「偽りは最後は自分を苦しめる」ジョン・F・ドノヴァンの死と生 KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
偽りは最後は自分を苦しめる
新宿ピカデリーにて試写会鑑賞。
少し期待し過ぎたせいか思ってた作品とは違い少し退屈に感じることはあった。
詩的なセリフが多かったり哲学的なセリフや描写も多いと個人的には感じた。
予告を見るとジョン・F・ドノヴァンの死は自殺か他殺か、それとも病死なのか。その鍵を握っているのは文通を行っていた少年であり彼が全てを知っている。
そんな感じで期待をして鑑賞したのだが、正直この辺りはあまり深く関係なかったように思う。
ジョンも文通相手となった少年ルパートも互いに自分の気持ちや考えていることを押し殺し、偽りの人生を送り日々生きており、実感のない人生を送っている事に悩む。
文通をする事でお互いになにか刺激をしあうのかと思いきやそのような強い描写はない。
ルパートはジョンのファンのため文通を行うことに対しては幸せを感じてはいるが、それを日々の生活の幸せに繋がるような事には取り組めてはいない。
ジョンもルパートも根本的には周囲のこと、世間のことを第一に考えて嘘を重ねて生きているのだがその嘘がかえって周囲を傷つけ、そして最後は自分を苦しめることになってしまっている。
ジョンは世間を気にし同性愛の恋人と別れ、そして世間に漏れたルパートとの文通のやりとりも否定し、恋人、ルパートを傷つけた。
最後は自分の行いを省みて、反省し彼らに歩み寄るがやはり相手も人間だ。彼らも反省し素直に生きるジョンを理解することはできても受け入れることはできなかった。
そしてジョンは死を選択する。
一方ルパートはN.ポートマン演じる母親に素直な気持ちを打ち明け、夢である俳優の道を今まで以上に頑張ることと同時に、家族愛を言葉で伝え合うことで関係を修繕させた。
そして同性愛者である事を今は当たり前の幸せとして堂々と生活を送ってる事が描かれて終わる。
互いに共通したもの同士が最後は対比的な終わり方をしているのはとても現実的に描かれていたように思う。
劇中でも語られていたが嘘とは時には周囲を幸せにし、時には美しい事もある。
しかし同時にこの作品でも描かれていたように時として相手を傷つけ、自分をそれ以上に傷つけるものでもある。
過ちと気付いた時に反省しすぐに改めた行動をすることはもちろん大切な事だが、しかしそれが周囲に受け入れてもらい関係が改善、回復するかはまた別問題である。
仮にも過ちを許してもらったり、理解をしてもらってもその時自分が生きる環境は壊れてしまいマイナスからの再スタートになる事もある。
人を貶める嘘はもちろん誰しもが悪いという事は分かる事だ。では人を傷つけない嘘は問題ないのか。
そういった事を考えさせられ楽しむ作品なのかと個人的には捉えて楽しませてもらった。
正直これがポピュラーな楽しみ方かどうかは分からず自信もないが、少なくとも少しでも偽りのない、そして素直な人生を歩めるようにしていきたい。そんなことはこの作品から学ばさせてもらった。