「太賀の存在が光る!」すばらしき世界 cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
太賀の存在が光る!
映画化を知って、原作を読みながら公開を待っていた本作。なかなかの長編、かつ、携帯電話等々とは縁遠い昭和の時代に書かれたもので、これがどのように映画になるのか、期待と不安があった。蓋を開けてみれば、まさに「今、ここ」の物語。単純な原作ものとは一線を画す、のびやかな映画になっていた。
長い刑期を終え、13年ぶりに社会に出た三上。身寄りのない彼のつてはごく僅かだが、弱者に甘んじることを嫌い、手を差し伸べる者とも衝突してしまう。生活に行き詰まり、ルーツをたどるように東京から地方に流れていくが、そこにも彼の居場所はない。とぼけた笑いも織り交ぜられているが、それ以上に息苦しく、救いのなさがひしひしと迫ってきた。
一昔前より、今はよっぽど生きにくい。日頃ぼんやり感じていたことを、本作はくっきりと描く。社会とかみ合わない、かみ合おうとしない三上を演じる役所広司のうまさは、言うまでもない。ここで声を大にして言いたいのは、三上に接近していく駆出しのテレビマン、津乃田を演じる仲野太賀の存在感だ。様々な作品で若きバイプレーヤーぶりを発揮しながらも、振れ幅(当たり外れ)が大きい彼。今回はどちらなのか…なんていう野暮な思いは、中盤から吹き飛んだ。太賀あっての本作、まさしく彼の代表作になる!と、観るほどにわくわく、ぞくぞくした。
津乃田は、原作には登場しない。(片鱗を感じさせる若者は登場するが、すぐに三上から逃げ出してしまう。)津乃田が他の人々と決定的に異なるのは、戸惑い迷いながらも、最後まで三上に伴走していく点だ。三上を引き受ける弁護士夫婦、福祉課の職員、スーパーの店長たちは、それぞれに彼を温かく受け入れ励ますが、それは彼の立ち直り、つまり、自分たちの場所に無害に加わることを求めているからだ。一方津乃田には、そういった欲はない。長澤まさみ演じるやり手のキレイな上司に言われるままに取材を始め、自分を曲げない三上の扱いに右往左往する。仲違いしたはずの二人が再び出会い、三上の辛い過去との訣別に津乃田が寄り添うくだりには、思いのほか心揺さぶられた。こんな世の中を生きていくには、導きよりも、分かち合いの方がよっぽど大切なのかもしれない。
後半、映画は原作の枠を超え、再出発も束の間、息を呑むラストシーンになだれ込む。放心しながらチラシやポスターが頭をよぎり、既にそこに物語が示されていたのかと、衝撃を受けた。
映画を観終えた今は、メインビジュアルを直視するのは少し辛い。けれども、見開きチラシ(コメント集)の、子どもたちとサッカーに興じる二人は、ひときわ輝いて見える。自分も、背伸びせず、欲張らず、大切な存在に伴走していきたいと思う。