「最も重要なのは過ちを犯したと気づいた時に何をするか」ザ・レポート 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
最も重要なのは過ちを犯したと気づいた時に何をするか
テロリストによってそれはそれは多くの国民の命が残虐に奪われた時、そしてもしその中に親しい人の命があった時、私は国家に何をしてほしいと願うだろう?と思う。いろいろと思い浮かべる中には、復讐を期待する気持ちもあるのかもしれない。倫理や理性を脇に置いて感情だけで考えたなら、犯人をこらしめてやりたい、痛めつけてやりたいと思うかもしれない。
EITと名付けられた壮絶な拷問も、劇中で主人公が言っていた「国の最高情報組織として国民を守れなかった怒りや不安」によって突き動かされたものかもしれない。しかしそれはやってはいけないことである。弁護の余地はない。言うまでもないことだ。映画は、冒頭ではこの拷問行為の悍ましさをまず最初に問題提起する。しかしすぐにそれは本来の主題ではないと示してもくる。その拷問行為の背景にある、CIA及びアメリカ国家が内包する暗部をスクリーンに導き出すことこそが映画のテーマなのだろう。そしてもちろんそれは、日本に住む私にとっても対岸の火事ではない題材だった。
もはやただの拷問でしかない行為を「高度尋問テクニック」と尤もらしい名称で呼び、まったく尋問の成果も果たさないにも関わらず、殆ど頓知でしかないような屁理屈をこねくり回して無理やりその成果を捏造。そこにはもう既に正義などは存在しないし、その行為を「正義感から来る復讐心だった」と言い訳することも無理難題というところまで来てしまう。そしてそれを暴き出した上院職員の存在に対し個人攻撃をはじめ、論点をずらして泣き寝入りを狙う姑息さに至るまで、大きな権力を持った大組織の恐ろしさと厭らしさに寒気がするようだ。
人は誰しも間違いを犯してしまうものだ。ただ問題は「過ちを犯したと気づいた時に何をするか」なのだということを、この映画を観ながら改めて感じた。間違いに気づいた時にその過ちを正し軌道修正できるのか、それが過ちだと気づかれぬように裏工作するのか、それとも保身に走って隠蔽しなかったことにするのか。
この場合、辛うじての救いは(それぞれ腹に抱える何かしらはあれど)きちんとこの出来事を公にし、謝罪と反省の弁を打ち出したことだろうか(ただこの件に関与したCIA職員たちは責任を取るどころか昇進までしているというからまだまだ闇は深いが)。
この深刻な題材に対し、感情的になるのはアダム・ドライヴァー演じる主人公に任せた上で、それ以外は演出も脚本の筆力も極めて冷静沈着に、じっくりと物事を見定めるようにして物語が展開する。実際に彼らがやっていることは「レポート」つまり調査書をひたすら読み解き事実を炙り出していくという、おおよそ映画になりにくい行為だ。しかしそれこそがこの映画の醍醐味だと言えるのではないか。一枚一枚資料をめくり、一頁一頁データをスクロールするという小さな小さな力の積み重ねが、アメリカ国家とCIAという大きな力を動かすに至るのである。そして映画はその積み重ねをしっかりと押さえていく。高い緊張感のある作品ながら、丁寧な展開の描写で吸い込まれるように見入る堅実な映画だった。