「本作の製作意図と目的とは」バトルフィールド クルーティの戦い あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0本作の製作意図と目的とは

2022年9月29日
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鑑賞方法:VOD

映画としての作劇や構成は正直良くありません
カタルシスも無いです
知らない役者ばかりです

それでも今こそ観なければならない映画です
なので断固星5つです

劇中の都市名は今回の戦争の僅か1年前の2019年の映画なので、キエフ、ハリコフ、オデッサのままです
キーウ、ハリキウ、オデーサ
今はこう呼び方が変わったのは、ご存知のとおり
キリル文字で書いてあっても、キーウと今では読めてしまうほどに私達はウクライナのことをよく知るようになりました

しかし2022年の今の戦争と同じことが100年前にもロシアのウクライナ侵略があったことは知らない人が殆どでしょう
自分も初めて知りました

それゆえに今こそ観なければならない映画なのです

冒頭とラストは本作の公開の1年前の2018年の現代です

もちろんウクライナで製作された映画ですから、今現在戦いが行われているのと同じ光景が画面のなかにあるのです
雪原の中での塹壕戦はテレビで視たそのままの光景なのです

内容は1918年、つまり丁度100年前にあったウクライナ・ソビエト戦争でのクルーティ駅近郊での戦いを扱っています

ソビエトとは1917年にロシアが共産主義革命によって国名を変えたもの
つまるところロシアです

共産主義であろうと無かろうと、ロシアは帝国主義的な侵略国家であったのです

本作が製作された理由は、もちろんその戦いから100周年だからでしょう

しかしそれよりも2014年のロシアによるクリミヤ半島の併合を経験したからこそが動機であると思います
100年前のようにロシアはまた独立国家のウクライナをまたも侵略しようとしている
その危機感が本作を作らせたのでしょう

ウクライナ国民にロシアの本格的な侵攻に備えよとの警告が本作のテーマなのだと思います
100年前のように全土を占領されロシアに併合されてしまうぞと言うことです

だから2018年の現代のウクライナの軍人がクルーティ戦いの戦跡を訪れ英雄記念碑の下でその記録を見ているのです
手書きのノートを持っているということはきっと主人公の子孫であるのでしょう

そして、ラストに子ども達がクルーティの戦いの事を学んでいるシーンがあるのです
それは現代に生きるウクライナの今の国民すべてがこの戦いの英雄達の子孫であることを思い出せと主張しているのだと思います
そして次代を担う子ども達にウクライナの独立を引き継いで行かないとならないのだというメッセージだと思います

またそれだけでなく、100年前と同じことが起ころうとしていることを国際社会に広く理解を得ることも本作の大きな目的なのだと思います

このクルーティの戦いは1918年1月29日のことでした

今日は2022年9月29日
ロシアのウクライナ侵攻は7ヵ月が過ぎました
一時はキーウ目前まで迫ったロシア軍の大軍を撃退し、さらに9月には東部や南部のロシア占領地への大反攻作戦を成功させました

まさに本作の製作目的が果たされたのです
殆どすべてのウクライナ国民が本作の学徒兵のように勇敢に戦ったのです
そして国際社会の理解を得て、ロシア軍に優越する高性能な武器弾薬の支援がなされたからです

このロシア軍の大敗北によって、プーチンは追い詰められ、部分的といいながら動員を発令しました
大学生も動員されているようです

しかし本作の劇中の100年前のウクライナの学徒や、現代のウクライナの国民のように、自ら志願して国を守ろうとは、ロシアの国民はしていません
なんとか徴兵を逃れようと国外に脱出しようと国境に車が何時キロもの列を成しているのです
仕方なく徴兵された男達の表情にはまるで戦意が感じられないのです

プーチンはもしかしたらこの戦争に敗北するかもしれないとの恐怖に駆られているように見えます

本作のロシア軍の司令官として登場するミハイル・ムラヴィヨフ大佐を演じる役者がプーチンに似ています
もちろんわざとです
そのような役者を探して配役したのでしょう

本作のラスト前に、ムラヴィヨフは自ら起こした銃撃戦で死亡したとテロップにでます

同じ運命がプーチンにも訪れるような予感がします

独立と自由を守るためには、時として国民が主体となって戦わないとならないのです
なぜなら国民主権だからです
侵略戦争は政府や、独裁者が引き起こしますが、防衛は国民が自ら戦うしかないのです
独立と自由は国民が勝ち取るものだからです
上から与えられるものではないのです

戦争が長引けば犠牲者も被害も増えるばかりだからウクライナは早く降伏すべきと無責任な言動を主張する人は信用ならないのはそれ故にです
降伏すれば独立と自由は失われるのです

遠いウクライナの話ではありません
明日は我が身
日本にも起こり得るかもしれないのです
日本国民は戦争反対と願うだけで、独立と自由と平和を守れるのでしょうか?

あき240