「信仰と性の対立から生まれるチベット女性の苦しみと悲しみに寄り添う個性的な映像詩」羊飼いと風船 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
信仰と性の対立から生まれるチベット女性の苦しみと悲しみに寄り添う個性的な映像詩
中国の一人っ子政策を絡めた、今のチベットの現実を素朴な詩情で表現した映像詩。祖父と長男夫婦と息子三人の三世代家族に妻の妹を加えた物語の主軸は、女性の性と存在価値についての今日的なメッセージを含む。最も興味深いのは、チベット仏教の輪廻転生についての解釈が幅広く、人によって都合よく捉えられていることだった。死後四十九日に徳を積んだ人の魂だけが再び人の体に宿ると理解していたが、一年後もあるし、何と亡くなる前に転生する例もあるという。人の死の悲しみを癒すための輪廻転生の教えに対する、チベットの人々の生活の知恵なのだろうが、説得力はない。物語では、高僧の教えに従順な夫タルギェの考え方と、生活苦と自身の体力から4人目の出産を躊躇う妻ドルカルの葛藤が描かれる。因習にとらわれる男性の建前に、現実の厳しさに耐える女性の本音が覆い被さる。
山岳地帯ではない大草原のチベットの風景が新鮮だった。砂丘から湖まで描かれた映像も美しく、また独特な世界観を楽しむことが出来る。祖父のお葬式で見られる遺体の扱い、お線香ではなく灯明のお供え、妹シャンチュの尼さんの装いとそのユニークな帽子の形、家族6人が住む小さな家の間取り、羊の売買をする時の価格交渉の仕方、高地の寒さに耐えるコートのデザインとその袖の長さ、ほぼ肉料理メインの食事と、中央アジアチベットの文化・風俗・生活の一端を知ることが出来て、とても参考になった。羊の繁殖に関するエピソードも牧畜農家から視れば極普通な日常なのだろうが、それだけに羊が人間の命の次に大切である事を物語る。それはまた男女差別の観点で言えば、女性の立場が羊と同じではないかとする社会批判の投げかけになっている。雌羊を売るために一匹捕獲した夫タルギェに、何故その羊と妻ドルカルが尋ねる。夫は2年間子供を生んでないと言い、妻は可愛いのにと不満気に言う。妊娠検査薬を診療所で貰うシーンでは、ドルカルが建物の裏に行くのを心配そうに見つめる女医の視線の先に、ヒモに繋がれた羊が現れる。それを物憂げに見る女医は、妊娠が判明したドルカルに、産めば中国政府から罰金を課せられることと、女の役割は子を産むだけじゃないと説得する。ここに作者が最も言いたいことが込められている。
意図的に妻ドルカルを物陰に隠すカメラアングル、神秘的な幻想シーン、室内から屋外の人物を捉えたカメラワークなど、作者独自の個性が良く表れている。監督ペマ・ツェテンは原作と脚本も手掛けているチベット出身の元々は作家出身のようだが、説明的な台詞が気になった。映像で表現できる技巧を持っているのだから、台詞で説明しないで映像で見せて欲しいと感じた。反対に妹と中学教師の関係は、男性に裏切られた女性の出家として加えられたのだろうが描き切れていない。次男三男の悪ガキが起こす些細な事件はユーモアがあって微笑ましいものの、ラストシーンを飾るまでの両親との接点が弱い。赤い風船が空に舞い上がるのを主要登場人物が次々に見上げるカットもイメージとしては安易ではないだろうか。
観終わって、信仰と性の根源的な営みを問題視した大胆さを、よく中国政府の検閲が通したと不思議に思った。調べると初稿の脚本は拒否されたようだ。映画化までの苦労を思うと、小さい違和感は忘れてしまう。独立したチベット映画ならもっと自由に制作されたと思う。
こちらこそ共感ありがとうございます。
恥ずかしながら、そう言った監督だとは知らずに見ました。それで没年が『先週!』だったんで、なんか運命を感じてしまいました。
そして、実はモンゴルだと思っていたぐらいです。恥ずかしい!!
こんにちは。
十字架のシーンが気になりました。
やっぱり、十字架が飾ってある病院ってヨーロッパではカソリックたから、基本的に墮胎は出来ないと思うので、それと中国の国旗の色を隠したのかなぁって思いました。
明らかな国策映画だと思いました。けれども、抵抗して作っているかなぁって思いました。
彼は先週亡くなったようですよ。
半年以上前に観て、内容の詳細は忘れていましたが、この一年で見た作品では大切にしたい一作でした。細かい場面を思い出しました。ありがとうございます。妹の出家に関しては教育制度などの詳しい描写に制限がかかったのかもしれませんね。単なる失恋のショックだけではないとは思いました。最後の風船🎈のシーンもこれが精一杯だったのかな~