羊飼いと風船のレビュー・感想・評価
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追記 彼は故人みたいだ。さて?先週亡くなった様だ。運命を感じる。
国策映画?
3年くらい前にロードショーで鑑賞したが、題名を忘れていた。彼女の出した答えに鳥肌がたった。
加えて『十字架』と『風船が赤い』のには意味がある様な気がする。
フランス映画の『赤い風船』。とか、『赤』の『補色』、『反対色』は考えたが、たぶん、『旗』とか。
まぁ、いずれにしても、主人公の出した答えは『辺境の地』なんて言う次元では無い。この映画は『ベネチア』も『カンヌ』も無理だったろうな。『ベルリン』や『アカデミー』でも拒絶されたろうね。そこへ『赤』では『香港』や『北京』や『上海』でも無理で、誰も評価しなかったのたろう。でも、僕は2019年(20年?)のNO1だと思う。今日2回目の鑑賞で、それが確認出来た。
国策映画かもしれないが、うまく作っていると感心した。
追記
彼は故人みたいだ。さて?先週亡くなった様だ。運命を感じる。
家族を重んじる社会は女の人権を守らない。
子どもが遊びに使ってしまったのは、医師から妻がもらってきたコンドームだった。
女に自己決定権がない世界はチベットも日本も同じね。
個人ではなく、家族とか国家とか団体にあたかも意思があるように振る舞う社会は、ある種の個人の人権を無視する構造になってる。
世界中で、その「ある種の個人」が大体女でこどもで障害者でマイノリティなんだよね。
遠い世界を描いても、人間社会の欠点はだいたい同じ。
その悲しい現実をより肝に銘じる為に、なるべく遠い世界の物語にも触れたいと思うのです。
現代って感じが良かった。
信仰と性の対立から生まれるチベット女性の苦しみと悲しみに寄り添う個性的な映像詩
中国の一人っ子政策を絡めた、今のチベットの現実を素朴な詩情で表現した映像詩。祖父と長男夫婦と息子三人の三世代家族に妻の妹を加えた物語の主軸は、女性の性と存在価値についての今日的なメッセージを含む。最も興味深いのは、チベット仏教の輪廻転生についての解釈が幅広く、人によって都合よく捉えられていることだった。死後四十九日に徳を積んだ人の魂だけが再び人の体に宿ると理解していたが、一年後もあるし、何と亡くなる前に転生する例もあるという。人の死の悲しみを癒すための輪廻転生の教えに対する、チベットの人々の生活の知恵なのだろうが、説得力はない。物語では、高僧の教えに従順な夫タルギェの考え方と、生活苦と自身の体力から4人目の出産を躊躇う妻ドルカルの葛藤が描かれる。因習にとらわれる男性の建前に、現実の厳しさに耐える女性の本音が覆い被さる。
山岳地帯ではない大草原のチベットの風景が新鮮だった。砂丘から湖まで描かれた映像も美しく、また独特な世界観を楽しむことが出来る。祖父のお葬式で見られる遺体の扱い、お線香ではなく灯明のお供え、妹シャンチュの尼さんの装いとそのユニークな帽子の形、家族6人が住む小さな家の間取り、羊の売買をする時の価格交渉の仕方、高地の寒さに耐えるコートのデザインとその袖の長さ、ほぼ肉料理メインの食事と、中央アジアチベットの文化・風俗・生活の一端を知ることが出来て、とても参考になった。羊の繁殖に関するエピソードも牧畜農家から視れば極普通な日常なのだろうが、それだけに羊が人間の命の次に大切である事を物語る。それはまた男女差別の観点で言えば、女性の立場が羊と同じではないかとする社会批判の投げかけになっている。雌羊を売るために一匹捕獲した夫タルギェに、何故その羊と妻ドルカルが尋ねる。夫は2年間子供を生んでないと言い、妻は可愛いのにと不満気に言う。妊娠検査薬を診療所で貰うシーンでは、ドルカルが建物の裏に行くのを心配そうに見つめる女医の視線の先に、ヒモに繋がれた羊が現れる。それを物憂げに見る女医は、妊娠が判明したドルカルに、産めば中国政府から罰金を課せられることと、女の役割は子を産むだけじゃないと説得する。ここに作者が最も言いたいことが込められている。
意図的に妻ドルカルを物陰に隠すカメラアングル、神秘的な幻想シーン、室内から屋外の人物を捉えたカメラワークなど、作者独自の個性が良く表れている。監督ペマ・ツェテンは原作と脚本も手掛けているチベット出身の元々は作家出身のようだが、説明的な台詞が気になった。映像で表現できる技巧を持っているのだから、台詞で説明しないで映像で見せて欲しいと感じた。反対に妹と中学教師の関係は、男性に裏切られた女性の出家として加えられたのだろうが描き切れていない。次男三男の悪ガキが起こす些細な事件はユーモアがあって微笑ましいものの、ラストシーンを飾るまでの両親との接点が弱い。赤い風船が空に舞い上がるのを主要登場人物が次々に見上げるカットもイメージとしては安易ではないだろうか。
観終わって、信仰と性の根源的な営みを問題視した大胆さを、よく中国政府の検閲が通したと不思議に思った。調べると初稿の脚本は拒否されたようだ。映画化までの苦労を思うと、小さい違和感は忘れてしまう。独立したチベット映画ならもっと自由に制作されたと思う。
性と生と死と、舞いあがる赤い風船
良かった。
題名もろくに覚えず、どんな内容なのかもまったく知らないまま観にいったのだけど、興味ぶかく鑑賞できました。
まず、「一人っ子政策」という国家の方針と、土地の風習や信仰に翻弄される女性という着想が面白いと思った。
それから、子どもたちのなにげないいたずらがきっかけとなり、家族に軋轢が生じるというストーリーもよくできているなと感心しました。
おじいちゃんの生まれ変わりを産んでほしいと願う夫と子ども。現実を見つめる妻…。
僕もどっちかというと、産んでほしかったです(ゴメンね、奥さん)。
テンポよく進む話じゃないので、途中ちょっと退屈なところもあったけれど、草原、羊、僧侶、読経、輪廻転生、とチベット感満載で、ふだんあまり接することのない風景や文化を楽しむこともできました。旅行しているような気分で。
あと、ハイライトを飛ばした、彩度の低い寒々とした映像の中に、ときおり挿入される幻想シーンがビビッドな色づかいなのが印象的だった。
フレーミングを工夫した撮影もセンスを感じました。
主演の女優さんもいい顔してるなぁ(妹役もかわいい)。
風船ってコンドームのことなのね、と最初「えっ?」となったけど、さいごにホンモノの風船が出てきて一件落着。
空たかく舞いあがる赤い風船は、希望の象徴と見た。
種羊とコンドーム
「羊飼いと風船」、って牧歌的タイトルと見せかけてからの「一刺し」、な皮肉だったんですね。原題は「气球」。つまりはコンドム。やるじゃんw
産児制限政策への(割と緩い)批判。女性の不合理な立場。映画の軸になっているのは、後者です。
病院にダンナと長男が駆け込んできた時には、時すでに遅し。いや、妻からすれば間に合ったと言うべきか。「尼にならないでよ」と心配する長男。「いやいや、ならねーよ。大丈夫だよ」。
妹とメガネ男の関係が判らなかったんですが、この場面で推理可能になりました。未婚の妊娠・中絶・仏門に入る、って言う流れだったんかねぇ。
文芸的かったるさはあるものの、ドキュメンタリーを思わせるリアルな「小汚さ」が結構好き。
良かった。
でも、万人受けはしそうにないので、お勧めはしません。
凡庸な作品です
チベットが舞台っていうのもイイよね
この物語早く観たいと思ってた
の、せいか、どうも面白くない
設定はいいし子供が純真で膨らませてた物とか面白い、ありそう
でも、どうも中国の人数制限政策とか出てくるけど
政治的な配慮か踏み込んでいかない
中国介入すんなよって昔から思ってる人間にとっては何か消化不良
チベットにとって中国の介入の問題は普通に考えたら避けて通れないよね
輪廻転生を信じるような死生観が出てきて
違った文化だなと理解したけど
それ以上に訴えかけるものがない
結局、状況を提示してるだけで考えさせたいのかもしれないが
この映画何を訴えかけたかったのか良くわからなかったな
物語的には普通で、綺麗な風景を期待したが映像もそこまで綺麗じゃない
何を観たらいいのかわからない感じだったな
何が原因かわからないが久しぶりに退屈で携帯をいじりたくなった映画だった
期待してたので残念な感じでした
悪くはない、でも、面白くもない映画
けっこうよかった
スマホがあったのでかろうじて現代なのかと思うのだけど、凄まじい暮らしぶりで大昔みたい。バイクに羊を無理矢理載せて運搬していて、羊の具合が悪くならないのだろうか。転生を真剣に信じているのがファンタジーみたいだ。お母さんは帰って来るのか心配だ。
赤い風船🎈
文成公主(唐時代)の巨大像は大乗仏教のチベット仏教では観音菩薩、多羅菩薩を表しているらしい。チベットの人にとって民族の誇りと信仰を忘れないためのものでもあるのだろう。現在の中国政府からの弾圧のもと、チベット映画人ができる最大限の抵抗なのかもしれない。ダライ・ラマを口にするだけで逮捕されてしまう現実。
避妊リングを子供がオモチャの指輪ににしているのを隣人にみられることや子供がスキンを風船にして遊んでいることを「恥」と感じる人々。民族性なのか。文化なのか。それとも、中国政府による出産制限政策に屈する現実に対する情けなさなのか? 主要な経済拠点は省に組み入れられ、伝統的放牧生活に頼らざるを得ないチベット自治区の生活。子供の教育問題と人手問題の葛藤。教師になった青年と恋が実らず、尼になることで、家族の経済的負担から外れることを選択した妹。精力絶倫の旦那を持ち、一見幸せそうな姉が苦しみ、妹を羨む現実。
青空にあがってゆく赤い風船🎈をすべてのキャストが見上げるラスト。
チベットの人がそれぞれの希望を風船に見立て、生まれ変わり(転生)を信じて、暮らして行こうとしているように感じた。
チベット頑張れ❗
子供がスキンを膨らます場面。すごい肺活量だなぁと思いました。結構力要りますよね。標高が高くて、空気が薄くて、気圧が低いから、膨らますの楽なのかなぁ?
子供の頃、デパートでもらったヘリウム入りの風船を空に飛ばしたら、母親に「もったいない」とえらく怒られたことがずっとトラウマになっています。タダで貰った風船にああまで固執する母親にすごく幻滅しました。ケチ野郎。狭い住宅地の路地から空にあがってゆく風船は自由で羨ましく思えました。萎んでしまう前に放してあげたかっただけ。あんなに青い広い空だったら、もっと気持ち良かったに違いありません。
チベットの草原地帯。夫タルギェ(ジンバ)と妻ドルカル(ソナム・ワン...
チベットの草原地帯。夫タルギェ(ジンバ)と妻ドルカル(ソナム・ワンモ)の夫婦。
タルギェの父、ふたりの息子と羊飼いで生計を立てている。
夫婦には、もうひとり長男ジャムヤンがいるが、彼は寄宿生活で町の学校に通っている・・・
といったところから始まる物語で、牧歌的な雰囲気ではじまる映画。
冒頭の映像は白くぼやけた画面で、ふたりの息子が老いた祖父を風船を通して見ているようである。
が、風船と思われたものは、コンドームを膨らませたもので、幼いふたりの息子は、それを両親の枕の下から盗んできて、風船と思って膨らませていたわけ。
そんな避妊具など使うこともなかった祖父にとっても、ちょっと細長い風船にしか思っていなかったが、父親タルギェは息子から取り上げて、吸っていた煙草の火で割ってしまう。
ここで風船は「性」の象徴であることがわかる。
町の学校で寄宿生活をしていた長男ジャムヤンが休みを利用して帰宅することになる。
彼を迎えに学校を訪れるのがドルカルの妹・シャンチュ(ヤンシクツォ)。
彼女は過去の出来事からいまは出家の身。
迎えにいった学校でジャムヤンの担任教師タクブンジャと出会うが、彼はシャンチュの元恋人。
元恋人といっても、ふたりの恋愛は不倫関係だった。
これが原因でのシャンチュは出家、男の方は離婚し、現在の学校に左遷させられたようだ。
作家を目指していたタクブンジャは、過去のいきさつをもとに小説を書き、出版しており、それはなにがしかの賞も受賞した。
小説のタイトルは「風船」。
ここで風船は、「ひとの想い」「魂」の象徴であることがわかる。
ふたりの息子に最後のコンドームを使われてしまったタルギェとドルカルの夫婦は避妊することなく夫婦生活を営み、結果、ドルカルは妊娠。
4人目の子どもを産むことは法律で禁止されおり、女医師は堕胎を薦める。
産みたい思いはドルカルの中にもある。
しかし、長男ジャムヤンの進学費用の工面もある。
罰金を払って、その上、4人の子どもを育てるほど家計に余裕はない・・・
そんな中、祖父が急死してしまう。
タルギェが高僧から告げられたのは、祖父の魂はすぐにでも転生する、ということ。
タルギェも長男ジャムヤンも、妹シャンチュもドルカルに産むことを薦めるのだが・・・
と物語は、どこか原初的なシンプルさを持ちながら、力強く、それでいて、チベットの置かれた立場、伝統と近代化のせめぎ合いを感じさせます。
夫婦や家庭、男女の物語と並行して、一家の牧畜の様子が描かれるのが興味深く、種牛ならぬ種羊を借りてきての種付けや、羊を運ぶさま(オートバイの乗り手の腹に羊を結わえつける!)など目を引きます。
そして、もうひとつ驚かされるのは、ときおり挟み込まれる、驚くような画面。
冒頭のコンドーム越しの映像もそうなのですが、苦悩するドルカルの表情を水桶に映った像で捉えたショットや、移動シーンを草原にたまった水たまりに映った像で捉えたショット、去り行くシャンチュを見送るドルカルを窓ガラスに映った像で捉えたショットなど、リフレクションの効果を用いたショットがあります。
最後は天空に上る赤い風船が描かれるのですが、それは魂、そして見ている者全員の想い。
上っていく風船を見上げる人々の俯瞰ショットの連続も素晴らしいです。
この俯瞰ショットは伊丹十三監督の『大病人』を思い出し、このようなショットがあるかないかで、映画の印象が変わってくるのかもしれません。
映画全体としては、題材は異なりますが、アルベール・ラモリス監督の『赤い風船』『白い馬』の2本を思い出しました。
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