地獄の黙示録 ファイナル・カットのレビュー・感想・評価
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戦場で殺人罪? レース場でスピード違反を取り締まる様なもんだ
そんな感じのセリフが印象的で、映画館で体験出来る音響や大画面は超貴重だと思います。
地獄の黙示録のファイナル・カットがIMAXで観れる。何故か2020年の日本公開では観て無かったので、今回の企画を知った時は嬉しかった。
早速 初日に鑑賞(1日1回)。観客は二十人弱と少ない。大きなスクリーンなのに少し残念な気分。
子供の頃に、一番最初にテレビで見た時の疑問は「あの狂ったサーフィン好きな隊長(キルゴア)から何故サーフボードを盗む?」だったが、何年かした2回目(多分DVD)で「そうか、知り合ったばかりのチーフ、シェフ、ランス、クリーン達との距離感を縮める為か」と思ったもんだ。その時の気付きが、今回で懐かしい思い出として甦った。確か2回目か3回目で「あれ、ハリソン・フォードが出てたのか」とも思った。
撮影の為に動物を殺したり、環境破壊レベルの爆破をしたり、今では実写撮影不可能の映像は何回見ても恐ろしい(褒めてはいないが凄い)。
ウィラードがカーツに捕まった後に、ウィラードが付けてた腕時計をカーツが奪って付けている。と今回気付いたのが新たな発見。でも軍から支給されるおそろいの腕時計かも知れない。
最後にカーツの砦を爆破して破壊する "幻のシーン?" を観てみたい。現地政府から「作ったセットは解体してくれ」と言われ「それならば爆破して、それも撮影しよう」となったシーン。
行方不明になった白い子犬が、カーツの所で少し映っていると言う噂は確認出来なかった。
前半と後半で別の作品
コッポラの名作ですが、初見です。テレビでも観てません。
IMAXレーザーで観ました。
ストーリー:前半と後半で別物。前半の緊張感と躍動感、恐怖の中で素晴らしい物語が後半からガタッとつまらん妄想と無言の馴れ合いの世界に突入し、訳のわからないままにエンド。え?なにこれ。出来を悪くした2001年宇宙の旅かよと。これが名作という評価になるのが理解不能。
プラトーンやフルメタル・ジャケットの方が全然上。というかベトナム戦争映画として比べるのも烏滸がましい。
映像と音響:40年前の作品としての再構成というか一からやり直したのか?というくらいIMAXに馴染んでいて、「新作」でも十分に通用するレベル。ヘリコプターが頭の上を通り越していきましたし、背中から狙撃されました。ここは素直にすごいと思いました。
カーツ大佐を殺害するミッションを遂行するウィラード大尉の旅は、戦争...
マローン・ブランドと言う余韻
戦争映画を観るだけでもとても勇気のいることだけど、
ポスターが衝撃的で観たくてもかなりの抵抗があり、今になった。
しかも、ステキ過ぎた若かりしマーティン・シーンを追いかけているうちに
ラストまで無事に鑑賞もできた。
もちろん激しい戦闘シーンもあったが、
思いがけず、苦しくも考えさせられる作品で、ポスターのイメージとはかなり違っていた。
何よりも、ラストを締めくくるべく登場したマーロン・ブランド。
身も心も打ち砕かれたマーロン・ブランドの表情は視覚効果ではっきりとは
読み取れなかったけれど、それが返って彼のモノクロ作品を鮮明に蘇らせた。
彼を起用するにあたり何かとトラブルがあったようだけれど、
孤独で壊れやすい役を演じたらピカイチの彼で正解だったと思う。
彼の作品をもう一度観たい そんな余韻が残った作品だった。
さすが重量感ある映画でした
人生の課題の一つだった、
映画 地獄の黙示録(ファイナル・カットver.)観た
さすが重量感ある映画でした
・ベトナム戦争の狂気の世界に自分が戦場に落とされ、彷徨っているような感覚になりました
・基本ロード(リバー)ムービ
・主役のマーチン・シーンが特殊部隊の大尉役の地獄の黙示録、
実の息子のチャーリー・シーンが新兵役のプラトーン
と、対比できてなかなかおもしろかったです
・また、ベトナム戦争には行っていないコッポラ監督と、
帰還兵のオリバー・ストーン監督との対比もおもしろい
・ラストの空爆カットされた通常verも観た
ストーリーの流からいって、確かに整合性がとれないのでカットの方が良かったのかもしれないと思いつつ、エンタメ的には見栄えがする空爆シーンはそれはそれで良かった
・これって、メタルギアシリーズですよねw
ビッグボスとソリッド・スネークの関係、その他演出、ほぼ元になったんじゃないかと思うくらい影響を感じました
特に、アウターヘブン蜂起、ザンジバーランド騒乱のMGS、MGS2
これでまたひとつ、人生のやり残しリストが一つ減らせました
動物好き要注意!!
新年早々なんちゅうもん観てんねん!って感じだが、いや〜前から気になっていたし、長い映画やしこの休み中にと思い鑑賞。
主人公ウィラードは将校の暗殺を指示され現地へ向かう。その過程で…という話
コッポラが私財をなげうってまでまさに命懸けで作った本作。映像は迫力満点。このシーン必要なんか?と思うところも正直あるんやけど、戦争とはこういうものなんだと訴えるためには必要なんかな。
マーロンブランドなかなか出てけえへんなと思っていたけれど、登場シーンも全体が映らない!あれ?と違和感を感じ鑑賞後検索。太り過ぎて映せなかったんやね(そんなアホな…)
いろいろな解釈あるけれど、ウィラードが語っていた通りカーツは深い悲しみの中にいた。もう普通の人間には戻れなくなっていた。だから、最後は抵抗することなく死を選んだんやろうなあ
私的にドン引きしたのは犬と牛のシーン。犬、あんなに引っ張らないで!!牛に関してはこれほんまの牛ちゃうよね?と思いつつ検索すると…うわほんまの牛なんやとドン引き。物語の演出上そういうシーンがないと成り立たないのかもしれんが、いくら殺される予定でおったとはいえ本物を映画のために使うのはアウトやと思う。動物好きやから、このシーンなければもう少し評価できたかも💦
とにかくコッポラはベトナム戦争の無意味さを訴えたかったんかな。きっつい映画やったなあ。印象に残る映画ではあったが再鑑賞はしないかも。
ワーグナーが印象的。
戦争映画の傑作です
何故彼の言葉に聞き入るのか
国家と戦争と欺瞞・・・
2022年9月20日のBSプレミアムでの放送録画をようやく鑑賞した。
様々考察させられる映画。特に欺瞞という言葉が印象的だった。ベトナム戦争には欺瞞があふれている。それが、直接的にも間接的にも語られていた。国家による欺瞞から戦争の最前線での欺瞞。あの民間カメラマンもマスコミの欺瞞の象徴だったのかも。すぐに連想したのは、太平洋戦争での日本軍や国家の欺瞞。・・・そうか、アメリカだって同じようなことを経験したんだな・・・と思った。が、日本やアメリカに限らず、そもそも戦争というものに純粋な大義や正義はなく、欺瞞に満ちていくものだ、ということに思い至った。始める時は大義があっても、続けるうちにいろんな思惑でねじ曲がったり、局所的に見ると倫理に反する行動にあふれたりしてくるのは、これまでの戦争でよく見聞きしたこと。戦争を始めたら最後、欺瞞に満ちた国家と化す。国民はそれに翻弄されて地獄を見る。カーツの最期の 「恐怖・・・恐怖・・・」とは一体何のことか明確ではないが、そんなことなのではないかと思った。あらためて、戦争は絶対に始めてはいけないと強く思った。
映像美、音響美、映画の哲学と思想
数年前に池袋グランドシネマのIMAXレーザーGTテクノロジー、26×19メートルの壁というかビルの塊のような大きさのスクリーンで観て以来。
新文芸坐の音響でまた観れて、うれしい。
本バージョンは、コッポラがIMAX上映用に編集し直し、4Kで、音響もかなりリマスターされている。
スクリーン越しにナパーム弾のガソリンの臭いまで漂う、くらいのリアル撮影ならではの生々しさがある。
公開当時の日本では、この作品の音響を実現できる映画館が無く、唯一日比谷の有楽座?だったっけかな、そこでしかヘリコプターの廻旋音を出せないとかで、そういう話題性もあった、らしい。
YouTubeで町山智浩、地獄の黙示録で検索するとそういう裏話が出てくる。
マーティン・シーンが実質的な主役だが、お世辞にも演技があまり上手くはない。
しかしそれが今となっては作品の緊張感というか風格?を保っていることに貢献している、と思う。
デニーロとかホアキン・フェニックスのような性格俳優的な、観る側の役に対する没入感が希薄なため、目立たなくて良い。
また当時、リアルタイムでゴッドファーザーも観ている人にとっては、マーロン・ブランドは何か神格化されるぐらいの存在だったらしい。
カリスマの権化がカーツ大佐と被ることもあり、マーティン・シーンの20分の1にも満たない出演時間、ほぼ演技もしておらず顔のアップの一部しか写っていないにもかかわらず、主役としてエンドロール筆頭で出てくる(ゴリ押しらしいが)。
このIMAXバージョンは、他の方も書かれているがかなり見やすいというか、初見の方にも見やすく編集されていて、オリジナル版やマニア向けとも言える完全なんとか版よりもかなりスッキリした印象を受ける。
音響美と映像美が融合しシンクロし、映画の哲学と思想まで包在した奇跡の作品。
コッポラの執念。
興奮して文章が支離滅裂になっているが、自分としては地獄の黙示録が史上ベストワンだと思っている。
20240106 新文芸坐
狂気の今と未来の狂気
戦争による狂気
改めて見直したい
映画館で2回目の鑑賞。やはり主題が分裂していると思う。『闇の奥』×ベトナム戦争=戦争の狂気をコッポラが意図していたとしたら成功しているとは云い難い。ただ、コッポラが映画と格闘しているのは良く分かる。
2025.06.13. 2回目の鑑賞。[シネマサンシャイン大和郡山]
本作の製作後半ではコッポラ自身も『何を作っているのか分からなくなった』と言っていたそうだけど、映画を観ていると成る程と思う。
勿論、製作時のカオスの中から傑作・秀作・佳作が出来ることは有ると思うが、残念ながら本作がそうとはとても思えない。
前半はベトナム戦争を描いている訳だが、現在ガザやウクライナで起こっている事をニュース等で見ている目には、どうしても作られたベトナム戦争という印象は拭えない。
一方、後半はまんま『闇の奥』になるが、前半と後半とが有機的に繋がっていない。後半なんてカーツ大佐がベトナム戦争の前線から逃亡したという設定が辛うじてそれらしいだけでベトナム戦争と殆んど何の関係も無くなるし…
必要ないと思うシーンが多いし(映画を冗長なものにしている)、コッポラの演出も『ゴッドファーザー』に比べれば弛みがちである。
カーツ大佐の一聴すると哲学的な台詞も何となく言葉遊びみたいな感じで、此処からカーツ大佐の動機やコッポラの描きたかったことを測れというのは無理な話である。
敢えて言えば『人間が理性のある生き物であれば戦争はしない』ということか。
あと、フィクションだから難癖をつけるのも野暮ではあるが、カンボジアからベトナムに流れる川なんて南部のメコン川しか無い筈で、ベトコンの勢力内(つまり当時の北ベトナム)にそんな川はない筈だし、カーツ大佐の配下の原住民たちもアフリカや南アメリカの原住民みたいでベトナムやカンボジアの人たちには失礼かも。
ハリソン・フォードが凄く若いのがご愛嬌。
以下1回目に映画館で鑑賞したときのコメント:
この映画において「apocalypse」の意味することと「heart of the darkness」に関する考察
①欧米の批評家の何人かが言っている様に、この映画は前半と後半とがゴロッと違う。前半の、ドアーズの「The End」が流れる中、ジャングルから一瞬にしてオレンジの炎が噴き上がるシーン、ワーグナーの「ワルキューレ(戦死者を選ぶ者の意)の騎行」に載って米軍のヘリ戦隊がベトコンの拠点を攻撃するシーンと、戦争映画の絵としては見事なものである。(中身は無いが。) 特に後者はロバート・デュバルの好演もあってアメリカ軍の傲慢さに胸くそ悪くなるが。②一転、後半は、カーツ殺害を命じられたマーティン・シーンがひたすら川を遡りカーツ殺害に成功するまでを描くが全く前半とは別物のような映画となる。マーロン・ブランド扮するカーツが何故あのような行動に出たのか説明する筈の殺される前の台詞の数々の意味がマーロン・ブランドの台詞回しもあってよく分からない。最後の台詞である『The horror ! The horror !』はその最たるものである。「戦争の狂気」という言葉は何の説明にもなっていない。反則ではあるが、この下りを理解するためにこの後半の元ネタであるジョセフ・コンラッドの『闇の奥』も読んでみた。然し、『闇の奥』自体が難解な小説であることもあり、やはりもうひとつ分からない。ただ「horror」という言葉には「fear(恐れ)」という意味以外に「dismay」「disgust」「loathing」という意味もあるから、単に戦争の表面的な怖さだけでなく優秀な軍人であったのに自分の内なる権力欲・支配欲を暴走させてしまった自戒を含んでいたのかも知れない。何となく本人も死にたいと思っていたようだし。ただ『闇の奥』でカーツ大佐にあたるクルツは病気にかかった結果死んだだけで本人は死ぬ気はなかったから、この当たりはコッポラ独自の解釈かも知れない。③「apocalypse」とは神が黙して語らなかったことを預言者が代わりに語り記録したことを意味する。『Apocalypse Now』とは、この映画の場合「神」が誰を指すのかを解釈するのが難解だが、ベトナム戦争が米国始まって以来の負け戦であったこと、大義のない戦争であったこと、その後米国社会を変質させてしまったこと等当時既に指摘されつつあったことではあるが、コッポラなりにそれを記録しておこうという意志があったのであろうか。④しばらく『闇の奥』のクルツ、この映画のカーツの最後の言葉である「horror, horror」について考えていて自分なりに辿り着いた結論。
オリジナル版を超えるコッポラ監督の芸術家としての情念は感じられず…
最近、1979年の153分劇場版と共に、
こちらも観た記憶のあった
2019年ファイナルカット182分版が
改めてTV放映されたので再鑑賞
(2001年の特別完全版は未鑑賞)。
引き続き1979年版と同じ印象で、
戦場においては人間の神経が
こうも破壊されてしまうかを、
莫大な資金を投じたと思われる戦場シーンで
延々と描いていることに改めて驚愕した。
違いはカンボジアのフランス人入植者との
交流エピソードが加わって
反戦イメージが増した位だったろうか、
それ以外は1979年版とほぼ同じ印象だった。
しかし、既に、散々に戦争の狂気を
見せつけられているので、
このファイナルカット版の追加シーンの
必要性は余り感じ取れなかった。
それにしても映画の世界は厳しい。
ここまで力を入れて撮っていたシーンを
当初の上映時には
バッサリとカットしていたのだから。
このシーンの関係のスタッフと
ここだけにしか登場しないキャストの
気持ちを察するには余りあるが、
逆に言うと、その彼らの救済のための
特別完全版だったりファイナルカット版
なのだとしたら、
それはそれで問題がありそうだ。
昨今、ディレクターズカット版や、
ファイナルカット版と称する作品が
多く見受けられるが、
この作品の場合のその是非はどうだろうか。
私としてはほぼワンエピソードを加えただけ
のこの作品には、
興行上の理由と
スタッフ・キャストに対する配慮にしか
想像出来ず、
コッポラ監督の芸術家としての情念は
感じ取れなかった。
多分、未見の特別完全版でも
同じ印象を持つのではないだろうか。
因みに、
やはりファイナルカット版が話題となった
「ブレード・ランナー」については、
私はオリジナル版が好きだ。
何故なら、
そもそもが主人公もレプリカントかも、
との思わせは大きなテーマからは
蛇足にしか思えず、
私がこの作品で好きなのは、
命の限りあるレプリカントが
己の死の直前に、あえて
死に直面させたまだ寿命のある人間を
助ける、正に、原作の
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
の表題通りに
レプリカントが優しい人間に近づいた瞬間を
感じるからだ。
初鑑賞、マーロンブランドはさすが。
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