「ロンド・ロンド・ロンドの続編」劇場版 少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト 栗ごはんさんの映画レビュー(感想・評価)
ロンド・ロンド・ロンドの続編
※まず初めに、単体の作品としては最高です。音楽、映像、ストーリー、どれをとっても、主人公たちの「その後」を描いた作品として、よくできています。
テレビ版からのファンです。ロンド・ロンド・ロンド(RRR)は総集編というような話だったので、そちらは未見のまま見に行ったのですが、そのせいで最初は内容が理解できませんでした。
というのも、テレビ版とはテーマが真逆になってしまっているのです。
今日、アマゾンプライムでRRRを視聴して、ようやく理解しました。この劇場版は、テレビ版の続編ではなく、RRRの続編です。
と、いうのも、テレビ版とRRRでは決定的な違いがあり(RRRではキリンの正体が明かされない)、そのために作品のテーマも別物になっているんです。
テレビ版のネタバレになってしまいますが、キリンの正体は観客(あるいは、メタ的にアニメの視聴者)です。
それも、純粋に舞台(アニメ)が好きで、楽しみながら見ているような観客ではなく、いろいろな作品を見てスレてしまった、ちょっとタチの悪い観客。
彼らは、なまじ過去の名作をいろいろ見てきてしまっているせいで、どんなに素晴らしい新作を見ても、「ああ、この演出は知っている。この展開も見たことがある。わかります」と思ってしまうわけです。
それでも彼らは舞台(アニメ)を見続ける。もはや惰性になってしまい、自分でもどうして見続けているのかわからなくなってしまっても、なぜか新しい作品が作られると見てしまう。
それはなぜか。
それは、いつか自分の知らない、新しい物を演者たちが作り出してくれると信じているから。彼女たちの魅力が、きらめきが、自分を新しい世界へ連れ出してくれると信じているから。
だから、舞台(アニメ)に飽きてしまった今でも、そんな作品を、それこそキリンの様に首を長くして待っている。
……とまあ、長くなってしまいましたが、つまり、テレビ版のテーマは、「演者たちの熱意が新しい作品を作ってくれる」という願いと奇跡の物語だったんです。
だからこそ、僕のようなスレてしまった視聴者に深く刺さった。
ところが、RRRではキリンの正体を明かさず、テーマをぼかした状態で「続きは劇場版で!」としてしまいました。
そして公開された劇場版のテーマは、テレビ版とは逆――つまり、「観客の熱意と声援が、演者たちの力となり、新しい作品を作る原動力になる」というものでした。
まあ、あれだけ完成されたテレビ版の続編を作ろうとするなら、テレビ版と逆の事をやるしかない、という事はわかりますし、冒頭にも書いたように、作品単体として見るなら素晴らしい出来だったことも間違いでしょう。
でも個人的には、あんな風に「自分は空っぽだ」と表現する真矢や、「双葉に追い抜かれた」と考える香子の姿は見たくありませんでした。
そういう点で、少しだけがっかりする作品でした。
キリンについての考察大変おもしろく、いちいち「わかります」と頷きつつ拝読しました。
テーマが変わってしまったのはその通りですね。ただ輪舞はいつしか終わり、列車は必ず次の駅に着きます。そうしたら、舞台少女は次の舞台を目指すしかない(さもなくば死)。前シリーズが完璧な到達点を描いた以上、そしてスタァライトが学園生活を借りた物語であることに真摯であれば、これを描くことは必然だし、私はよく逃げずに正面から描いてくれたなと称賛します。
そして列車が着けば、観客も否応なく選ばなければなりません。新たな衝撃を求めて違う路線(コンテンツ)に乗り換えるか、その身を燃やし彼女らの血肉(あるいは養分)になってでも、彼女らの次の煌めきを待ち支えようとするか。キリンの変化は、斜に構えて観ていたアニメファンが、胸を刺す衝撃を浴びて、ずっとついていこうと覚悟を決めたのだと(自分に照らして)考えると分かりみが深いです。