羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来のレビュー・感想・評価
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共存と旅と成長と師匠と弟子と
基は中国で2011年から配信されていたWEBアニメ。
口コミで人気に火が点き、2019年に劇場版が公開されるや、中国で大ヒット。同年日本でも中国語版で一部の劇場で公開され話題を呼び、昨2020年、日本語吹替版が製作され、ヒットを記録。理想的と言うか、面白い人気の拡がり。
尚、この劇場版は前日譚に当り、WEBアニメは現在も続いているという。
…とは言え、見始めは設定やキャラや説明ナシに進む展開にちと置いてきぼり感。
日本のTVアニメ劇場版を、TVシリーズ未見のまま見たあの感じ。
まあでも、全くの一見さんお断りではなく、それも見始めだけ。
森で楽しく平和に暮らしていた黒猫の妖精、シャオヘイ。
が、人間の自然破壊によって住む場所を奪われ、人間社会をさ迷う。
猫の姿で人間に襲われていた時、植物を操る妖精フーシーに助けられ、人里離れた彼らの島で暮らす事に。
ようやく仲間と幸せを見つけたかと思った時、人間ムゲンが現れ、捕らわれてしまう…。
一旦物語が始まると、なかなか面白いもの。一見子供向けのようだが、大人も楽しめる。
小難しかったのは、用語や設定。
まず、ムゲンのキャラ設定である“執行人”。はぐれ妖精たちを取り締まる。ちなみにムゲンは人間ながら、不思議な術や力を使い、最強の執行人。
“館”。多くの妖精たちが暮らしている。世界各地にあり。フーシーたちは暮らしていない。
“霊域”。生き物が持つ生命と能力の源。その空間内では主がなんでも支配出来る。
“領界”。その霊域を巨大化させ、空間内では何でも意のままに出来る、言わば霊域の“最強版”。限られた者しか持っていない能力のようで…。
他にもキャラそれぞれ霊域に応じて細かく能力や属性あり。
でも、いちいち説明していたら楽しめるものも楽しめない。
ここまでにして、話や感想に。
フーシーたちとの暮らしを奪い、自分を“誘拐”したムゲン。
当然何かと反発したり、何度も何度も逃げ出そうとしたり。
無表情、無口。でも、悪人ではなさそうだ。
どうやら目的は、自分を“館”に連れて行く事。
また、同じ金属を操る属性の持ち主。
よし、力を習って逃げてやる!
シャオヘイとムゲンの波乱ありまくりの旅。
アニメとは言え、中国映画。
修行シーンなんて、まさにそう。
冒険はその影響を多大に受けた初期の『ドラゴンボール』のよう。
てっきり古い時代のファンタジーかと思ったら、現代が舞台。ムゲンはスマホを持ってるし、人間たちが暮らす大都会へ。
圧倒されるシャオヘイ。
そこでは、人間たちに混じって妖精たちも暮らしている。
人間たちに正体を隠しているが、人間と妖精の共存世界。
住む場所を奪った人間を憎むシャオヘイ。
“館”の他の妖精たちと出会う。彼らの中にも、人間を嫌う者、人間を好きな者。
人間たちだって全員が悪い者たちじゃない。
いい人間だっている。妖精が思い付かない技術や発明もする。
人間と妖精は真に共存出来るのではないのか…?
ムゲンはそれはシャオヘイに見せたかったのではなかろうか…?
旅を通じて、それを見て、それに触れて、シャオヘイは…。
しかし、分からぬ者もいる。
フーシーがシャオヘイを助けに来た。
しかしその本当の目的は…。
フーシーは他人の能力を奪う事が出来る能力の持ち主。
シャオヘイは自分でも知らぬ“領界”の持ち主。
その両者の能力が合わされば、人間世界を意のままどころか、破壊すら。
人間たちへの憎悪。その理由は分からんでもない。
ショックを受けたのは、シャオヘイ。
フーシーが自分を助けてくれたのは、仲間として暮らす為ではなく、能力狙い。
彼の手に落ち、野望が始まる。
人間たちの危機。
そんな人間たちを守る為に、“館”の妖精たちが力を合わせる。
シャオヘイを助ける為、たった一人、フーシーの霊域に入っていったのは、ムゲン。
情が無いように見えたこの男だが、そうではなかった。シャオヘイと旅を続けた中で…。
各々能力を駆使しながら闘うアクション・シーンはなかなかの迫力や躍動感。
助け出し、覚醒したシャオヘイが、ムゲンと共にフーシーに立ち向かう。
フーシーは人間の傲慢を訴えるが…、選ぶのは自分。人間か、妖精か、まだ程遠いが共存か。
冒険ファンタジーを軸に、アクション、ユーモア、メッセージ性。
異なる種族同士の共存を訴えているが、本作は、シャオヘイがラストにムゲンに掛けた一言こそ全て。
「師匠!」
師匠と弟子。
二人の旅と物語は始まったばかり。
表面をなぞるだけでは本当の良さは理解できない
超遅ればせながら、ようやく観に行きました。評判がすこぶる良かったので期待していたのですが、その期待をはるかに上回る出来の良さ、素晴らしい作品でした。
ここのレビューを見ても、おおむね好意的で高評価が高く、共感できる指摘も多い。一方で、「ジブリや日本アニメのパクリ」「自然との共生の困難さといったストーリーも既視感があり、ありきたり」といった意見も散見される。
日本アニメに親しんだ人がそう感じるのは確かにわかるし、事実私もそう思う面はある。
けれども、この作品を讃えるべき点は、表面上のストーリーやアクションシーンのみにあるわけではないと見る。
「羅小黒戦記」の最大の素晴らしさは、主人公・小黒が他者との触れ合いを通じて、信頼や友情を育み、成長をしていく過程を、驚くほど丁寧に描き切った点にある。
特筆すべきは、ムゲンを敵視していた小黒と、小黒を救いたい気持ちを胸に秘めるムゲンとの、些細なやりとりのひとつひとつ。表情の付け方や変化、ちょっとした仕草、それらのどれもが手を抜くことなく、繊細かつ、わかりやすく描写されているのだ。
この地味な芝居や描写の積み重ねがあったからこそ、小黒とムゲンとの間に友情や親愛が生まれることに必然性と説得力が増してくる。結果、あのラストシーンのとめどない感動につながってくるのだ。
言ってしまえば、ラストで小黒がどんな選択をしようが、ムゲンがどんなセリフを言おうが、そこで観客が感動するのは、もう決まっていたのである。ふたりの間に揺るぎない愛情が育っていたことを、観る人はみな、十二分にわからされていたのだから。
ストーリーが奇抜だったり、バトルシーンが凄かったりするだけでは、人はなかなか感動しない。やはり人は、「人の気持ち」に心を動かされる。
その「人の気持ちと心の動き」をアニメーションで描き切ることに、見事に成功したのが「羅小黒戦記」であり、この作品をもっとも評価すべき点はここにあるのだ。
金をかけた派手なバトルや奇抜な設定で驚かせるのではなく、人間を丁寧に描いて感動を呼び起こすアニメを、たった50人のスタッフで完成させたことに驚きを禁じ得ない。物語の本質を理解し、それを効果的に描写できる力量を持った、若いクリエイターが中国にたくさん出現しているという実態に対しても。
日本のアニメ業界もうかうかしていられませんね。同時に、こういう作品を見せられると、日本と中国も、どうにかわかり合えないものかと願わずにはいられませんでした。
見るべき点はあるが、全体的に説得力の弱さが散見される
フーシーと館との葛藤が収束する地点はなかなかに考えさせられるものがある。
人に混じって暮らしている妖精はたくさんいる。それを楽しんでいる妖精もいる。人は妖精を妖精とは気づかないが、それでも妖精とともに生きていて普通に社会が回っている。多文化共生。しかしそれに合流しないマイノリティは「バカだな、材木にされるだけだ」「公園になるかもしれんぞ、有料のな」、つまりマイノリティの道具に堕する…?
ここを多文化共生の問題点の自覚だとするとなかなかにパンチの効いた社会批評だと評することができるだろう。逆に多文化共生への素直な肯定だとすると、一転、マイノリティの否定とマジョリティの礼賛というキナ臭い話に…。
内容をよく覚えているわけではないが、このあたりはかなり印象的なシーンだと感じた。
以下雑感。
魔法について。
魔法とか属性とかが悪いわけではないが、しかしそこには心理的な意味づけやストーリーにとって不可欠な要素であるという理由付けが必要だろう。
空間属性、氷属性、木属性、火属性・・・。しかしなぜそれなのかという理由が感じられなかった。有り体だが、例えば空間属性は心のあり方、氷や木は水資源問題や森林問題、火は文明や産業、などとリアルな要素との結びつきがあれば入っていきやすい。作品に環境問題への意識があるのだからそう無理な注文でもないはず。そういった意味づけなしに属性とか言われるとアニメやゲームから遠ざかっている大人は置いてけぼりを食らってしまう。
今思えばフーシーの強奪魔法に関してはそれなりに意味を感じられる気はする。
フーシーはどうも三下を操ってシャオヘイの救出を偽装したり、館の宝物を強奪したり、シャオヘイの能力を強奪したりと、よく考えると相当の悪党で、逆に言えば魅力的なキャラだ。もう少し掘り下げてほしかった。「昔はまだしも人間と共存できたが、こと今日に至ってはもはや限界だ」だけでは動機としていささか単純ではないかと感じる。
フーシーとその仲間との関係が示されないのも不満の一つ。彼らはいかに生き、出会い、志や友情や利害をともにしたのか。
その仲間にしても、なぜロジュはああもシャオヘイに肩入れするのかが理解できない。ムゲンの言葉ではないがたまたまわずかばかり時を同じくしただけではないか。絆の描写にもう少し味付けが必要ではなかろうか。
ロジュがあんなに必死にフーシーを止めようとするのはフーシーと思想を異にするからに違いないし、そのような思想を抱くのは彼の生い立ちがフーシーのそれとは類似しないためであるはずだが、そういった彼の事情が開陳されることはなく、そのあたりも物足りなさの原因の一つになっている。
ムゲンに関しては、「人間のくせに強すぎる」。
ということは妖精は単体では人間を遥かに凌ぐ存在であるわけだ。妖精を自然の寓意だとすると納得できる話だ。そこへ強大となった人間(ここではムゲンだが)が妖精(=自然)との葛藤を処理していく。そこには「嫌われている」にとどまらない複雑な思いが存在するはず。そのあたりの説明力が弱いような気がした。
ジブリ+サンリオ+トリガー。良いとこ取りの満漢全席。
映画レビューサイトでめちゃくちゃ評価が良かった今作。中国のアニメということしか知らない状態で鑑賞いたしました。
結論。めちゃくちゃ面白い。今年のアニメ映画の最高峰と言っても差し支えないと思う。というか、これまで私が観たアニメ映画の中でもトップクラスに面白かった。
ジブリのような不思議で魅力的な世界観。サンリオのような可愛らしいキャラクター。そして何より驚いたのは大迫力な戦闘シーン。とある映画レビュアーさんは「ドラゴンボールのようだ」と形容していましたが、私は「キルラキル」「プロメア」などで有名なアニメ制作会社「トリガー」を想起しました。可愛らしいキャラクターたちが繰り広げるスピード感のある戦闘シーンは手に汗握るほどのド迫力。この戦闘シーン観るためだけに、1900円払う価値があると思います。
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猫の姿をした妖精のシャオヘイ(花澤香菜)は人間の森林伐採によって住んでいた森を追われ、街で野良猫として人間の食べ物を盗んだりしながら生活していた。ある日人間たちに追われていたところを、シャオヘイと同じく妖精であるフーシー(櫻井孝宏)に助けられ、フーシーと仲間たちと共に生活をすることになった。しかし、彼らの元に謎の襲撃者である人間のムゲン(宮野真守)が現れた。フーシーたちは逃げ切ったものの、シャオヘイはムゲンに捕らえられ、「館」と呼ばれる場所に連行されるのであった。
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序盤は非常にファンシーな雰囲気で映画が始まります。深い森の中にいる一匹の黒猫が、人間の土地開発によって住処を追われ、人間のいる街で大変な生活を送る。そして黒猫は植物を操る妖精のフーシーに助けられ、妖精の仲間たちと共に楽しく暮らすことになる。
最初は絵柄の可愛さやその優しい雰囲気から、「これから楽しい生活が描かれるんだろうな」と思って鑑賞していましたが、ムゲンの登場でそれが一変します。
本当に、冒頭のホンワカしたファンシーな雰囲気から、ムゲンとの戦闘シーンへの切り替わりがエグイ。温度差がヤバい。ファンシーな描写も一級品ですし、戦闘シーンも一級品。日常シーンもアクションシーンも気合を入れて描いてくれているため、そのギャップに「すげぇ作品に出会ってしまった」と一瞬で引き込まれました。
見逃したのかわかりませんが、フーシーがシャオヘイの領界の能力を探し...
見逃したのかわかりませんが、フーシーがシャオヘイの領界の能力を探し出した経緯というのはあったのでしょうか?千里眼的な能力を奪い探したと予想しているのですが。
話が進んでいくと、フーシーの出会いが、人間を操りシャオヘイを狙わせて助け、信頼を得るというのはわかるのですがとっかかりが。
途中からは、「平成狸合戦ぽんぽこ」ってどんな話だったかなと、映画に集中できなくなってしまいました。とりあえず1度問題を解決してから改めて見ようと思います。
シナリオが微妙
主人公が自発的に何かするのではなく巻き込まれていくタイプの映画なのだが、全然感情移入出来なかった。人間に山を追われ、テロ妖精達に匿われ、というところまではわかるがさらにそこから連れ去られ、と混乱した。メッセージも自然と人間との共存がうんたらというのはわかるがジブリの劣化の劣化の感が否めない。総じて観ていて退屈だった。また、ギャグ描写なども古臭いし、正直残念な出来栄えだと思う。中国は三体などの優れたSF小説があるし、そっちの方のアニメ化などに力を注ぐべきで、日本のアニメのコピーを作るべきではない。
これは羊の皮を被った狼。この国の観客の感受性が試される作品
予備知識無しで、この作品を鑑賞しました。資料によると今作は、2011年から現在まで、ネット上で発表されている本編28話の四年前の前日譚にあたるとの事。
そういった条件もあり、各所では説明不足とか、プロのライターですら、わかりにくい等々と恥ずかし気もなくあげているのをの目にするが、これは過剰に台詞で説明してしまう昨今の日本映画に慣らされた(原因の多くは観客の側にある)故の意見だと思う。
今作は【ジブリ作品に出てくる愛らしいキャラが、高橋留美子的妖怪キャラように変身、ロードムービーの果てにナルトやAKIRA的一大アクションに向かう】
一見マイナス要素になる要素が多々見られる今作の底にあるのは、ほぼ初見に等しいこの国の観客の感受性が試されているという事だと思う。
そしてそういった色を感じてしまう大きな要素に、中国本国での製作であり、検閲という壁とのせめぎ合いが常に存在したという事。
冒頭人間に住処を追われた小黒(シャオヘイ)が街のゴミだめに追い込まれた時、同じ境遇の風息(フーシー)と出会い、彼と彼の同志と合流し生活を共にするが、風息一党は彼ら妖精の住処を奪った人間に、小規模なテロを起こしており、彼を捜索していた【最強の執行人】無限(ムゲン)によって連行されて.......といった流れで物語は進んで行くのだが、この後小黒と無限のロードムービー部分を経て、小黒の心情の変化と視野の拡がり(小黒は妖精としてはまだ幼い)をみていく事になるが、ここで一つ感じたのが、101分のランタイムにもかかわらず、そこまでテンポ良く進んだのに(後述するが)ロードムービー部分(小黒と無限のドタバタ劇も含め)のテンポの悪さの為からか、中弛みを感じてしまった。
当初、これは国民としての感性の違いかと思ったが、ここをくどい思うくらい丁寧に描く事で、小黒と無限の心の交流を表現する方法を採ったのではないだろうか。もっと言えば採らざる得なかったではと思う。
これは冒頭の風息一党との生活シーンをさらっと描いていた事とも関連する事と関係するが、それこそが検閲という壁とのせめぎ合いだと思う。
冒頭部分の比重を増やせば当然、小黒は風息一党(反政府勢力)と無限の間(中国共産党)で幼いが故に、心が激しく揺れ動く描写が必要となり、それはイコール反政府勢力にも国や未来を想う心があり、主張がある事を認めてしまう事に繋がり、作品が陽の目を見なくなる可能性が強い。であれば、作品全体のテンポを落としてでも、ロードムービー部分を助長過ぎる(ただドタバタ劇部分は笑って良いのかどうか、戸惑った)くらい丁寧に描く方法を採ったのではないかと思う。個人的には、作品全体のバランスから見れば助長とも思えたが、反面ケビン.コスナー演じる凶悪逃亡犯と少年の心の交流を描いた【パーフェクトワールド】を思わせてくれた。
これが日本ならば、作品全体のテンポを落とさない様に、風息がテロ行為の準備段階で、同胞の妖精の能力吸い取る行為を小黒に見せて半強制的に決断を迫る(この描写も考え方によっては、政府の施策を強制的に押し付ける事を想起ささせる)様な演出が多いのかもしれない。
その後は風息が故郷の街を取り戻し、妖精達の自立を勝ち取るため仲間達と共に大規模テロ行為を働いていく中で、無限と対峙し、一大サイキックアクションバトルを繰り広げるわけだが、ここは文句無しに楽しめた。 確かに日本に居れば【どこかで見たことある感満載】であるが、気持ちの良いくらい『俺達は大画面でこれがやりたかった(ネット公開されている本編を観たが、FLASHながら実際アクションはよく動いている)』という想いが十二分に伝わり好感が持てる。ただ、小黒が覚醒する際の描写が以外とあっさり描かれていて(これも検閲絡みかも)残念であった。
小黒&無限との闘いに敗れ、能力を解放し巨大な樹木に姿を変えた、風息を前に妖精那咤(ナタ)と鳩老(キュウ爺)とのやり取りで『材木になって切り出されて、入場料を取る公園のベンチ~』的なシニカルな台詞にもやっとしている的な意見を多々目にするが、この台詞を額面通りに受け取ると、この作品をより深く楽しめないのではないだろうか。
あの台詞には、風息は故郷を取り戻し、妖精達の尊厳を取り戻す為の闘いに敗れ、巨大な樹木となり材木として切り出されて、公園のベンチと姿を変え、仲間達は館に投獄に近い形で拘束されても、風息と仲間達の闘いは語り継がれいつの日か、風息と仲間達とは違った形で、妖精達の故郷と自立を勝ち取るための闘いを、風息とは違った形での声をあげる者が現れる事を、少なからず願っている事を表していると思う。
もっと言えば今後、小黒の妖精としての能力の師匠(メンター)は無限になっていくが、小黒にとって風息とその仲間達と暮らした日々はかけがえのないもので、小黒の心の師匠(メンター)は紛れも無く風息になっていく事があの台詞には込められていると思う。
キャラクター達は皆愛らしく【どこかで見たことある感満載】であるが、嫌みは無く元ネタはどこだ?という好奇心すら憶えた(妖精のシュイなどは、サーバルちゃんそのものだが、能力はMarvelコミックのスクレイルガールと一緒)。
可愛らしいキャラが、長い旅路の果てに師匠と共に、AKIRA的一大サイキックアクションを繰り広げていく成長物語と表す事のできるこの作品、だがもう少し見方を変えるとより深く楽しめると思う。
故郷と住処を奪われ、妖精としての尊厳と故郷を取り戻す闘いをする風息とその仲間達を、国から理由なき差別を受ける人々や、社会的マイノリティの人々。
人間と妖精の共存を模索しながら、風息一党を模索する館の執行人(この呼び名自体不穏なものを表す)無限と館に住む妖精達を、国民に不利益な施策を強要したり宗教上の違いから少数民族に差別的政策を押し付ける政府、社会的強者等に置き換えて鑑賞すると、この作品がより深く心に響く作品になると思う。
ここで私は一つのシリーズ作品を思い浮かべる......
【20世紀FOX版X-MENシリーズ】
素晴らしい原作があるにもかかわらず、いつも今一歩抜け出す事が出来ず、本編が尻すぼみになり、なぜかスピンオフの出来が良い、あのX-MENシリーズ。
暴言&批判を承知で言えば......
【俺達の観たいX-MENがここにある!!】
私の良い映画の条件のモットー【パンツを脱いでゲロを吐きながら父殺し】の観点から観ると、今作は十分過ぎる程製作陣の熱意が伝わる良い映画です。次のヒットメーカーを安易な方法で作り出そうとしている、日本の実写&アニメ製作プロデューサーの皆さん......NEXTジブリは【ケモナー&ショタ】細田守でも【永遠の名誉童貞】新海誠でもなく、海の向こうのお隣の国に立派に育ってました。
【羅小黒戦記】これは、羊の皮を被った狼です。
この作品をどう読み取るか、ほぼ予備知識無しで鑑賞する、我々日本の観客の感受性が試される作品だと思えました。
日中比較――『無限列車』と『羅小黒』
中国には若い頃(まだ外国のインターネットがブロックされていなかった時代)に住んでいた。今も彼の国に関連する仕事をして、仕事関係者も多くが中国人である。そんな私からみて、この映画のテーマは日本サイドで多く言われている「他者との共生」じゃないのではと思った。だって、ムゲン師匠とフーシー、人間と妖精は、どう考えても共生できる関係じゃないのだ(結局妖精のフーシー側が折れることになるんだが)。同時によく言われているように、ムゲン師匠は政権で、フーシーはそれに圧迫される側だ、この映画はそれを正当化しているという解釈も違うかなと思った。ムゲン師匠もフーシーも、どちらが善でどちらが悪という描かれ方はしていないからだ。同時ヒット作『無限列車』の煉獄杏寿郎のような、人々を苦しめる鬼を退治する正義の味方は、この作品には一人も登場しない。そもそも、どちら側もシャオヘイを巡って無関係な人々を巻き込みすぎだ。一人か二人か数十人ぐらい死んでるんじゃないのか(汗)そのくせシャオヘイは目の前にいた女の子を助けようとする。観客はこの時点で白黒はっきりつかない、宙ぶらりんな精神状態におかれるだろう(ちなみに煉獄杏寿郎は『一人も死なせなかった!』)。
ではこの作品が本当に訴えたかったことは何か?私は、「ない」と思う。『無限列車』が人間の弱さとそれでも他人を助け正義を貫くことの尊さを説いたものだとしたら、『羅小黒』はその先の「他人を助けようとした結果街が崩壊し、正義ってそもそも何?」な世界の中で、皆思惑はあれど子供の小黒に未来を託す、その切なさを描いた「だけ」の話だと思う。だから見た後、『無限列車』ほどの爽快感はない。ラストで妖精の館で暮らすことを拒みムゲン師匠についていくことを決めた小黒も、いつかフーシーのような誰かにとっての『厄介者』になってしまう可能性もある。それでも…そこには否定も肯定もしない、突き放したような優しさがある。
ちなみに、中国で作られる映画はみな政府の検閲を受けていて、この映画とて例外ではない。検閲に賛同するつもりは私もさらさらないが、公権力の目にさらされながら出てくる表現は時に「自由な社会」から出てくる表現よりよほど重い。「反体制側(?)」とされたフーシーの最期に、私は涙が止まらなかった。
今年は『鬼滅の刃』で現実世界には絶対いないであろう正義の味方から勇気をもらい、『羅小黒戦記』ではモヤモヤする現実世界を見せられたようでオンオン泣くことができた。違った魅力を持つ日中アニメ大作を同時に見られて、コロナ禍で起きた嫌なこともだいぶ帳消しになった。
中国アニメ meets X MEN
90年代、安価な労働力を求め、日本や欧米メーカーは中国に工場を進出させた。
だが、アジアへの工場進出はこれが初めてではない。タイやインドネシアへの進出は、すでに70年代から行なわれてきた。
だが、こうしたアジアの国からは、世界的なメーカーは誕生していない。
一方の中国はどうか。
レノボはNECや富士通のパソコン事業を買収、ハイアールは米国ジェネラル・エレクトリックの家電部門を買収と、進出してきた国のメーカーを超えるような中国企業もすでに多い。
もともとはモノマネかも知れないが、自分たちの企業を作ろうというベンチャースピリット、そして、さらに技術革新してビジネスを拡げるチャイナパワーはスゴい。
本作を観ながら、そんなことを考えていた。
この映画には「ドラゴンボール」がある。ジブリアニメがある。いや、さかのぼれば「綿の国星」はもちろん、「デビルマン」すら見出せる。
そういう、先達の作品たちを参照したことを感じさせながらも、オリジナルな魅力に溢れた作品だ。
舞台は妖精(違和感のある訳語だ)という、特殊能力を持った人間とは異なる種族が存在する世界。
こうした設定はX MENを思い出させる。
テーマは善悪。
自然の中で暮らしてきた妖精たち。それを脅かす人間の自然破壊と開発。
そうして人間は文明を発展させ、“豊かさ”を手に入れてきた。
だが、こうした人間のおこないは行き過ぎてはいないか?
豊かさのために自然を破壊することは許されるのか?
そういう問いが提示される。
簡単に答えが出る問いではない。
だから葛藤がある。
そして対立が、戦いが生まれる。
戦いの舞台は高層ビルの立ち並ぶ都市。
ゆえに、その風景は、どうしても911を思い出させる。
正しい主張のためだったら、テロは正しい手段なのか?という現代的な問いをも、観る者に突きつける。
善とは、正しいおこないとは何か?
差別や分断、そして共生といった今日的なスパイスを効かせながら、幼い主人公の成長(というより学び)を描く。
前半、冗長と思えるほど丁寧に主人公たちのやり取りを描き、視点の転換を挟みながら、クライマックスに持っていく脚本はよく出来ている。
戦闘シーンのスピード感と激しさも見応えたっぷり。
なお、日本語吹き替え版は宮野真守、花澤香菜ら豪華声優陣をキャスティング。
中国アニメの到達点に驚きと拍手を送りたい。
日本のアニメ技法の良いところを詰め込んだような中国アニメ
いい作品でした。現代社会において妖精と人間社会が共存してる、最近よくある今生きてる社会の裏側みたいな設定で別段人間と妖精が敵対してもいない割とゆるい関わりの理想的な隣人関係を望む世界。まあ妖精って言ってるけど中国的には妖怪というか妖なんだろう。
正直ストーリーは目新しさはなく、はっきり言って王道かつ丁寧なロードムービー。いろんな人といろんな場面に出会って主人公たるシャオヘイが人嫌いから段々と世界の広さと深さを知って成長する話。なのでほとんど頭を使うことなく全編にみっしり詰まったヌルヌル動くアクションに入り込むのが楽しい。よく動く細かく動くとにかく動く。カメラワークグルングルン変わるしハイスピードすぎて何やってるか分からんけどとにかく動く。この手の作画カロリーかかる作業を中国メーカーができるようになると日本アニメの優位さが薄くなるなあ。
絵はまだ古いというか動かすためにシンプルだけど中国資本とやたらにでかい中国映画市場ではガンガン金かけて動かす事やってきそう。RWBYと違いセルアニメみたいだけど、ここまで派手なアクションアニメは最近何があったかなあ。
個人的には落ちてくるところを掴んで乱れた襟を直してるシーンがキャラクターの個性が出てていい演出だと思うし、そういう細かいところにこそ世界観が宿ると考えてるので、丁寧さのある良い作品でした。
…面白くなかったあ、、。
声優陣につられて観てきまたが、香菜が思いの外微妙でした。田村睦心とか小松未可子とかのが良かったのでは?と。(花澤香菜は良い声優だと思うけど、なんでもかんでも香菜でやりすぎ。声優は他にも沢山いるぞ。)
お話もキャラに感情移入出来ないままどんどん進んで、いきなり始まるアクションシーンについて行けず…
一番大事な主人公シャオヘイのキャラが一番わからなかった。シーフーにはあんなにすぐデレたのに、ムゲンには何度命を助けられても「フーッ」とかやってるし、ツンデレって感じでもなく。
ストーリーもキャラの心理描写も雑、アクションで無理矢理盛り上げてるように感じた。ギャグも面白くない。
でも、泣いてる人もいて、人の感性ってほんとに様々なんだなとあらためて感じました。
予備知識はほぼなしで鑑賞
吹き替えキャスト陣の間違いない感と黒猫ちゃんの可愛さでチェック。
中国のアニメを見た時にたまに違和感感じる事があったけど、独特な絵柄のおかげかそれは感じず楽しめた。
どこの国でもこういう環境問題は同じなんだなぁ。
後から考えると笑えるほどにキャスティングがハマり過ぎだけど、アニプレックスさんさすがわかってらっしゃる…まんまと(笑)
見覚えのあるシーンが思い起こされもしたけど、それだけ影響与えまくってるであろう日本のアニメがスゴいよなぁと改めて思ったり、それを、この作品としての世界の中に再現している中国アニメ、恐るべし。ストーリーもこういう切り口も許可出るんだなぁ、とか含め(笑)
知らないけど、多分原作というか世界観があっての映画化なのかな?他のキャラクターとの関わりや背景、設定などが映画だけではわからなかったのが、キャラが魅力ある描かれ方だっただけに残念。
…バトルシーン、見せたかったんだろうねぇ(笑)その時間使ってもっとキャラや世界観のお話見たかったw
でもネコちゃんめちゃくちゃ可愛かったりやり取りや仕草で笑えるシーンもあったり、ほろっとしたりで楽しめたのが大きいので、総評としては好き。
シャオヘイが可愛いなぁもう
そこに尽きる。可愛い。ほんとに可愛い。
登場人物も皆、悪者がいないんですよ…フーシー達だって気持ちは分かるから憎めない…むしろ救われてほしかった。
原作を存じませんが、本当に広い広いお話の一部なんだな、と思わせる登場人物の数々…え、今誰の話してんの?え、今登場した人誰???なんか濃いキャラですけど?ってのが後半に怒涛に…エンディングのスタッフロール中の一コマも正直頭では「?」でした。さっきのあのあたりで出てきたキャラっぽいのがいるな…みたいな…
原作が読みたい!翻訳版が見当たらない!早く作ってほしい!キャラが多くて訳がわかりません!良さげなキャラばかりだったので是非とも彼らを知りたい!
パンフも売り切れてるしネットじゃ転売多いし…
ロジュ(シャオヘイを追い込むフーシーに「自分が説得するから!」と叫んでた子)は、生きてたシャオヘイとまた会ってるところを見たいです…彼が…いい子だったから…少しくらい気持ちを楽にさせてあげてほしい…
動きがありまくる映像はとても見応えがありました。映画館の大きなスクリーンで観られてとても満足です。笑わせてくる間も淡々としてるのに、若しくはしてるからか、面白かったです。最終戦でシャオヘイの服を整えてあげる師匠には笑わせていただきました。
戦闘シーンの躍動感
ポップなキャラクターがコミカルで可愛い。それに加えてミステリー要素も含み、対立する人間の文明と妖精の自然が織りなす展開も面白かった。
何より動きのあるアクションシーンに見入ってしまいました。多彩なロングショットやSEにアニメーターのこだわりと信念を感じますね。YouTubeに上がっている制作現場のMVも好き。お疲れ様です。
映画では語られなかった話やキャラクターがいて気になりました。日本でもアニメやってほしいな〜
速度
緻密な作画が眼福。
なかなかこれ程までのクオリティのモノに出会うのも難しいのじゃなかろうか?画面の細部にまで動きがあったかのように思える。
物語は既出感を拭えないのだが、その世界観は美しい。妖精…吹替版で見たので和訳なのだけれど、本国でもそおいう事なのだろうか?そこまでのファンタジーではなく「気」とか、もっと神事寄りのような気がする。
まぁ、とにかく戦闘シーンのスピード感が秀逸!
DBやナルトだと閃光でやっちゃう所を全部書き出したかのよう。そおいえばあまりエフェクトってのを見なかったな。あらゆる物を描いたって印象が残る。
しっかりガッツリとアクションを書き出してくれてたのが嬉しい。従来通りの技法であるあるなら、通常の3倍くらいセル画を使ってんじゃ無いかと思ってしまう。
面白いなぁと思うのが、敵と味方の描き方。
物語的な悪は当初、味方として描かれ、物語的な善はそれに敵対するところから悪として登場する。
双方のキャラ付けもそんな感じだ。
「館」と呼ばれる組織なんかは、それこそ得体の知れない超常集団のように思う。
主人公であるシャオヘイは当然迷う。
話が進み見えてくるのは、どちらの側にも信念があり正義があるというところ。
シャオヘイはそのパワーバランスを決定づける能力を持っていて、彼の選択次第では未来が変わる。大陸の陰陽の思想にも通ずるのだろうか?善悪ではなく相反するものが存在するって構図だ。
それらの描き出し方が良かった。
日本だと、どこかに傾向を感じてしまう。その傾きがほぼなかったのが物語に膨らみを持たせたように思う。
ただ、なぜだろう?
若干寝た。
画面からの情報量の多さに疲れたのかしら?…そんなワケは無いと思うのだが。
どおやら続編も出来そうな世界観で、このクオリティの作品にまた出会えるなら、それはとても喜ばしい。
クオリティ たかいと思う。
姪っ子と観てきました。
感想聞いたら「まあまあ」
うん
まあまあ やった。
テーマもストーリーも映像も
とくに欠点は思いつかない
けど
あー面白かった
に ならなかった。なんでかな。。
【""古くから豊かな自然の中で平和に暮らしていた妖精と、彼らの棲み家を奪った人間との"共存"は可能なのか?" 今作品の魅力的な世界観に引き込まれた作品。】
■今作品の魅力的な世界
・妖精が住んでいた森の美しさ。
・その、自分達の美しき棲み家を人間に奪われながらも、共存の道を選んだ妖精達の姿。だが、人間を憎むフーシーを始めとした妖精達も、当然いる。今作品では、人間と妖精のどちらも否定的に描かないスタンスを取っている。
・シャオヘイ、ムゲン、フーシーを筆頭にした数々のキャラクタ-設定の秀逸さ。
・"館"、"霊域"、"執行人"という、魅力的なワードに彩られた作品の世界観
・キャラクタ-達のスピード感溢れる動きの数々と、精緻な背景描写。
・シャオヘイが、人間であるムゲンと嫌々ながら旅をし、イロイロな経験を重ねて行くうちに、ムゲンと心を交わすようになり、最後、ムゲンと歩む道を選んだラストは心に響いた。
・ジャパニーズアニメーションに触発されたとしか思えないシーンも、違和感がない。誰でも分かる宮崎監督、あの黒い霊域は"AkIRA"からだよね・・。
〈非常に面白い、且つ現代社会の様々なモノを犠牲にした上で、発展してする姿を見ていると、イロイロと考えてしまった作品。
見応えある、見事なアニメーション作品だと、思う。〉
国籍を問わないアニメーションの最高峰のひとつ
とにかくよく出来た作品です。まずキャラクター。全体的にふんわりと可愛らしく
誰もが好みそうな絵柄で老若男女それぞれのキャラが本当に魅力的。
そしてストーリー。人間と人外との共生は可能なのか?といった日本でも昔から
あるテーマを真正面から問いかけてきてくれています。
最後にアクション。これは是非観て欲しいとしか言えません。日本でもこのレベルの
作画と動きは難しいでしょう。緩急がついた見事な出来栄えでした。
中国は昔から日本のアニメの下請けとして有名ですが気づかないうちに日本は
これだけ追い越されていたのかと唸らされましたね。
惜しむらくは同時期に他作品のアニメ映画の爆発的なヒットでこちらが埋もれて
しまったことでしょうか。公開されて間もないのに上映回数がかなり減っているのが
残念です。今からでも遅くないのでご家族連れの方は観に行って下さい。
きっと想像以上の満足感が味わえます。
師匠!
ただただ感動しました。
中国アニメはBSや配信などでたまに見るのですが、画も内容も微妙なものが多く、日本作品のパクリ要素が強くて残念なものが多い印象てす。ですがメイン声優さんのファンなので迷うことなく鑑賞。マジで見てよかったです。
なんと言ってもシャオヘイが可愛すぎる。猫の状態の時も、人間の姿に変わった時も憎たらしくていじっぱりだけど無邪気さが勝って、花澤香菜さんの声もあって最初から最後まで魅力的なキャラクターになっていました。ムゲンもフーシーも常に優しく包んでくれる抱擁力がお見事でした。他のキャラクターも1度見たら忘れられないデザインと言葉遣いで、見ていて楽しくなってきました。
ストーリーは難解ながらもシンプルで、呪術の才があるシャオヘイの巡る物語です。フーシーが居場所を作ってくれたのは、自分のため。悪役ぽいなと思ったのですが、自分たちの居場所を奪われたから奪い返すといった1つの正しい理由で、完全なる悪とは思えませんでした。ムゲンも身勝手にシャオヘイを拉致したなと思ったのですが、人違いで拉致してしまったものの、呪術の才がある事を見抜いて立派になるまで育てたムゲンの優しさに惚れました。
この作品の最大の魅力はなんといってもアクションシーンです。キャラクターのシンプルな線が背景とベストマッチして、更にぐるぐる回るカメラワークに魅せられ、立体的になっていることに感動しました。目まぐるしく動くキャラクターも全て整理できてあって、呪術のエフェクトも面白く、中国アニメの素晴らしいクオリティを痛感させられました。
フーシーVSムゲンの戦いもハイクオリティで、常に鳥肌が立っていました。シャオヘイが復活した時のポーズから必殺技まで何もかもが格好良かったです。
ムゲンが新たな居場所を作ってくれたけれど、ムゲンと離れたくないシャオヘイが師匠!と叫んでムゲンの胸に飛び込んでいくシーンで涙腺ぶっ壊れました。ズビズビ泣きました。
日本アニメをも凌駕する素晴らしい作品が観れました。ありがとう。
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