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後からじわっとくる優しさ
『巡り合わせのお弁当』以来のインド映画、と思ったら、同じリテーシュ・バトラ監督の作品だった。人の心が静かに波立つ様を描くのが本当に上手い監督だ。
父の遺した借金の返済のために、記念写真のカメラマンをしながら糊口を凌いでいるラフィ。早くに両親を亡くした彼の幸せを願う祖母を安心させるために、ふとした偶然から出会った会計士の卵ミラニーに恋人を装ってもらうよう頼み込む。
偽装カップルの二人が、少しずつその距離を縮めていくのだが、そのプロセスがもどかしくも初々しい。
中盤、初めて別れ難さを感じたラフィがミラニーをチャイに誘い、更には映画に誘う。
ついに祖母抜きで、はじめて二人で映画を観ることができた。
ところが、足元のネズミに動揺する。中盤で描かれたのは、ネズミに動揺したミラニーに、ラフィが「もう大丈夫」と声を掛けるところまでだった。
その後、ミラニーが中座して以降の場面は、ラストではじめて明かされる。
ミラニーに対し、ラフィはどうせ映画のあらすじはいつもと同じ、身分を越えた道ならぬ恋愛だと喝破する。
そして、近くに美味しいものがある、食べに行こうと、映画などどうでもよかったかのような冷静さで、ミラニーをフォローし、映画館を去るところでぷっつりと映画は終わる。
こんな、ラストまでもったいぶるほどの場面ではないところが、なぜラストシーンだったのか。
おそらく、この瞬間こそが、ミラニーがラフィーに好ましい感情を抱いた最初だったからではないだろうか。
ラフィは、決して自分の考えを押し付けることなく、ミラニーファーストの姿勢で彼女に寄り添っている。その姿は、決してミラニーの前だけでなく、祖母や親戚、仲間たち全員に対して常に一貫している。
唯一ラフィーが強く出て譲らなかったのは、おしゃべりでよそ見がちな同郷だというタクシー運転手に対してである。それも理由は明白だ。事故でミラニーに怪我をさせ、迷惑を掛けるつもりがないからだ。
全てが、自分の大切な人への優しさと思いやりを規準とした言動で一貫しているのだ。
静かで何も起きないラストシーンであったが、実は静かで何も起きないことが最良の出来事だったのだ。
そのじんわりとあとからくる優しさがいい。そういう映画だった。
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