「いつか庭を取り戻す日」娘は戦場で生まれた 前世は焼き鳥屋さんの映画レビュー(感想・評価)
いつか庭を取り戻す日
素材が殘り、映画になった事自体が奇跡みたいな映画だ。
カンヌで最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、アカデミードキュメンタリー賞にノミネート(なぜ受賞しなかったのか)された今作は、「アラブの春」に端を発するシリアの民主化運動(2011)からアレッポ陥落(2016)に至る6年間、地獄と化すアレッポの町と人を現地で収めた貴重な記録だ。
映畫はアレッポ大の學生だったワアド監督が、2016年に産んだ娘・サマに語りかけるプライベートフィルムの様な構成。「なぜ母と父はアレッポに留まったのか?」をのちに娘に伝えたいと願う様に、映画は進む。
夫であり医師のハムザの病院には毎日300人以上の負傷者や死者が運び込まれてくるから、正直これほど大量の死体や欠損した人体の生の映像を見たのは初めてだった。(苦手な人にはマジでオススメしません)
カメラは息絶えたばかりの子を前に絶叫する親の姿を映す。
時には死んだ母子を映しながら「この子の死んだ母に嫉妬を感じる、子の死に目に会わずに済んだのだから」という凄絶なナレーションをかぶせる。
さらには3ヶ月前に産まれたばかりの監督自身の赤子と、死体になった青白い他の赤ん坊を同じフレームに収め撮っていく。その画は「我が子を同じ様に失うかもしれない」恐怖と「それでもここに残っている」自身への批判を込めた様な、とてつもない画だ。そんな映像が100分間ずっと続くんだから、もうめちゃくちゃにキツイ。
なぜアレッポの人々は、そんな地獄を捨てて逃げなかったのか?
ちょっとびっくりしたんだけど、2016年にアサド政権がアレッポ封鎖を始まる直前のタイミングで、夫妻はたまたま夫の実家であるトルコに子供の顔見せに出向いていた。
封鎖が始まったのはまさにその時。夫妻はその時なんと産まれたばかりの子を連れ、危険な前線を通ってアレッポに戻るのだ。
なぜか。夫妻がアレッポ大ではじめた民主化運動の革命に陶酔していたから?
仲間がいまも現地で戦っているから?だがそんなイデオロギーは、現地の肉薄する死の恐怖に到底勝てない気がする。
考えていてふと、脈絡はないけど震災の時に取材させてもらった岩手の牡蠣の養殖農家の方の言葉を思い出した。そのおじさんは、養殖の漁場を津波で失った想いをこう話してくれた。「漁場が無くなって何を悲しんでるのかわかってないよね。むかし漁業は遠洋に出ると何日も帰らない事が普通だった。家族と一緒に暮らしたいから、養殖の漁場を作ってきたんだ。だから漁場が無くなった事が悲しいんじゃない。家族といたい、その積んできた想いが奪われたようで、それが悲しいんだよ」と。
監督は結婚した時にアレッポに小さな庭付きの家を買い、夫と一緒に庭にたくさんの植物を植えた。だけどその家はまもなく空爆で瓦礫になった。アレッポ陥落で街を追われるその日、監督は庭から植物の苗をひとつ持っていった。
たぶんアレッポを離れられなかったのは、その庭に一度未来を描いたからではないか。その小さな植物の苗の方が、イデオロギーよりも街を離れられない理由に近い気がしたし、そんな風に難民一人一人が、その小さな苗に変わる何かを奪われたのだ。
バグダディー司令官殺害や、アメリカ軍のシリア撤退ばかりが記憶に残るけど、いまだアサド政権による反政府勢力地域に向けた激しい攻撃は続き、去年11月からこの2月までの3ヶ月間で90万もの難民が新たに生まれシリアを追われている。何一つ状況は良くなっていない。