MONOS 猿と呼ばれし者たちのレビュー・感想・評価
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猿と人間の違いはあるか
これはすごい。社会の外に広がる荒涼とした世界で生きる若者たちの物語だが、悲惨で過酷なだけの話ではない。「猿」と人に向かって言うのは、侮蔑的な意味合いだろうと普通は思う。実際、この映画では過酷な戦闘員として山岳地帯で非人間的な扱われ方をする若者たちが出てくる。まさに獣のような残虐性を秘めた少年・少女兵に鍛えられた者たちなのだが、そこには人間社会が失った原初的な感性があるのも確か。殺風景な山岳地帯にモノリスのような石がそびえたち、どこか異空間につながった世界のような場所で展開される物語で、彼ら・彼女らは強烈な生の輝きを放ってしまっている。
人の本性は動物であるとするなら、本作が描く人間の姿は現代人が喪失した人間性(動物性)を確かに有している。後半、舞台が深い森の中に変わると、さらに登場人物たちは動物的になっていく。森での中で動物的な人間性が立ち現れる様は、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画のようでもある。
猿と人間の間にどれだけの差があるのか。実はないのではないかと思わされる。
内戦が続いたコロンビアで実現した野心作の光と影
本作については当サイトの新作評論に寄稿したので、ここでは補完的な視点で書いてみたい。
まず目を引くのは、雲海が眼下に広がりセメント鉱山の廃墟が残る高地や、うっそうとしたジャングルと滝や濁流の川など、手つかずの自然が残ったロケーションだ。特にジャングルや川の付近は、最近までゲリラ組織と民兵集団の戦闘があったせいで一般の人々は近づけず、おかげで開発から逃れていたのだとか。
主要キャストも、博士役のジュリアンヌ・ニコルソンやビッグフット役のモイセス・アリアスを除き、ほぼ全員が演技未経験だという。メッセンジャー役の男性は実際に反政府ゲリラ組織FARCで部隊を率いたそうで、小人症で筋肉質の指導教官というキャラクターの異様なリアリティも納得だ。
ストーリーにはとても引き込まれたのだが、モノスの数人が土色に濁った急流を泳ぐ(というより、溺れないよう必死に浮かんでいる状態に近い)シーンでは、よくこんな撮影ができたなと驚く一方、発展途上国の貧しい若者たちを先進国の娯楽である映画で危険な目に遭わせて“搾取”しているという側面はなかっただろうかという懸念も残った(本作はコロンビアをはじめ欧州と南米の計8カ国の共同製作)。プレス資料でも、ジャングルでの撮影の準備中に斜面を巨木が転がり落ちてきて、キャストにぶつかる寸前で止まったという話を監督が明かしている。荒々しい自然環境だからこそ迫力ある映像が撮れるというメリットはもちろん認めるが、組合やエージェントのしっかりした米国の撮影現場並みに、キャスト・スタッフたちの安全の確保と心身のケアがしっかり行われていただろうかと気になった。
我々は見つめているのか、見つめられているのか
コロンビアのゲリラ組織に生きる少年少女たちの物語。と書くと、かなりシビアな作風のように聞こえそうだが、その実、本作はディテールを削ぎ落とし、冒頭から我々を幻想的な”状況”へといざなう。どこか文明を否定したかのような人気のない高地で、駆け足、整列などの規律訓練を受けつつ、緊張から解放されると途端に無邪気な表情をあらわにする彼ら。その任務は、人質を見張ること。後の細かいことは、彼らが何者で、どこから来たのかも何一つわからない。そんな中で不測の事態が重なり、運命は彼らを予期せぬところへと押し流していく。終始、動物の鳴き声のごとき音色が耳を支配し、「2001年宇宙の旅」の猿たちや「地獄の黙示録」や「蝿の王」を思わせる”物語を超えた深淵”に暗闇から見張られているかのよう。もしくは人間であるのをやめ、猿へと進化を遂げようとする子らの物語なのだろうか。その不気味さと底知れなさが観る者を虜にしてやまない。
体感するサバイバルドラマ
コロンビアのジャングル深くに潜入し、コミュニティを形成している若いゲリラたちが、密林の中で常軌を逸し、次第に野獣化していく。実際に南米コロンビアで半世紀以上続いた内戦を背景にしているという。閉ざされた空間に閉じ込められた子供たちのサバイバルという意味では、他でも指摘されているように、太平洋上の孤島に漂着した少年たちの豹変ぶりを描いた『蠅の王』('63、'90)の系譜に属する作品なのかもしれない。
しかし、『MONOS』の舞台はゴツゴツとした岩山がある山岳地帯と、主な背景になるジャングルだ。物語の設定とは裏腹に美しく濃厚な緑に覆われた世界は、見るからにじめじめしていて、あちこちでアブのようなものが飛び交っている。場所によってはビニールを頭から被らないと寝られない。そこを絶妙なサウンドエフェクトがカバーしていく。夜のしじまから聞こえてくる虫の音、木の葉を揺らす風、川のせせらぎと水中で水が渦巻く音etc。また、ティンパニーやガラス瓶に息を吹き込む音を合成したという"映画音楽"が、それら効果音と見事に一体化して、観客をジャングルのど真ん中へ引き込んでいく。
戦争の残酷を少年たちの肉体で表現した本作は、衝撃的な映像と音によって脳裏に焼き付く、体感するサバイバルドラマだ。
天空
監督の次回作が待たれる
ヘルツォークの新作かよ!
【隔絶した戦場で、次々に起こる出来事に、心揺らいでいく若年兵たちの姿を、密林、川、大地の美しき背景の元、緊張感漲る映像で描き出した作品。圧倒的なカメラワークに魅入られた作品でもある。】
ー アレハンドロ・ランデス監督は、エクアドル人の父と、コロンビア人の母を持つ。
という事で、勝手に劇中描かれる場所はコロンビアの何処か。
描かれている戦いを”コロンビア内戦”だろうと、勝手に決めて鑑賞。-
◆感想<Caution !内容に触れています。>
・どことも知れぬ、密林を眼下にした大地で、ウルフ、ランボー等とお互い呼び合う若年兵たち。
稚気が抜けない表情の彼らが、”組織”の男が持ってきた乳牛を誤って撃ち殺してしまう所から、彼らの生活は狂い始める。
隊長は責任を取って自殺し、新たな隊長が任命される。
更に、米国人の博士を人質にした、彼らのアジトに降り注ぐ爆弾。
彼らは、アジトから脱出を始めるが・・。
- 最初は、若年兵たちは楽しそうだが、徐々に状況が過酷になって行く様。
博士を逃がしてしまった事で、訪れる”組織”との亀裂。
そして、仲間の死・・。-
<異様な雰囲気が、終始漂う作品である。
戦争映画でもあるし、若者達が厳しき現実に向き合う過程を描いた映画でもある。
圧倒的なのは、カメラワークである。
水中で、アメリカ人博士が女性兵士を自らが繋がれていた鎖で殺害するシーンを筆頭に、
”ここはどこなんだろう・・”と言うシーンが続く。
最後、米軍に捕らえられた少年兵の涙は、何を意味しているのだろうか・・。
ゲリラ組織に良いように使われ、死んでいった仲間を想っての涙、そして自分自身への後悔の涙なのだろう、と勝手に解釈した作品である。>
<2022年1月9日 刈谷日劇にて鑑賞>
観たこともない…
(原題) Monos
人間の剥き出し、丸出し。
予告編見て興味津々だった作品をようやく鑑賞。
なんというんでしょう?
なんだろー?何を描きたいのかなぁ?って
思いながらも一気に観せられた気がする一本でした。
何かがほとばしってるんだよなぁ、画面全体に。
設定としての舞台や背景があって、そこに描かれるのは
人間の本質・・・獣のような本質に他ならない。
「猿」と呼ばれたゲリラの存在に投影し、それを描いたのかな?
なんて気がします。
グループの維持する、保身に走る、そのために個を
蔑ろにする、尊重しない。リーダーの暴走、メンバーの
反旗・・・・・まんまです。人間社会、組織社会、「そのまんま」
です。
客観的に映像作品として見ると・・まぁ人間ってくだらない
生き物だなぁと改めて再認識です。
それらをイキイキかつ妙に生々しい映像で「ドロッ」と
目の前に差し出されたような気がします。
あぁ、だから目が離せなかったのかな。
撮影はほぼ演者が全部演じているのでしょう。
特に濁流で流されていくシーンは、、、結構びっくりです。
また観たいとはなかなか思えないけど、いやいやかなり
お腹いっぱいになる、でも疾走感ある作品でした。
良作ではないでしょうか?
意外にエンターテイメント作品
退屈。
映像と音の力は物凄い。のだが…
とにかく映像と音の重層的なイメージが発するストロングな世界観は物凄い。
タフな役者たちの演技も本物のゲリラにしか見えず、まさに命懸け。
しかしストーリーには奥行きが無いのが何とも残念。
あの役者たちとだったら、もっと「闇の奥」まで行けたと思う。
ガルシア・マルケス的な展開も期待していたのだが…
たぶんマジックリアリズムな世界を構築したかったはずだが、そういう点でも、ちょっと物足りなかった。
そう!敢えて一言で言えば「マジック」が足りなかったのだ。
マジックを作ろうとしているのは分かるのだが、結果、最後までスクリーンに、そのマジックは現れては来なかった。
あの強力なミカ・レヴィ作曲のサウンドトラックとの相乗効果によって、現れて来ても良かったはずなのだが…
まあ、映画で魔術を実現すること自体、過去を振り返ってみても、フェリーニ など限られた作家だけの特別な才能とも言えるので、それを要求するのも酷な話なのかもしれないが…
でもなあ、あの役者たちと、あの映像と、あのサウンドトラック…
う〜ん、やっぱり期待しちゃうよな。
特にジャングルの場面では、もっと地獄の泥沼のような狂気のカオスと化した、混沌とした殺し合いでもあるかと思っていたのだが…
やっぱり戦闘の現場は、銃はもっと派手に激しくブッ放さないと!物足りんわ!
海外のレビューでは『地獄の黙示録』級なんてのもあったようが、アレには遠く及ばない。まあ予算の規模自体が違うのだが…
映像と音の構築力が桁外れにズバ抜けていただけに、ちょっとばかり残念な作品ではあった。
まだ3作目だし、次回に期待しよう!
う〜んとしか言いようがない。
地獄の黙示録オマージュ
過酷で苛烈な感じが出まくってます
【示唆するもの】
重油を塗りたくったような表情は、「地獄の黙示録」を彷彿とさせる。
「蠅の王」や「闇の奥」を思い出すというという人もいて、確かに、「地獄の黙示録」は「闇の奥」にインスパイアされた作品だったことを思い出した。
(以下ネタバレ)
作品の登場人物たち、8人の少年少女の兵士と人質のアメリカ人女性ドクターは、二つの場所を移動するが、スペイン語と、高地とジャングルから考えると、南米アンデス山脈とアマゾンのジャングルを抱える国なのだと想像できる。
人質を監視しながら規律を求められるなか、少年少女の兵士には自由恋愛などなく、セックスにもメッセンジャーと呼ばれる上官の許可が必要と思われる場面がある。
下の兵士の誤射で死んでしまった乳牛と、責任の重さに苛まれて自殺するリーダー。
セックスどころか上官の前での発言にも許可が必要な規律とは、こういうものなのだろうか。
責任感に乏しい下の兵士。規律も実は一時的に順守しているだけという意識なのだ。
リーダー不在のなかでもともとあった規律は乱れていき、新たなリーダーは独自の解釈で、別の規律を構築していく。
告げ口は許さない。
脱走もご法度。
人質の脱走で、一気に乱れ始める規律は、なりたてのリーダーのやり方への不満にもつながり、告げ口や脱走も誘発し、悲劇への道を辿るのだ。
この作品では、少年少女の兵士を主要な登場人物としているが、十分な教育を受けず、兵士としての訓練や規律重視の生活だけを経ているのであれば、大人になっても、この子供たちのように短絡的で、普遍的な価値など見出すことなく、場当たり的な行動をとるだけなのではないのかと考えさせられる。
実は、一時的に大規模な集団を構成しても、ちょっとしたことをきっかけに分裂・対立するゲリラやテロ組織、そのものを見せているのではないのか。
少年少女兵が実際の問題であることは間違いないが、少年少女兵は象徴的に使われたメタファーのようなものではないかと思ったりした。
国際社会は、こうした人ともやり取りしなくてはならないのだ。
結構、見入ってしまう作品だった。
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