「久しぶりの、勝手な政治的不安マシマシの駄作大作」サイレント・トーキョー keebirdzさんの映画レビュー(感想・評価)
久しぶりの、勝手な政治的不安マシマシの駄作大作
この映画を観て、私は絶望した。
内容としては全力で星0、役者さんと映像に星1。
この映画を作った日本の自称「知識層」・「日本を憂う文化人」とやらは、21世紀の今の世になっても、日本や世界への認識が60年70年安保闘争の頃とほとんど変わっていないとは…。
まだ自分たちが「明日のジョー」のつもりでいるのか。
しかも今や自分たちは業界人・文化人に収まり、その裕福・安全な立場から、エンターテイメント映画を騙って、「無垢・無知な一般大衆の皆さん、あなた方がクリスマスなどと呆けているその裏で、政府は酷いことしっぱなしなんですよ、それに対する戦争を起こすべきなんですよ。分かりませんかねぇ」と、斜め上から語っている。そのついでにお金と「俺らは目覚めてる人」の空虚な誇りも手に入れている。
あの最後のくだらない「爆弾はまだあります」の脅迫は、一体なんなんだ?
各役者さんたちの熱演には文句はないが、映画の進行自体ことごとく浅く、政治的で、映画の本来の性質上、観ていながらハラハラとかびっくり衝撃的!と感じるべきところが、実際は全てイライラ〜と、え?なんで?という感情しか湧いてこなかった。
正直いま観賞後の気分がいささか不快でいちいち指摘してしまうが、それら全て製作側が、「ああ世の中のバカどもやバカ政府がこのシーンくらい分かりやすい愚かな言動を取ってくれれば、この映画のようなことが実際に起こるのになぁ」と思いながら作っていたような気がしてならない。例示すると:
・日本の”アベ風”首相が、「日本を戦争のできる国にするということです」と会見で言う
こんなドストレートに憲法違反な発言、日本の総理大臣が言うわけないだろう。基本的に全て実社会の描写、状況下での映画で、この発言が最初から飛び出てくるとは呆れた。これを聞いてそれまで我慢していた”犯人”がキレて、無差別大量殺戮爆弾テロを企てるのだが…無理矢理がすぎる。
・爆発の直前までバカ丸出し大騒ぎの若者、絵に描いたように無力な警察
冒頭部の爆弾ベンチに座らされる報道カメラマンの不思議なほどの呑気さと、気づいた後ひたすらの泣き叫びですでに冷めた。この映画ならではの描写、日本特有の事件の起こり方なんてものは全然ない。将棋倒しする群衆も含め、まるで学芸会レベルのパニックシーンシナリオ。
唯一の見どころだった大爆発シーンでも、観ているこっちとしてはハラハラドキドキなんてよりも群衆や出演者の意味不明の鈍さ、楽天ぶりにイライラさせられる。皆がまるで昔の三流スプラッター映画の殺られ役のようなわざとらしい能天気ぶり。
ふと「あーこれは、初めの首相の”不適切発言”と若者たちの”牙を抜かれた平和ボケ”状況が、この映画の製作者にとって、”望みたい”現状なんだな」と思った。実際でも左側の”知性的”人たちは、何かあるとすぐ「この法案が通ると戦争する国になる」「軍靴の音が…」などと言うのが、実は隠れた末世願望であるように。
・総理が(テロリスト)との会談に応じれば良かった云々
これを日本政府の方針だからと言うより、左側の人々が嫌う米国の大方針だから、それに従うタカ派首相が国民の命より方針を重視し事態を悪化させたかのようにも受け取れる物語描写だが、これは全くありえない。裏交渉の模索はともかく、政府が表立ってテロリストとの会談に臨むなどあってはならず、これは国民の命軽視でもなんでもない。事実昭和の「人命は地球より重い」超法規的措置で、その後釈放犯による国際テロや凶悪事件が幾つも起き、日本は長い間西側各国から厳しい批判と情報的村八分に晒され、当時拉致活動中の北朝鮮やそこに逃げ込んだ矮小なテロリスト共からは舐められ続け、今に至る。
・犯人の夫のPKOトラウマ体験、戦争加担者の事実、PTSDで妻訓練→妻テロ実行
これ劇中で妻が「夫は頭がおかしくなったのでしょう」とあっさり認めた上でその後の事件を起こすところから、これら全て海外に自衛隊を派遣し、図らずも(米国等の)”侵略”戦争の片棒を担がせその結果夫婦共に不幸にして犯罪も犯させた”日本という国・政府”が悪い、みたいな古臭いかつ誤った自衛隊海外活動嫌悪を基本にしている。まさしく今の政府が何をやっても何もやらなくてもとにかく悪、の視点に他ならない。今時呆れてものも言えない考え方だと思う。
似たようなキャストで演じられた映画版「空母いぶき」も、本来の敵脅威であった中つ国が訳のわからない新興某国となっているなど変なところがあったが、それと比べても輪をかけて国民はおバカ、政府は戦争国家化が大事で国民どーでも良いと思ってるに違いない、が底流に流れるこの映画の方が遥か遥かにタチが悪く気持ち悪い。
結局、全編呆れてイライラして妙にグロで腹立たしいなかなかの映画でした。役者として応援している佐藤浩市が、居る意味のよく分からない巨大な端役として出ているのも逆に残念。彼はこの映画の政治スタンス、最後部に象徴される警鐘が好きで出ているのだろうか。
兎に角、一小市民としてもうこの手の政治主張自慰的商業映画にはお金をつかいたくない。