娘は戦場で生まれたのレビュー・感想・評価
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この映画のジャーナリストのイデオロギーを絶賛する
正解はやはり逃げる事だと思う。ただ、それだけだと思う。白旗を掲げ、逃げる。それまでの犠牲を考えては駄目だ。『自分達の子供に、自分達と違う人生を歩んでもらいたい。それでアレッポを出た』この言葉だと思う。
しかし、ロシア軍が背後にいるいないは兎も角、内線はたしかな事。つまり、同じ国の中で戦争をやっているって事。
かつての日本でたとえるならば、沖縄でやった地上戦みたいなもの。ほとんど同調圧力で『お国の為に』と言わされながら、アメリカ軍ではなく、自決したり、自決を強要されて拒んで、日本軍に殺される。つまり、少なくとも日本軍は沖縄県民を守ってはくれなかった。勿論、東京大空襲も2つの原爆も早く白旗をあげないから落とされたとも言える。平和を望むなら、早く白旗を揚げる事も一つの手段だと思う。僕なら最初に逃げるが、この映画のジャーナリストのイデオロギーは絶賛する。一点の曇もなく、共感できる。傑作だと思う。
何をどうすれば良いが?どうすることも出来ないのだから、少なくとも、自分達の生活を守れる様に活動なり、運動をしていくべきだと思う。差し迫った話では反原発運動とか。(ザポリージャを考えるなら急務) まだまだ
いくらでもやることはある。要は自分で考える事が大事だという事だ。
夫婦は娘を戦場に連れ戻した。
ごめんなさいね。あえて、イヤらしく、こんな言い方をしてみました。
内容は「活動家女性の母としての記録」でした。
アラブの春は遠い遠い昔の話。外国の過激的勢力に乗っ取られた代理戦争は、内戦なんて簡単なもんではなく。近年はSNSによる情報戦が繰り広げられており、アサド政権を支援するロシア・イラン、反体制派を支援するサウジ・トルコ・カタール、難民・民間人犠牲者・ロシアによる空爆をセンセーショナルに報道する西側メディア、と有史上最も複雑な内戦、と言っても過言じゃないくらいに酷い。
内戦の残虐性を生々しく伝えてくれるこのドキュメンタリーに、ただ一つ疑問を投げかけるとしたら、「なぜ娘をアレッポに連れ戻したのか?」。まぁ、トルコだって安全ってわけじゃないですけどね。
ちなみに、米国がこの1月にバグダッドで殺害したイラン革命防衛隊のソレイマニー司令官は、この内戦におけるイラン軍の関与に指示を与えていたとされる人物。米軍はシリアから撤退していますが、関与は継続している。
声を上げてくれ。頼むから泣いてくれ。泣き声を上げろ。泣け。泣け。泣いてくれ。
妊娠9カ月の妊婦と胎児。逆さにされた胎児の瞳に光が宿り、鳴き声を上げた時の嬉しさは生涯忘れられない。ここだけは感動した。
シリアのドキュメンタリーとしては衝撃的ですが、扇動的でもあり。いや、最後に「Justice」の言葉さえ見なければ、違う思いを抱いてたんでしょうけどね。あそこに、正義なんて存在しないでしょ。子供の命を守る事は正義ですけどね。アサドを倒すために国際的な介入を求めると言うような内容のコメントもありました。ロシアの無差別な空爆を非難するのは判ります。しかし反体制で最も残虐なISILの掃討が開始されている時点で、アレッポに留まるのは、さすがに無理なのではないかと言う気もする訳で。
なんか、やっぱり、ちょっと気分複雑かも。
人類とウィルスとの闘いは永遠に続くだろうが、戦争という人類の愚かさも止まることはないのだろうか?
①空爆を受けて重傷をおった9ヶ月の妊婦から帝王切開で取り出した赤ちゃんが、医師の必死の処置で泣き声を上げたところは心底感動した。しかし、その後は正視出来ないほど悲惨な光景が続く。
極絶リアルドキュメンタリー
一方的な意見も含まれているので、この映像が全てでアサド政権が全面的に悪いなんて思わないけど、爆撃や病院に運び込まれる負傷者の様子はすざまじい。
撮影器材もハンディカムや携帯電話で素人が撮っているので手ぶれが酷いし、爆撃の音がしてビクっとしてそちらにカメラをターンするという超絶にリアル、臨場感が半端無いです。
アレッポの街が包囲され、物資が入ってこなくなり、どんどん住人が街を出ていく。直ぐ近くまで爆撃が迫っているのに、それでも陽気に日々を暮らす人達。最後に1つ残っていた柿をもらったと喜ぶおばちゃん。何故か肌の色艶がいい。
柿を食べたいから戦争を止めて欲しいと願う(((^_^;)
日々攻撃が酷くなり、病院まで標的にされ、人道的見地からも憤りを感じる。
『プライベート・ウォー』で観た景色と同じ…人が住める状態ではない。水道も止まって水が出ない。病院の床は清掃も出来なくて、そこに怪我人が運び込まれるので、まさに血で血を洗う有り様だ。
最も印象的な場面は、ついにアレッポを出ることになり、柿のおばちゃんともお別れ…あんなに明るかった人だが、やはり別れは辛い。ピカピカの肌に涙が一筋。それを幼い娘が小さな手で拭う。どんどん綺麗な肌が汚れていく。何故なら娘さんは手を洗ってないから。
爆撃の音にも動じず寝ていた娘サマ…無事に成長して、この映像を観ることが出来るのだろうか?果たして何を思うだろう?
現実に戦争は続いているのだと言うことを、同じ時代を生きる者として改めて実感させられた…この映画が存在する意味は大きいと思う。
いつか庭を取り戻す日
素材が殘り、映画になった事自体が奇跡みたいな映画だ。
カンヌで最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、アカデミードキュメンタリー賞にノミネート(なぜ受賞しなかったのか)された今作は、「アラブの春」に端を発するシリアの民主化運動(2011)からアレッポ陥落(2016)に至る6年間、地獄と化すアレッポの町と人を現地で収めた貴重な記録だ。
映畫はアレッポ大の學生だったワアド監督が、2016年に産んだ娘・サマに語りかけるプライベートフィルムの様な構成。「なぜ母と父はアレッポに留まったのか?」をのちに娘に伝えたいと願う様に、映画は進む。
夫であり医師のハムザの病院には毎日300人以上の負傷者や死者が運び込まれてくるから、正直これほど大量の死体や欠損した人体の生の映像を見たのは初めてだった。(苦手な人にはマジでオススメしません)
カメラは息絶えたばかりの子を前に絶叫する親の姿を映す。
時には死んだ母子を映しながら「この子の死んだ母に嫉妬を感じる、子の死に目に会わずに済んだのだから」という凄絶なナレーションをかぶせる。
さらには3ヶ月前に産まれたばかりの監督自身の赤子と、死体になった青白い他の赤ん坊を同じフレームに収め撮っていく。その画は「我が子を同じ様に失うかもしれない」恐怖と「それでもここに残っている」自身への批判を込めた様な、とてつもない画だ。そんな映像が100分間ずっと続くんだから、もうめちゃくちゃにキツイ。
なぜアレッポの人々は、そんな地獄を捨てて逃げなかったのか?
ちょっとびっくりしたんだけど、2016年にアサド政権がアレッポ封鎖を始まる直前のタイミングで、夫妻はたまたま夫の実家であるトルコに子供の顔見せに出向いていた。
封鎖が始まったのはまさにその時。夫妻はその時なんと産まれたばかりの子を連れ、危険な前線を通ってアレッポに戻るのだ。
なぜか。夫妻がアレッポ大ではじめた民主化運動の革命に陶酔していたから?
仲間がいまも現地で戦っているから?だがそんなイデオロギーは、現地の肉薄する死の恐怖に到底勝てない気がする。
考えていてふと、脈絡はないけど震災の時に取材させてもらった岩手の牡蠣の養殖農家の方の言葉を思い出した。そのおじさんは、養殖の漁場を津波で失った想いをこう話してくれた。「漁場が無くなって何を悲しんでるのかわかってないよね。むかし漁業は遠洋に出ると何日も帰らない事が普通だった。家族と一緒に暮らしたいから、養殖の漁場を作ってきたんだ。だから漁場が無くなった事が悲しいんじゃない。家族といたい、その積んできた想いが奪われたようで、それが悲しいんだよ」と。
監督は結婚した時にアレッポに小さな庭付きの家を買い、夫と一緒に庭にたくさんの植物を植えた。だけどその家はまもなく空爆で瓦礫になった。アレッポ陥落で街を追われるその日、監督は庭から植物の苗をひとつ持っていった。
たぶんアレッポを離れられなかったのは、その庭に一度未来を描いたからではないか。その小さな植物の苗の方が、イデオロギーよりも街を離れられない理由に近い気がしたし、そんな風に難民一人一人が、その小さな苗に変わる何かを奪われたのだ。
バグダディー司令官殺害や、アメリカ軍のシリア撤退ばかりが記憶に残るけど、いまだアサド政権による反政府勢力地域に向けた激しい攻撃は続き、去年11月からこの2月までの3ヶ月間で90万もの難民が新たに生まれシリアを追われている。何一つ状況は良くなっていない。
サマの寝顔で全てが救われるのか?
My parents always said I was headstrong, even reckless
I never understood what they meant until I had a daughter......You
彼女ワアド・アルカティーブ....娘Samaの無邪気な顔の大写しから始まる...そして暫くすると突然の空爆による着弾音...
Sama
I've made this film for you. I need you to understand
Why your father and I made the choices we did.
What we were fighting for.
このように撮影者であり監督の一人ワアド・アルカティーブがいかにシリア内戦の中、第一の都市アレッポで生き抜いてきたかの記録を娘に残すために描かれている...このドキュメンタリーは製作者自らが語り部となって娘に常に呼びかけるように話しかけるように伝えている。
この映画の撮影期間は2011年から2016年12月の反政府側から言うとアレッポ陥落、政府側からするとアレッポ制圧までの内戦の様子を夫の医師ハサムが自ら協力者と力を合わせて作り上げた簡易病院兼住居を舞台に主に2015年に娘のサマが生まれた前後を中心にイギリスのテレビ局のレポーターとしてシリア内戦の様子を伝えるためにSONY製のデジタルビデオカメラで2011年頃より撮り貯めていたものと合わせて一本のドキュメンタリーとしてプロのエディター2人と協力して再編集されたものを映画化をしている。
名もない女性の叫び
Are you filming? Why are they doing this to us? Film this!
It's mummy, I've got your milk?
Wake up Alaa, I beg you!
この映画を視聴制限 "G" で一般の映画館に提供するのをヨシと思わない蒙昧な者にとっては、数十名以上の虐殺された死体がブルーシートに包まれ広場に寝せられているだけでなく、残酷にも処刑スタイルで殺されたと思われる斜め後頭部から撃たれ前頭部が半分吹っ飛んでいる死体をモザイクなしに年齢制限なしに見せるのは、成熟していない大人だけでなく子供に見せるのは、はっきり言ってトラウマとなるのでせめて視聴制限を ”PG” にすべきだと個人的には思われる。Common Sense Media によるとこの映画は視聴可能年齢は15歳以上となっていて、Positive Messages、Positive Role Models & Representationsという肯定的な高い評価ばかりでなく”暴力” に対しての評価....Common Sense Mediaによる暴力の定義をこの映画について簡潔的に示しているので....
映画「娘は戦場で生まれた」における暴力
「子供、負傷者、出血、死にかけている、死んでいる人を含む実在の人々の激しいグラフィック映像。人々は爆弾と空爆で死にます。人々は愛する人の死を嘆き、悲鳴を上げ、泣き、倒れます。視聴者が気にしている人が傷つけられたり、捕らえられたり、殺されたりするかもしれないと思われる瞬間があります。
Common Sense Media Plusを使用して、お子様のメディアに暴力の制限を設定します。」
They're even using chlorine gas on us.
cluster bombs, barrel bombs
頭から血を流し為す術もなく途方に暮れる子供の哀しい顔、顔、顔...逆に爆弾でできた穴に水を流し込んで泳ぐ子供たち。死んでいる光を無くした子供の目...その子を抱える幼い兄弟たち。
その中でも...
意識を無くした夫人から帝王切開手術をして生まれたばかりの赤ちゃんが取り出される。灰色をした無機質な人形のように...助からない?医師がッと...青い目が一瞬大きく開いて閉じる...どのように撮ったのか?
So that you and all our children would not have to live as we lived.
Everything we did was for you.
It was all for you, Sama.
シリア陥落の後、政府軍とロシア軍から直ちにアレッポからの即時退去を命じられます。応じなければ死あるのみ...サマちゃんと家族はどうなったのか気になり..The New York Timesの2019.11.20の記事より”映画「For Sama」の後、シリアの家族がロンドンで避難場所を見つけた”...と あり、またWaad Al-Kateab氏のTwitterに元気に成長したサマちゃんを見ることが出来ました。
The Australianのベテラン記者がこのように映画についてコメントを残している。「この映画ほど強力なドキュメンタリー映画を見たことはほとんどありません。」...と
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