害者が未だに戦い続けている現状で、ハリウッドスターでありながら、社名や人名など、実名を使った作品を手掛けたマーク・ラファロの思いには頭が下がるし、同じく名のある俳優陣が参加している辺りも、エンタメの持つ力を信じている彼ららしさにあらためて感服する。
世界的超巨大企業の闇と闘う一弁護士の姿を通して現代という時代の危うさを照らし出した社会派映画の良作。
①一企業の(社会的な)罪を暴く話の向こうに、我々現代人が「便利さ」「豊かさ」の代償として支払っているものに思いを馳せさせられて暗然とする。②巨悪に個人が立ち向かい最後に逆転勝利を掴む、と映画を観ているものとしてはスカッと行きたいところだか、現実は相手が超巨大企業や政府機関等であればあるほど闇は深く一筋縄では行かない。ロブが、結局個人が自分を頼りに闘って行くしかない、という結論に達するところはせつなくもあるが、ラスト、それでも3,535(だったかな?)件の訴訟に怯まず立ち向かっている姿がこの映画に希望をもたらしている。③言論の自由・表現の自由があり、こういう映画を作れる我々の社会は一方で様々な問題が山積しているとはいえやはり有難いと思う。最近とみに言論・表現の自由を今まで以上に抑圧してきている某国家に比べると。④マーク・ラファロは、もともと上手い人ではあるが、ロブの人物造形が素晴らしい非常な好演。それと、偶々ではあろうが『フォックスキャッチャー』ではデュポン家の御曹司に射殺されるレスリングコーチの役で、本作ではデュポンの隠蔽工作を暴き告発する弁護士の役と、映画の上で敵討ちをしているようで面白い。⑤アン・ハサウェイは『魔女がいっぱい』で大いに笑わせてくれたが、ここでは自己をしっかり持った知的な良妻賢母を確かな演技力で好演。⑥懐かしやメア・ウィニンガムがすっかりオバサンになって登場。⑦トッド・ヘインズの静謐で抑制の効いた演出が題材に良く合っている。現代のアメリカ映画界で信頼できる監督の一人。
事実に基づく物語
惜しいと思う。ノンフィクションではなく、the story based on factであるのだから、デュポン側や州政府側の内幕も描けばもっと良くなったと思う。デュポンの苦悩もみたかった。
もっとも当事者をキャスティングしたりして、ノンフィクションに近い演出が狙いなのだろう。
今年はコレクティブ、グレタ、リトル・ガールというノンフィクションでありながらとてもおもしろい映画があっただけに、フィクションとしての演出があると良かったと思わせたかもしれない。
実話ベースと言う事もあってハデなシーンは無かったけどこんな事実があった事に驚き。
米国デュポン社の開発したテフロンの製造工程から出る廃棄物。
これが動物や人間に影響を及ぼす事を弁護士のロブが孤軍奮闘しながら真相を究明していくストーリー。
一人の民間人からのお願いにロブが大手企業と法廷で争う展開。
デュポン社の人体実験に近い行為や隠蔽の事実に驚き。
ロブがデュポンにより殺されそうになるシーンにハラハラ。怖い。
ロブの正義感が素晴らしかった。
ラストに本人達が登場。
心の中で「ご苦労様」と言ってしまいました( ´∀`)
見応えあり!
巨大化学メーカーデュポンの環境汚染を扱った作品。
20年にわたって戦ってきた。1998年から2015年ついこないだだ。デュポンコーリャンとか人工大理石とかデルリンのテフロン加工の製品も以前私は、プラスチックの商社にいたので販売したことがあるし、テフロン加工のフライパンは我が家も使ってました。フォックスキャッチャーでもデュポンの子孫を扱った作品に出ていたマークラファロが製作も兼ねて弁護士を演じていた、その妻にアンハサウェイだ。弁護士事務所の経営者にティムロビンス。監督は、キャロル、アムノットゼアのドットヘインズだ。検査に7年もかかったり、牛を殺された農夫が、先に亡くなったり、大企業は、あの手この手でダラダラいく。企業の不祥事の多くがそうだね。
弁護士家族も巻き込んだ長ーい闘いだ!
NOT CRAZY
世界屈指の化学企業デュポン社による有害物質PFOA/C-8の流出による環境汚染と、それに立ち向かい明るみにした弁護士の話。
1998年に大手弁護事務所で企業弁護士として働くロブのもとに、祖母の知り合いという牧場主が大量のビデオテープを持ち込んだことで始まって行くストーリー。
鍋やフライパン等の表面処理に使われるテフロンはデュポン社の登録商標で、これに使われる有機フッ素化合物がPFOAですね。
さら~っと程度しかこの事件のことは知らないで観賞したけれど、超巨大企業の力を使いPFOAの存在や危険性を隠蔽使用とするデュポン社と、元は企業弁護士である主人公が住民の為、そして家族の為に障壁に立ち向かっていく様は、なかなかサスペンスフルで面白かった。
ただ、主人公の抱える生い立ちのこととか、公判そのものの描写は結構駆け足で、もう少し深くみせてくれても良かったのかなと感じで、プロパガンダが主なのかなという印象。
企業による汚染との闘い
内容的にはあらすじで分かっていましたが、水俣病その他と同じく、環境への汚染との闘い、大企業との闘いは送りつけてきた膨大な資料ひとつとっても果てしなく大変なものでした。
ある程度認めても「検査機関が因果関係を認めれば最大限補償する」というのは、要するに認められなければ何もしてくれないということ。
また3500件以上は認めても今度は1つずつ扱い、こちらが真正面から対抗したらやはり一括で賠償金に対応するとか。。。
元企業側弁護士の人の気持ちを動かした案件であること、それだけ闇が深く、対応せざるを得ない重大案件であることが分かりました。
久しぶりにアン・ハサウェイのシンプルな良い演技が見れて良かったです。
考えさせられる、深いテーマの作品でした。
こんなはっきりした悪が今も野放しとは
テフロン加工のフライパンは憧れでしたが結局親が存命の時は買うことなく、自分が料理することになってティファールのチタンコーティングのフライパンを購入。今も焦げつかず重宝しています。
こんな事を書くと裁判長に「ここはテレビショッピングではありませんよ」と言われそうですが、みんなが知っているテフロンが猛毒の代名詞だったと知って戦々恐々としています。こういった環境問題を取り上げる映画は、得てして対岸の火事で、「アメリカ大変だなあ」「日本でも悲惨な地域あるんだな」という感想でしたが、自分が使わなくてもどこかのお店で使っているかもしれないものがこんなに危険で、しかも数十年も前からわかっているのに法的に問題ないから健康被害出てても大丈夫ですとか訳のわからないことが2021年現在でも続いていることが恐怖でしかありませんでした。
アン・ハサウェイはマーク・ラファロをほとんど怒るばっかりの役でちょっともったいないなと思いました(笑)
【四つの物語】
デュポンは、この映画の最後の場面の年、つまり2015年にダウと経営統合し、その後、当初予定されていたことではあったが、事業再編のうえで2019年には3社に分割されている。
デュポンとダウは公には否定するが、このテフロンを巡る問題の大きさが窺い知れる措置だった。
訴訟、賠償費用だけではなく、ブランド価値にも大きなダメージを抱える事になったのだ。
この作品は四つの物語で構成されていると思う。
(以下ネタバレ)
一つめは、当然、環境を考えることだ。
二つめは、企業のコーポレートガバナンス。
三つめは、規制を含めた社会の法律システム。
最後は、家族の物語だ。ロブの家族はもちろん、被害者となった人々の家族の困難を考えなくてはならない。また、ロブの妻サラが言うように、孤独だったロブには法律事務所は家族同然だったのだ。
この物語は、20年に及ぶ、被害者と、それをサポートしようと奔走するロブたちの長い戦いの記録だ。
映画「MINAMATA」でも描かれたように、企業は自らの過失を認めようとしない傾向は強い。
もし、政府が規制に関わっていれば、政府も同様だ。
監督官庁はもちろん、企業誘致に関与していれば政治家も同じだ。
こうしたなか、被害者は孤独な闘いを強いられる。
だから、ロブのように寄り添い一緒に闘う人は必要なのだ。
昨今、環境負荷を考えて、規制に先んじたルール作りが企業に求められるようになってきている。
人々の監視が強くなっただけではなく、問題があれば一気にネットで拡散されて、企業イメージに傷が付いてしまうからだ。
言われのない誹謗中傷などのリスクもあるが、ネットの功罪で言えば、功の方だろう。
しかし、より専門的なものや、新しく開発されたものなどは、検証は十分とはいえない。
僕は、いつの頃からだったか、このテフロン問題を知り、テフロン加工の、特に、フライパンは使わないようになった。
映画にも出てくるPFOA(=パーフルオロオクタン酸)の有害性の影響範囲は非常に多種多様で、ガンや肝臓疾患、先天性の発達障害、甲状腺疾患など、とてつもなく多くの病気を引き起こすことが分かってきたからだ。
人々が無知だからではない。
こうした悪影響を隠すから、こうしたことが起こるのだ。
アメリカ人の99%の血液に、分解、排出されないPFOAが見つかっている。
錆び付かず、洗い上がりもキレイなフライパン。
家庭料理の味方だ。
この作品には、2人の被害者が出演している。
もっとも印象に残る人物の明るい演技に目頭が熱くなる気がした。
日本にも、被害者は多くはないから良いのだと思っているのか、隠蔽やデータ改竄はあちこちで問題になってある。
安倍晋三の森友問題は、突然、国が赤木さんの訴えを認め、うやむやにさせまいと多額の賠償金を設定したのにもかかわらず、裁判を一方的に終結させた。賠償金は国民の税金から支払われるのだ。
企業景況感調査や、最近の建設統計データの改ざんもそうだ。
河井夫妻への1億5000万円の支出指示は、安倍晋三がやったのではないのか。
僕には、デュポンの問題も、水俣の問題も、安倍晋三の問題も、根っ子は同じにしか見えない。
こうした作品は、観て、アメリカひどいねで終わるのではなく、身の回りに、類似した問題がないのか、冷静に見渡すための作品のような気がする。
オバマ前々大統領は、8年目、大統領最後の年に、汚染された川の水を使った水道水を飲めるのかと迫られ、少し舐めただけでは終わらせたため、支持率が下がる事態になったことがある。民主党候補のヒラリー氏がトランプに負けた理由の一つだという人もいるくらいだ。
悪徳企業や政治家は悪知恵を働かせて、どんどん賢くなるのに、人々が凡庸なままで良いはずがない。
最後の余計なトピックも含めて、僕は、そんなふうに思う。
責任を背負った男の話
現実に起きた巨大企業による環境汚染事件。
利益の追求に邁進するとこのような恐ろしい事になる。
企業は利益を追求するためには
社会に対して大きく責任を背負うことになる。
マーク・ラファロ演じる弁護士は企業が背負うべき責任を
追求するだけじゃなく、自らその責任を背負う。
身体・精神がボロボロになるまでその責任を全うした。
マーク・ラファロの真剣な演技とプロデュースに
この作品にかける責任感を強く感じました。
大企業の不正を暴く映画もあの手この手と試行錯誤。
大企業デュボン社の環境汚染問題を追求する弁護士の物語。この種のたぐい映画も、裁判に勝利してめでたしめでたしで終わる、とはいけないようになって来ている。今回は20年に渡る裁判を続ける弁護士の苦悩に焦点が当たっている。勝訴しなければ金が入らないし、相手も大企業なのでいろいろ画策してくる。その重圧で、病になるのも仕方ないだろう。この手の映画も作るのが難しくなって来ているようだ。
アメリカの良心は健在
アメリカの司法にまだ良心が残っていた。巨大企業デュポンに対して、戦う武器は法律と忍耐と執念。そんな弁護士ロバート・ビロットの物語だった。
時系列に忠実に進んでいく構成だったが、ちょっとテンポが悪い。すいません寝落ちしました。家族のエピソードを省略してデュポン側の対抗策をストーリーにもっと盛り込んだらドラマとして面白くなったと思うんだけど。
ところで、テフロン加工のフライパンの安全性は?
何が一番の驚きかといえば、
今も闘っている、ということです。
テフロン加工のフライパンはまだ売られていて(スーパーなどでも売り場にありますよね?)、剥がれたり溶解した成分についての安全性基準などはそれほど明確に定まっていない。
という現状認識でいいのでしょうか。
もちろん、直接川に垂れ流すようなことはさすがに規制されていると思いますが、いくら微量だとしても、食物連鎖も含めて人体に蓄積されていく化学物質の影響は子や孫の代になって現れることもあるし、『今だけ金だけ自分だけ』の人たちとの長期戦は、並の体力、並の精神的耐久力では継続できません。
敬服するばかりです。
それにしても、といつも思うのですが、『MINAMATA』のチッソといい、この映画のデュポンといい、どうして人は組織の管理職として振る舞う時、倫理観や良心に基づく判断よりも、非人道的な方を選択してしまうのか。
個々の事例を見れば、保身とか目先の利益とか様々な圧力とか誰かへの忖度とか、それなりに理由は見つかると思いますが、傾向としては、『マトリックス』における青いカプセルを選んでしまう(体制側の提供する環境の現状維持)。
赤いカプセルを選び、内部告発や社内改革に挑む選択肢もあるのに、それを取る人があまりに少ない。
元々優秀な人が会社から有能と認められてトップに上り詰めるうちに倫理観や公正さがどんどん削られていく。
そんな構図があるのだとしたら…大企業では、創業者でもない限り、ただの〝いい奴〟は偉くなれないですね。
(余談)
①日本で、現役の人の人生をドラマ化するとしたら、この前宇宙に行った前澤さんあたりが有力な候補ですかね。
生い立ち→起業→成功→突然の引退→宇宙→❓
②マイケル・ムーア監督(ハリセン近藤じゃねーよ、の人)が暴いたオバマ大統領の、水を飲んだフリ事件を思い出しました。
これは見ごたえ十分!
ここまで、巨大企業の悪を暴けるのはスゴイ!
何らかの圧力はかからないのだろうか?
今の日本で、正義という言葉を使うと、空々しく聞こえる。それほど、正義という概念が無くなってしまっている。
しかし、命をかけて(これも空々しく聞こえるが…)、巨大企業に立ち向かった男が実際に存在する。
家庭をかえりみず、人のために、正義のために働いた人間がいる。
この映画は、それを観ることができるだけでも、価値があるといえる。
見ごたえ十分!ぜひ劇場で観てほしい。
法律を扱う映画なので、もう少し丁寧な翻訳は欲しかったかな…。
今年206本目(合計270本目)。
私自身は行政書士試験に合格した程度の知識です(この映画の舞台となるアメリカには行政書士という法律職はいません。韓国や台湾などにはあります)。
ストーリーは実話をベースにしたものなので、あることないこと書けない状況です。そのため、映画というカテゴリには入るものの、事件発生からずっと淡々と描写が続くような展開になっており、ここはすき好み分かれるんじゃないかと思います。
また実話をベースにしたという事情があるため、あることないこと書けませんので、残酷な話でもそのまま書くしかありません。その関係で、ちょっと「そこは配慮がたりないなぁ」という部分があるとしても、そういう関係です。
まず先に言うと、まず化学の知識は必須じゃないかなと思います。ただ、学部レベルのものではなく、高校レベル(理系)の有機化合物の一般的な知識レベルでも足ります。
もう一つ、法律的な知識は「表立っては」要求しないものの、それを前提にする字幕や展開は結構あるため、最低限の知識(特に、何でも良いので手続法と呼ばれるものは必須?)がないと、本当にわかりにくい展開が続きます(一部の登場人物が取る行動の意味が分からなくなるところがある)。その上で、そこそこ法律用語がバシバシとんでくる割に、なぜか一般的な意味で使われている部分もあったりと、大混乱を招きます。
もっとも、そのような知識を持っていなくても、テレビドラマなどで民事訴訟法などを扱うものは最近多いですから、ある程度そこで補うことも可能で、この映画はそこで何とか足りるように工夫もされています。とはいえ、それでも全部補えるわけではなく、法律系資格か、法学部1~2年生くらいの知識をこっそり要求しています(わからなくても大丈夫なように字幕で工夫しているに過ぎない)。
----------------------------------------------------------
▼ 見るにあたって最低限必要な用語(日米同じなので、日本基準で)
環境法: 「民法」のように単独の法律を指すのではなく、環境に関する法律(日本なら、例えば、悪臭防止法、工業用水法、大気汚染防止法など)をまとめたものを「環境法」といいます。
民事裁判: 民事裁判は私人間どうしの私的な内容を扱う裁判です。基本的には金銭での賠償を求めるのが普通です。逆にいえばそのような裁判である以上、民事裁判で「この人を刑務所に4年入れてくれ」というようなことは言えませんし、逆も同じです(役割が違います)。
※ ですから、日本でも、極悪事件がおきたとして刑事事件で最終的な刑が確定した後、「そのあとに」民事裁判で損害賠償を求めるというのは、このことと関係します。
(民事裁判における)却下と棄却: 裁判を起こしたのに相手方を間違っているなど、そもそも「正しくない訴訟を提起している」場合、「却下」判決になります(門前払い扱い)。これを超えてどちらが正しいか争って負けるのが「棄却」(判決)です。
このように「却下」と「棄却」はれっきとして違う語です。
※【本来、正しく使われるべき語】善意/悪意: このような法律ワードが飛び交う中においては、「善意」」「悪意」というのも法律用語として使われるべき…なはずです。あることについて「知らない」ことを「善意」、知っていることを「悪意」といいます。
…が、この映画、こういう法律ワードがどんどん飛び交う中で「善意」という語が一般的な意味(よい気持ちの持ち主、程度の意味)で用いられているため、さらに大混乱を招きます。
----------------------------------------------------------
さらに、化学的な内容も若干出ますので(ただ、映画内では主人公が弁護士であるという事情から、詳しい人が教えてくれる、という展開になっている)、理系文系のどちらの知識もかなり高い知識で求められるという展開になっています。
肝心の内容は…。そうですね。これ、ドキュメンタリー映画に近いといえますからね。
この映画は95%以上が実話ベースなのでしょうが、だからといって、これをもって、「映画内で出てくる、ある調理器具」叩きをするのは変な話ですし、その「ある調理器具」に施されれている技術は日本でも一般的に行われているものです。
起きたことは仕方がないものだけど、「証拠は隠さない、トラブルになりそうなら事件を出さない」「トラブルになったら、すぐに行政を含めて相談できる土壌を作る」という、良い意味で、この一連の事件で亡くなられた方も「真に」望んでいるであろう未来が、この事件でのテーマとなっている会社はもとより、アメリカや日本、やがては世界でも当たり前になれば…と思うところです。
採点は下記のようにしました。
---------------------------------------
(減点0.2) 正直、かなりの「総力戦」を要求する映画になっています。化学に関する知識はもとより、法律(特に、民事訴訟に関する話一般など)の話などがどんどん出るため、理系文系どちらの知識も深く要求する「総力戦」で、ここまではちょっときついのでは…と思えました。
とはいえ、実話ベースであることは確かで、あることないこと書けないというのは、「いきなり「導関数」が出てきたボスベイビーとは明確に異なる」ことも事実であり、そこは考慮しました。
---------------------------------------
マーク・ラファロの有無を言わせぬ実行力
彼はおかしくなんかなかった --- 人として真っ直ぐに正しい道を進み続ける演技派マーク・ラファロの製作も兼ねた熱演が見る者を釘付けにする。突き動かされる。スクリーンの外でも信念の人。彼以外も、本作の意義に賛同したであろう出演者たち(ex. アン・ハサウェイ、ティム・ロビンス、ビル・キャンプ、ビクター・ガーナー、ビル・プルマン)は皆各々の役割でしっかりと本作のテーマ・メッセージを理屈を超えて伝えるのに寄与しているし、本人たちの実名起用もより身近なこととして真実味をもたらす。
"Still here." 本作を見ているとき、実際に起こった(ている)現実の出来事であることを何度も力強く意識させられた。そうしたトッド・ヘインズ監督の引き込まれる見事な語り口はじめ、本当に真摯な気持ちで製作されたことが伝わってくるようだった。例えば『エリン・ブロコビッチ』や他にもこういう事例はあるけど、そのどれもがしっかりと語られる意味があるし、広く鑑賞されてほしい、そしてそれを見た人が考えてほしいと切に思う。
再三言ってるし言い続けるが上映中にスマホ開くバカどもくたばりやがれ。おまえら本当にそんなんで作品と向き合ってるって言えるのか?絶対真剣に受け取ってない考えてないし、こういう人らがデュポンみたいなことする。
全124件中、101~120件目を表示