「これは羊の皮を被った狼。この国の観客の感受性が試される作品」羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来 へるだいばぁさんの映画レビュー(感想・評価)
これは羊の皮を被った狼。この国の観客の感受性が試される作品
予備知識無しで、この作品を鑑賞しました。資料によると今作は、2011年から現在まで、ネット上で発表されている本編28話の四年前の前日譚にあたるとの事。
そういった条件もあり、各所では説明不足とか、プロのライターですら、わかりにくい等々と恥ずかし気もなくあげているのをの目にするが、これは過剰に台詞で説明してしまう昨今の日本映画に慣らされた(原因の多くは観客の側にある)故の意見だと思う。
今作は【ジブリ作品に出てくる愛らしいキャラが、高橋留美子的妖怪キャラように変身、ロードムービーの果てにナルトやAKIRA的一大アクションに向かう】
一見マイナス要素になる要素が多々見られる今作の底にあるのは、ほぼ初見に等しいこの国の観客の感受性が試されているという事だと思う。
そしてそういった色を感じてしまう大きな要素に、中国本国での製作であり、検閲という壁とのせめぎ合いが常に存在したという事。
冒頭人間に住処を追われた小黒(シャオヘイ)が街のゴミだめに追い込まれた時、同じ境遇の風息(フーシー)と出会い、彼と彼の同志と合流し生活を共にするが、風息一党は彼ら妖精の住処を奪った人間に、小規模なテロを起こしており、彼を捜索していた【最強の執行人】無限(ムゲン)によって連行されて.......といった流れで物語は進んで行くのだが、この後小黒と無限のロードムービー部分を経て、小黒の心情の変化と視野の拡がり(小黒は妖精としてはまだ幼い)をみていく事になるが、ここで一つ感じたのが、101分のランタイムにもかかわらず、そこまでテンポ良く進んだのに(後述するが)ロードムービー部分(小黒と無限のドタバタ劇も含め)のテンポの悪さの為からか、中弛みを感じてしまった。
当初、これは国民としての感性の違いかと思ったが、ここをくどい思うくらい丁寧に描く事で、小黒と無限の心の交流を表現する方法を採ったのではないだろうか。もっと言えば採らざる得なかったではと思う。
これは冒頭の風息一党との生活シーンをさらっと描いていた事とも関連する事と関係するが、それこそが検閲という壁とのせめぎ合いだと思う。
冒頭部分の比重を増やせば当然、小黒は風息一党(反政府勢力)と無限の間(中国共産党)で幼いが故に、心が激しく揺れ動く描写が必要となり、それはイコール反政府勢力にも国や未来を想う心があり、主張がある事を認めてしまう事に繋がり、作品が陽の目を見なくなる可能性が強い。であれば、作品全体のテンポを落としてでも、ロードムービー部分を助長過ぎる(ただドタバタ劇部分は笑って良いのかどうか、戸惑った)くらい丁寧に描く方法を採ったのではないかと思う。個人的には、作品全体のバランスから見れば助長とも思えたが、反面ケビン.コスナー演じる凶悪逃亡犯と少年の心の交流を描いた【パーフェクトワールド】を思わせてくれた。
これが日本ならば、作品全体のテンポを落とさない様に、風息がテロ行為の準備段階で、同胞の妖精の能力吸い取る行為を小黒に見せて半強制的に決断を迫る(この描写も考え方によっては、政府の施策を強制的に押し付ける事を想起ささせる)様な演出が多いのかもしれない。
その後は風息が故郷の街を取り戻し、妖精達の自立を勝ち取るため仲間達と共に大規模テロ行為を働いていく中で、無限と対峙し、一大サイキックアクションバトルを繰り広げるわけだが、ここは文句無しに楽しめた。 確かに日本に居れば【どこかで見たことある感満載】であるが、気持ちの良いくらい『俺達は大画面でこれがやりたかった(ネット公開されている本編を観たが、FLASHながら実際アクションはよく動いている)』という想いが十二分に伝わり好感が持てる。ただ、小黒が覚醒する際の描写が以外とあっさり描かれていて(これも検閲絡みかも)残念であった。
小黒&無限との闘いに敗れ、能力を解放し巨大な樹木に姿を変えた、風息を前に妖精那咤(ナタ)と鳩老(キュウ爺)とのやり取りで『材木になって切り出されて、入場料を取る公園のベンチ~』的なシニカルな台詞にもやっとしている的な意見を多々目にするが、この台詞を額面通りに受け取ると、この作品をより深く楽しめないのではないだろうか。
あの台詞には、風息は故郷を取り戻し、妖精達の尊厳を取り戻す為の闘いに敗れ、巨大な樹木となり材木として切り出されて、公園のベンチと姿を変え、仲間達は館に投獄に近い形で拘束されても、風息と仲間達の闘いは語り継がれいつの日か、風息と仲間達とは違った形で、妖精達の故郷と自立を勝ち取るための闘いを、風息とは違った形での声をあげる者が現れる事を、少なからず願っている事を表していると思う。
もっと言えば今後、小黒の妖精としての能力の師匠(メンター)は無限になっていくが、小黒にとって風息とその仲間達と暮らした日々はかけがえのないもので、小黒の心の師匠(メンター)は紛れも無く風息になっていく事があの台詞には込められていると思う。
キャラクター達は皆愛らしく【どこかで見たことある感満載】であるが、嫌みは無く元ネタはどこだ?という好奇心すら憶えた(妖精のシュイなどは、サーバルちゃんそのものだが、能力はMarvelコミックのスクレイルガールと一緒)。
可愛らしいキャラが、長い旅路の果てに師匠と共に、AKIRA的一大サイキックアクションを繰り広げていく成長物語と表す事のできるこの作品、だがもう少し見方を変えるとより深く楽しめると思う。
故郷と住処を奪われ、妖精としての尊厳と故郷を取り戻す闘いをする風息とその仲間達を、国から理由なき差別を受ける人々や、社会的マイノリティの人々。
人間と妖精の共存を模索しながら、風息一党を模索する館の執行人(この呼び名自体不穏なものを表す)無限と館に住む妖精達を、国民に不利益な施策を強要したり宗教上の違いから少数民族に差別的政策を押し付ける政府、社会的強者等に置き換えて鑑賞すると、この作品がより深く心に響く作品になると思う。
ここで私は一つのシリーズ作品を思い浮かべる......
【20世紀FOX版X-MENシリーズ】
素晴らしい原作があるにもかかわらず、いつも今一歩抜け出す事が出来ず、本編が尻すぼみになり、なぜかスピンオフの出来が良い、あのX-MENシリーズ。
暴言&批判を承知で言えば......
【俺達の観たいX-MENがここにある!!】
私の良い映画の条件のモットー【パンツを脱いでゲロを吐きながら父殺し】の観点から観ると、今作は十分過ぎる程製作陣の熱意が伝わる良い映画です。次のヒットメーカーを安易な方法で作り出そうとしている、日本の実写&アニメ製作プロデューサーの皆さん......NEXTジブリは【ケモナー&ショタ】細田守でも【永遠の名誉童貞】新海誠でもなく、海の向こうのお隣の国に立派に育ってました。
【羅小黒戦記】これは、羊の皮を被った狼です。
この作品をどう読み取るか、ほぼ予備知識無しで鑑賞する、我々日本の観客の感受性が試される作品だと思えました。