「終盤に語りすぎなければベスト級になれたかもしれない」はるヲうるひと つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
終盤に語りすぎなければベスト級になれたかもしれない
佐藤二朗演じる哲雄が登場してから序盤はこの人が本当に嫌いだった。人の心のない酷い奴だったからだ。
しかし物語が進んでいくと次第に哲雄に同情し始めてしまった。
彼の行為に擁護できるところはないけれど、哲雄が抱える辛さが分かってきたからだ。
哲雄はしきりに話す。虚だと。虚が口から出れば嘘だと。
哲雄が言う虚、嘘とは自分のことなのだ。
かげろうの面々は「愛」とか発音できる口になっていないなどと言うが、哲雄の目には全く違うものに写る。自分は愛なく生まれた存在なのに対して、他の者は愛によって生まれたのだと。
自分の存在が最初から否定されている感覚が嫉妬や憎悪に代わり他者に向けられる。
哲雄は「お前らハナクソだ」と罵るが、哲雄が本当に思うハナクソは自分なのだ。
その想いが自分に対する全否定に繋がる。普通の家庭を築いてもそれを素直に受け入れることも出来ない。
かなり面白いし、なかなかいい話してるなと関心し哲雄に対して同情的になったタイミング、かげろうに主要キャラクターが勢ぞろいして怒鳴り合うところで、哲雄が急に雄弁になってしまう。
語りすぎないことで良かったのに説明調になっちまったなと残念に感じたが、ちょっとレビューを読むに、それでも分からない人がいるのかと更に残念に思った。
テレビドラマやテレビアニメの場合、ほぼ100%言葉で語ってくれる。そうしないと観ている層が理解出来ないからだ。
それが映画になるとどこまで語るかはそれなりに重要になる。語らないこと(観ている側に気付かせること)で面白さを創出するが、語りが少ないと理解が遠のく。国際映画祭などの受賞作が「わけわからん」と言われてしまうのはこのせいだ。
本作の場合、作品の内容や雰囲気から考えるに、なるべく語らないほうが断然良かった。どうせ語っても理解出来ない人には理解出来ないのだから。
メガネの人の「ハルヲうるひとやってます」で物語は閉じる。
哲雄は自分が愛なく生まれた故に価値のない存在だと感じているが、自分の価値は自分で自分を認めるだけで生み出せる。
つまり、どうして生まれたかとか何をしているかとか、そんなことはどうでもいいのだ。自分が自分として胸を張ればそれだけでいい。
久しぶりに仲里依紗を見たけれど、生の抜けた感じがすごく良かったね。迫力のある抜け殻という矛盾しそうな状態を両立させてしまう見事さ。
家庭のことが落ち着いたならまたたくさん映画に出てほしいなと思う。
山田孝之と仲里依紗だけでも観て損はないくらい良かったね。