ひとくずのレビュー・感想・評価
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泥棒というヒーロー
現実でも社会問題となっている子供への虐待がテーマ。親から子へ引き継がれていく虐待の負の連鎖、重い重い話です。
虐待を受けている子供のシーンがとてつもなく辛かった。恐怖、空腹、絶望を幼い子は耐えるしかない。身勝手な大人には憎しみすら覚える。でもこれは映画の中ではなく、頻繁に報じられる虐待のニュースは、現実でも、この辛い場面はどこかで起きている。それを考えると胸が苦しくなります。
この映画は、泥棒がヒーローになった。こんなの現実ではありえないが、でも鑑賞者としては救われた気分だ。子供だけでなく母親も救った、そして自分までも救われた、心から良かったと思える。
ようやく掴んだ幸せなのに、警察に捕まりエンドロールが出た時は虚無感で動けなかった。そうだよ、人殺してんだもんと気づく。
でも、さらなるエンディングでは救われた気分になった。ここから、全員当たり前の生活という幸せを歩んで欲しいと心から感じた。
邦画で初めての監督指名作品。新ディレクターズカット版を鑑賞。アイス食べたくなる映画。
私が映画に疎いわけは、監督とその作品群をよく知らないからなんですね。お名前を覚える程度のことすら危ういですもんΣ(oдΟ;)!!マジデ!
お気に入りの監督と言えば『ニューヨーク1997』のジョン・カーペンターくらいなんですよ。
先日の『西成ゴローの四億円・前/後編』に続き『ねばぎば新世界』を観て、監督としても、俳優としても、上西雄大のファンになりました。
「せやったらこれは外したらアカンやろ!」というわけで、遅ればせながら、本作の鑑賞を決めました。
邦画でこの流れ、初めてかもです。
導入部から過不足なく、舞台背景がよく描かれていると思いました。
ですが、かなりの違和感を覚えてしまって。雄大さんの台詞が標準語だったことに。
「なん↷でガキの服がそんな高いんだ!」じゃなくて「なんでガキの服がそんな高いねん!」「知らねぇよ!」じゃなくて「知らんがな!」ってシナリオと舞台設定を大阪にしてほしかったです。お芝居が途端に、ぎこちなく感じてしまったんです。
雄大さんには、やはり大阪弁が似合うと思います。私如きが口を出すこっちゃないんですが。
"どろぼうのおじさん"(笑)ことカネマサの不器用な生き様には、終始クスクスとさせてもらいました。焼肉店での「スジなんて喰わねーよ!」「特上のファミリーセット」「何でもかんでも特上出しゃいいんだろ!」とか。子供相手に容赦ない制裁を加えるとか(笑)鞠のこととなると目がないカネマサに胸がほこりさせられました。
鞠の誕生日を「祝ってやれよ!」って言ったって、逆に凛に「どうやって?」と問われて、何も言葉を返せないとか。
笑いながらも、余計に哀しいなぁ…と切なくなりました。
鞠を演ずる希良梨ちゃんの表情がかわいいのなんの₍ᐢ⑅•ᴗ•⑅ᐢ₎カワイイ♡ 犯罪者目線とかちがうよ!純粋な感情だよ!
好きなシーンはヒロの死体を埋めた後の「アイス買ってやろうか?」→「えっ*・'(*゚▽゚*)'・*」と、"特上"の塩タンを前にした時、「カネマサがパパになってくれるって」→「えーっ!ヽ(^o^)丿」でした。
とにかく、あの笑顔にはやられました♡
いい女優さんに育ってほしいなぁ。ポテンシャル高そうだもん。
一方の"バカ女"こと凛のヤキモチもかわいかったけれど。
「えっ!」と思ったのは、カネマサのマルタイのコードネームが"カラス"だったこと。この設定が後の『ゴロー』に生きたのかな?
困ったことに本作もWikipediaを始めとして、作品のデータの記述がほとんどないんですよね。上西監督が不憫だし、私も困る!
どんな親でも親は親なんかなぁ…簡単に割り切って、縁は切れへんのんかなぁ…と思うと切なくなりました。
アイス食べたらイヤなこと忘れられるのに、二度とアイスは食べないと誓った過去が、とても悲しかったです。
ただ、映画としては、その"泣かせ"のシーンの音楽が、挿入歌を含めてちょっと過剰だったかな?と思いました。(でも、主題歌もそうなんですけれど、作詞は雄大さんによるものなんですよね。どんだけ多才なお方なんですか!)
そこ差っ引いても、素直に泣ける映画だったんですが。
できれば、この幸せな日々がずっと続けばいいのになぁ…と願いながら観ていました。
まぁ、予定調和ではあったんですが。
再び「えっ?」と思ったのは、二重のラスト。殺人で収監されていた年月の割に、出所後のカネマサと、迎えに来た凛に老いを感じなかったところ。カネマサの母は面影あって、きっちりと歳を重ねていたのに。それ言っちゃ野暮か。
キーアイテムのアイスがよく効いていた、そんなハッピーエンドのラストでした。
イヤなことがあったら、私もアイス食べようかな?ガリガリ君じゃなくて高いやつを。ハーゲンダッツとかを。
【疑問】
映画やテレビを観ていていつも思うんですよね。人間って包丁で刺されたくらいで簡単に絶命するのかな?って。
私はまだ刺されたことないから、よくわからないんですけれど。本作ではえげつなく、トドメにグッサグサやられてましたけれど。
死ぬってか痛そう。カッターナイフで指先切っただけでも、かなり痛いもん。←こっちはプラモ作りで経験済み。
ネグレクトの裏側
ネグレクト、虐待、暴力は連鎖する。
その典型を描き出す。
そして、負の連鎖を断ち切る出逢いと別れ…。
観終えて、淀んだ気持ちで終わったと思ったがエンドロール最後に…。
人の幸せについて考える…。
母のアイス
ストーリーは多少誇張された部分もありますが、人格崩壊や家庭崩壊の描き方は秀逸。
児童福祉施設に勤めています、詳しくは書けませんが、稀ですがカネマサとリンマリ親子のような関係は実在します。
カネマサはヒトごろしであり犯罪者です。
カネマサの母もリンも最低です。
だけど、そうなってしまった理由がある…。悪と負の連鎖。
カネマサは自分の幼少期と虐待されたマリちゃんを重ね見て助けてあげたいと思った、
「アイスを食べれば嫌なことは忘れられる。」
カネマサが、我が毒母の中に一瞬だけみた優しい母との思い出…。
アイスをリンマリ親子に食べさせたいカネマサ。
カネマサはカネマサなりにマリちゃんを救いました。
マリちゃんの純粋な笑顔でカネマサとリンは救われました。カネマサとリンの笑う顔をみてマリちゃんは幸せそうでした。
そして最後の最後で、カネマサ母も救われました。
負の連鎖が存在するなら、正(愛)の連鎖もまた存在する。
幼少期のカネマサが暴行されて入院した時に、其れまでずっと我が子を邪険にし無視していたカネマサ母がアイスを持って来ていなかったら…
主題歌『HITOKUZU』
愛してくれなくて構わない
愛するつもりもないんでしょう
傷つけられても構わない
守ってもらえるわけないもの
夕焼けなんて見たくない
どうせまた夜が来るから
人間扱いしなくていい
人間に生まれたつもりもないし
もしもそんな私でも
本当に欲しいものを言ってもいいなら
優しい日の母さんの掌
優しい夜の母さんのほっぺた
ひとくず
本当は0点にしたいし、観た記憶をなくしたい。不愉快で後悔している。
スマホがでてくるので現代劇だとかろうじてわかるが、昭和のテレビ映画を観てるのかと錯覚する。2020年にやる意味がどこに?
「昭和」という感想をみかけ、敢えての昭和的演出で新鮮味を出しているのかと期待したが、ただただ古臭い懐古趣味だった。
児童虐待をテーマに見せかけているが、実態を調査をしたように感じられる描写はなく、わかりやすいワイドショー的な表現に始終する。
愛着障害による虐待の連鎖については、理解も描写も浅く、「かわいそうな親子」「かわいそうな俺」の演出にすぎない。
主人公はいわゆるアウトローであるが、それが魅力となっていない。社会性のないまま運良く世渡りしているにすぎず、「俺のかわいそうな子供時代」にとらわれ続けている。それゆえに、虐待されている少女を世話することが、拾った子猫に餌を与えるのと変わらぬ行為となっている。餌は買ってきたしかわいがるが、ワクチン摂取やトイレの世話はお前(母親)がやれと放り投げている子供と同じである。
たとえ一人でも、子供を養育し日々を送ることの難しさや忍耐への想像力を全く感じられない。
盗んだ金で贅沢をさせ、「母親(女)が家で子供の面倒をみろ」と怒鳴る男を描くことに、一体何の価値があるのか?
そしてこの監督は、自分が救われるために人を助けることの利己的行為の浅ましさについて、考えたことはないのだろう。幼稚すぎる。
主人公は女性に対し「ブス」「バカ女」と罵りまくるがそれで憎まれるでもなく好意さえ持たれる。都合がよすぎる中年男性の夢想そのまま。いったい昭和何年からコールドスリープしてたんだ。
ドキュメンタリーであれば主人公に成長がなくても現実なので仕方ないが、主人公に何の反省も変容もなく内面のドラマが皆無であり、「アウトローの俺」の自己憐憫と自己陶酔を煮しめた「男向けお涙ちょうだいコンテンツ」でしかないし、物語になっていない。
終盤の歌を背景に夜道を歩くシーンには心底うんざりした。恥ずかしくないのだろうか。
そして、ラストシーンには呆れた。どこまで女に一方的なケアと許しを求めるのか。
カフェでの女同士のキャットファイトはサービスシーンなのだろうが、悪趣味すぎるし本当にどこまで古臭いのか。どうしてこういう感性でいられるのだろう。
主人公が少女の部屋へ入りこんだ後、ゴミだらけの部屋をあっという間に綺麗に片付けていたが、コメディだろう。掃除上手の空き巣のアウトロー。ギャグ漫画なら面白そうだ。
主人公に親しげにする刑事も古い二時間ドラマ臭がしてコントのようだった。小学校教諭や児相職員の描写は薄っぺらで、何も調べずに都合よく作ったのだろうとしか感じられない。
そもそも、小学生の女の子にあんなに執着する中年男性を母親が警戒しないのはおかしい。
いたるところが現実味を欠き、安っぽい。
社会派を気どるならせめてケン・ローチ作品くらい観て演出や構成を勉強して欲しい。というか、現実をちゃんと調べてくれ。
ただ、高齢の観客にはうけていたようなので、昔の人向けのお涙エンタメとしての価値があるのかもしれないが、これからの時代には意味がないばかりか害悪ではないだろうか。
途中までは社会派ドラマ風(でも深刻ではない)、コメディ(人間喜劇)かもと思ったが、最後はベタな昭和の映画みたいになった。でも泣いた。
①逆境にいる少女を社会のはみ出しものが救うという話は世界の映画史の中でよくある設定。それを児童虐待に落とし込んだところが新味か。②前半は社会派ドラマ風。マリの体に残る虐待の傷に、マサオが子供の頃に受けた虐待のシーンがオーバーラップし、マサオがヒロを殺すところまではなかなかシリアスな展開。しかしその後なんとはないユーモアが隠し味みたいに滲み出してくる。③何か気にくわないことがあると直ぐ「くそアマ!」「ブス!」と罵るマサオのクズさが話の深刻さを中和する。リンも負けずに『あんたの回りブスだらけやね』と負けてはいないところも笑わせる。カフェでのキャットファイトというのも何か可笑しい。④焼肉レストランでの隣の席の親子連れ(娘のこしゃまくれぶりのウザさをよく捉えている)やマサオが空き巣に入った家の主婦と婦人警官との噛み合わない会話。マサオが空き巣で盗んだ時計を持ち込んだ盗品屋の主人と並んだ女の顔。マサオの就職先の運送会社の女事務員を始めとする社員たち。みんな、どことなく可笑しい。⑤最初、マリに焦点を当てた児童虐待・育児放棄を描く社会派ドラマ風だったのが段々マサオの人生を綴る人間ドラマにシフトしていく。その切り替えに当たるような、焼肉レストランで我知らず涙をこぼすマサオにリンがビールを初めて注いでやるシーンが秀逸。⑥決して技巧的な、また端正な映画ではない。前半はなかなか快調だが後半やや平板に流れたところや生硬なところが散見される。しかしどのシーンも丁寧に描かれており、その丁寧な積み重ねが映画の最終部分の盛り上がりをしっかり支える構造になっている。⑦最初は最低の母親にしか見えなかったマサオの母やリンか、後半は段々哀れに思われてくる。親の愛情を知らずに育った子供は、親になったとき自分の子供への接し方・愛し方が分からず、それが育児放棄や児童虐待の温床になっているという問題提起(やや通俗的ながら)はしているが、この辺りは殆んど人情ドラマの趣が強くなっている。⑧ラスト近く、疑似家族になろうとマリの誕生祝いに駆けつける寸前で刑事に逮捕されるところなど誠に予定調和でベタベタである。ラストのラスト、出所したマサオを迎えたマリ・リン親子に加え、車椅子姿のマサオの母親まで登場するところは人情もの以外の何者でもない。でも、それまでの丁寧な描写の積み重ねのお陰で泣かされてしまうのだ。⑨あんな刑事が本当にいるのかわからないが、マサオが空き巣犯だと判りながら捕まえず就職先まで世話する老刑事がいい味。マサオ逮捕のところで、所轄警察と殺人課の刑事との違いをさりげなく描き分けているところも面白かった。⑩育児放棄され虐待を受けていても母親を捨てようとしないマリを演じた小南希良梨の好演も忘れてはいけないだろう。
カネマサはなぜ面会を断り続けたのか
それは、同じ過ちを繰り返したくなかったからではないか。
その過ちとは、替わりのきかない家族を否定し手放してしまった過ち。
過去のその過ちを悔いながら、どうしようもない毎日を繰り返す中、偶然にも救いのように目の前に現れたマリ。
どうしようもない過去を償うようにマリに接するカネマサは、マリにとっても救いだった。
殺人の罪で連行されるカネマサと、それを見送るマリの、「カネマサー」「マリー」と声の限りに呼び合う場面は、余りにも切なくやるせなく胸を締め付けられる。
『人間なんて屑だもの。神様なんて信じない。神様なんていないから。
それでもいつか、あなたを抱きしめたい』
そのために、カネマサは、自らの罪を償い終えるまで新たな家族との面会を断り続け、自分と新たな家族だけを信じてその日を迎えた。
そんなカネマサを出迎えたのは、傷を癒したマリとその母、そして、カネマサを苦しめ続けた実母。
アイスの入った袋を振り続ける実母にカネマサが呼び掛けたのは、「くそババァ」ではなく「かあちゃん」だった…
マリとカネマサを双頭に、圧倒的な熱量で演じられ、一瞬も目が離せない演出と構成で築き上げられたこの映画は、文句無しの圧倒的傑作だ。
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