馬ありてのレビュー・感想・評価
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【古から人間の生活に深い関りを持ち、特別な存在である馬。「ばんえい競馬」や木材を運び出す「馬搬」など馬と人間の営みを通して、消えゆく文化と受け継がれていく文化を描くドキュメンタリー作品。】
ー 笹谷遼平監督は「山歌」を鑑賞した時から、気になっていた監督である。滅びゆく文化、人々にスポットライトを与える作風が、独特だからである。-
◆感想
・今作は、北海道や東北地方で馬と共に過ごして来た人達の姿が、馬と共にモノクローム映像で描かれている
それは、北海道の「ばんえい競馬」であったり、今や機械に変わりつつあるや馬を使って木材を運び出す「馬搬」の風景など貴重な映像である。
・印象的なのは、随所で、”人間が一番悪い動物だ。戦争ばかりしている。それに比べ、馬は美しい”と言う言葉が聞かれる事である。
・チャグチャグ馬コ、“馬の神”オシラサマの成立に関わる哀しき話、馬頭観音・・。
<民俗学が好きなモノには、タマラナイ作品。今度は九州地区の民俗学に光を当てた作品を制作してはくれまいか、笹谷遼平監督>
ナレーションなしの全編モノクロ映像
北海道帯広市、世界で唯一、ばんえい競馬を行っている。
そのばんえい競馬の競走馬(ばん馬)を繁殖育成している農家。
同じく北海道むかわ町穂別の馬繁殖農家たち。
時期が来れば、草ばん馬のお祭りで皆が愉しむ。
岩手県遠野市。
山中から伐採された木材を運び出す、馬搬のひとつ「地駄引き」を行っている馬方。
彼らの言葉、生活を通して、変化する時代の中で消えていった、もしくは受け継ぎ続いている馬とひとびとの暮らし。
それは、生命の循環のひとつの姿・・・
という、ナレーションはなく、全編モノクロの画面です。
馬が好きで、映画に登場するばんえい競馬にも2度ほど行き、北海道の牧場にも幾度か行き、下北半島の先まで岬に放牧されている寒立馬も観に行きました。
そんなわたしには、草ばん馬の様子と地駄引きの様子は、とても興味深く観ることができました。
映画が始まってすぐに字幕インポーズで「馬にはふたつのことがある。走ることと 肉になること」という意味の言葉が出ますが、この映画ではそれ以外の馬の人生が描かれています。
「走る」と「肉になる」のふたつの映像があれば(後者は食肉用取引市場の様子が少し写されているが)、もう少し対比が際立ったかもしれず、少々惜しい感じがしました。
上映後、監督のミニトークがあり、そこでは遠野に惹かれた監督の想いが語られましたが、遠野の風景ももう少し映画に入れておいた方が良かったかもしれませんね。
なぜ「白黒」なのか?
“見せ方”に不満が残る映画だった。
まず、なぜ「白黒」作品なのか?
モノクロームにすることで、雑然とした現実から離れた神秘的な感じや、“昔の映像”のように見える効果を狙ったのかもしれない。
しかし、ドキュメンタリーの“中身”と合っていないので、わざと色を落とした“不自然さ”が感じられる。また、色がないために、暗かったり灰色一色になって、映像の詳細が分かりづらいところも多い。
肝心の「馬」は、黒色に沈んだ異様な生物と化し、生き生きした美しい存在ではない。イメージの一コマなら効果的だが、全編では無理がある。
瑞々しい北国の自然や、「チャグチャグ馬コ」の祭りも、きちんと映されているとは言い難い。
また、十勝と穂別を中心に、撮影地域は複数にまたがるが、同じ撮影地域をひとまとめにして見せないことも不満だ。
細切れにシャッフルする必要性が感じられない。
次々と入れ替わり、テロップも断片的なので、現在の場面がどこの地域の話か分からなくなる。メインキャストのおじさんの顔が出てきて初めて、判別できる状況だ。
内容にも、今ひとつ“深み”が感じられなかった。
公式サイトでは、「映像詩」と謳っている。
よって、もともと北国の「馬と人間の営み」を広く“映す”描くことが目的で、一つのテーマを深掘りする目的はなかったのかもしれない。(あるいは、一テーマで映画一本は無理だったのかもしれない。)
ただ、本作品は「馬」ではなく、馬と関わる「人間」がテーマのようだ。
そうであれば、もう少し個々のテーマに密着したものが欲しかった。「ばんえい競馬」一つとっても、公営・草競馬といろいろあるようだが、“遠巻きに見たイメージ”で終わってしまった印象だ。
「馬と人間」の様々な姿を見ることはできる。だが、内容と映像がちぐはぐで、“食い足りない”作品だった。
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