「めちゃくちゃライトなミステリーでした。 ※ネタバレは纏めて最下部」ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密 alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
めちゃくちゃライトなミステリーでした。 ※ネタバレは纏めて最下部
多分、この作品に興味持つ人の多くは「アガサ・クリスティに捧げる傑作ミステリー!」的なCMを見て期待したのでは。
結論から言うと、ミステリーを期待して観ると肩透かしかなと。アメリカで絶賛されたミステリーと聞いてワクテカ過ぎて禿げ散らかってたんですが、謎解き得意ってわけでもない自分でも、個人的にはそんな大した謎解きではなかったような。
じゃ何がそんなに評価されたかというと、ひとえに「移民問題と差別」をテーマとしてブチ込んだ皮肉の効いたストーリーをコミカルに纏めたからではないでしょうか。
多分移民や差別に関心がない人でも、にこやかな会話の中に棘を感じると思います。序盤からナチュラルにその「棘」を出してくるのが本作の自己紹介のようで、とても良い。
実は重たく悲しいテーマですが、コミカルでライトな作りのため、2時間なのにサクッと観られました。見終わった時「もっと長くて良いから丁寧に人物描写してほしかったなー」と思いながら時計見たら2時間以上経ってて目が吹き飛びました。
要注意シーンは盛大にゲロが出てくるのと、蜘蛛が1匹出てくる、オ〇ニーという単語が出てくる程度。
あらすじ:
ミステリー作家ハーランの85歳の誕生日を家族で祝った翌朝、ハーランは遺体で発見され、何者かに雇われたという私立探偵のブランと警察が聴取にやってくる。ハーランの専属看護師で移民のマルタは、ハーランの家族からも真面目でよく働く家族同然の女性と言われ可愛がられていたが、家族間のいさかいや相続の話になるにつれ、家族の本性が剥き出しになっていき…
"Knives Out"は「ナイフを突き付け合った状態」のような意味で、本気で罵り合う、攻撃し合う緊迫した状態を表すようですが、まさしくこの家族を表しています。ハーランの家にはナイフが大量に刺さったオブジェが置いてあり、海外版DVDジャケ写にもなっているのですが、それがストーリーの中で一つの意味を持っていることもあり、センスの良いタイトルだなと感じました。
上に書いた通り「アガサに捧ぐ」とのことで、大元のアガサミステリーはどんなんかというと、謎解きは意外と「な~んだ」って程度だったりするそうで、とにかく人間ドラマが緻密に描かれているそう。それなら本作の「な~んだ」なアッサリ感は「アガサに捧ぐ」と言われても納得できなくもない。
でも、あくまで「アガサ・クリスティーレベルの傑作」というよりは「アガサ・クリスティーに憧れてファンが模した『っぽい』作品」という雰囲気は否めません。アガサミステリーを狙ったにしては、人間ドラマが薄っぺらい。これは監督や脚本のせいというより、元々ミステリーは登場人物が多いことが多く、小説より映画の方が薄っぺらくなりがちなのもあると思います。映画だと1人1人きちんと描いたら何時間かかるんですか?って話で。
本作も1人1人のキャラはそこまで立っていません。で、中盤までいっても埋もれてるキャラの中から急に犯人が出てくることはないだろうから、じゃあキャラ立ってる奴らの中で犯人になりそうなのは…と考えると、大体わかってしまう。
上にアガサ・クリスティの作品は、謎解き自体は大したことない(ネタばらし後「そうだったのかー!」ではなく「なーんだ」となるタイプのやつ)ものが多いらしいと書きましたが、そう考えると本作は、謎解きも大したことない、人間ドラマもちょっと薄い、だからライトな作品と感じたのかも。
とはいえ、良い感じにコメディタッチでスピード感はないなりにテンポ良く進展はあるので、飽きた、まだ終わらんのか、ということはないんですが。
自分の中では、一言で言うと出来すぎているというか、完璧に整え過ぎたのではというのが見終わってすぐの感想でした。舞台脚本っぽいというか。とにかく無駄な台詞やシーンがなさすぎて、ミステリーにしてはヒントが多すぎるんですよね。意味のある台詞は最初から意味深に言ってくれ、重要アイテムも最初から意味深に置いてあるので「あ、ハイハイ」みたいな、テスト後の自己採点の空気感。
個人的には、何気なく言ってた台詞が後になって「そんな意味だったのか(゚д゚)!!!」とか、一見別の意味で言った言葉や日常の中の何気ない一言が実は…!!とかが好きなので、ここが最も肩透かしでした。日常会話(に聞こえる自然なやり取り)がもっとあっても良かったんじゃないかなと。キャラの設定をただちょっとした演技で自己紹介されただけのような気になってしまうのは何故なのか…何気ない会話で全体の人間関係を深堀りしてほしかった。
それがないと謎の大したことなさが目立つのか、俳優が豪華じゃなかったらTVドラマくらいのライトなクオリティだな、と鑑賞後ちょっと昔の火曜サスペンスを思い出した人もいる…
……
…いないか。流石に。
火曜サスペンスも昔はなかなか良い出来だったんですよ。
キャラは、長女夫婦のリンダとリチャードが不動産業、その子供は無職で働く気もゼロで金遣いだけは荒い放蕩息子ランサム、長男(故人)の妻はインフルエンサー、娘のメグは大学生で、マルタとは歳も近く仲良し。次男のウォルターはハーランの出版社のCEO、その息子ジェイコブはネット世代の今時少年。他にハーランの母ワネッタ、家政婦フラン、ハーランの専属看護師マルタ。
マルタは移民で、看護師協会を経ずに直接ハーランに話し相手として雇われ毎晩モルヒネや鎮痛剤を注射する専属看護師。
演技は、個人的に主演のダニエル・クレイグは今回あまり良くなかった感じがしました。わざとらしく、浮いてるように感じました。コメディだから別に良いのか。ゴールデングローブ賞で主演の2人ダニエルとアナ・デ・アルマスは賞獲ってますし、こんなとこで素人がガタガタ言ったところでしゃーないんですが、ダニエルはこの演技で獲れるならもっと他の作品で獲れたんじゃないかと…(失礼な)
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以下
ゴリゴリの
ネタバレ
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全体の人間関係を深堀りしてほしいと書きましたが、主人公?のマルタと犯人の周辺だけは割と詳しめに描かれているので、余計に容疑者が際立ってしまい気になりました。
ただ、本当に移民問題・差別についてがメインテーマなのであれば、もう犯人が序盤でわかっちゃうとか何とかどうでも良かったのかなと思ったり。何で「アガサ・クリスティに捧ぐ」だったのか気になってたんですが、監督はミステリーそのものも勿論好きなんでしょうが、恐らくアガサの、社会の底の方に横たわっている根深い問題とそれに翻弄される人間の心情をつぶさに描く手腕に惚れていたのかなぁと(アガサ詳しくないので頓珍漢だったら申し訳ないんですが)。そういう作品にしたかったのであれば、良かった…のか…?
上にも少し書きましたが、マルタの紹介をする時ほぼ必ず「移民」「〇〇から来た」「〇〇人」みたいな言葉が入る、しかもそれが人によって違っている。要するに「余所者であること」は強調するのに、その人のアイデンティティである「どこの国か」を覚える気はサラサラない。
作中でマルタはハーランの家族に「家族のように思っている」と何度も言われますが、特に仲の良かったメグは、相続の話の後にマルタに「うちの金だから返すべき」と電話してきます。視聴者には、実は家族に圧力を掛けられているメグの姿が映り、ここで一見「仕方なかった」ように見せています。メグも板挟みだったのだろう…と。
しかし、自分が前にマルタに言ったのと同じ台詞「心配しなくていい、私を頼って」をマルタから言われた途端電話を切ったことからも、「自分達から『奪った』金を手にした途端『上から目線で』『施しを与える』と言われた」ように感じ、不快に思ったんじゃないかと思います。
これが「要望が通らないとわかったから途中で切っただけ」としても、その後、マルタの家族は不法移民だと家族に話してしまう。マルタが信用したハーランとメグだけに話した情報なのに、わざわざマルタが追い詰められている状況で、自分が黙っていれば知られなかったはずの友人の秘密を、友人を脅かす相手に話したわけです。
メグは終始マルタに対し友人として親切に振舞っているように見えますが、実際には他の家族と変わらないということがわかります。
また、中盤に移民のことで長女の夫と次男が言い争いになりますが、ここで「アメリカはアメリカ人のための国だー!」と主張。
そして終盤、めちゃくちゃブラックジョークですが、ランサムの「代々続く由緒正しきこの豪邸をお前みたいな移民に誰が渡すか!」という台詞に対し、ブランが「ブワハハハwww お前のじいさんがパキスタン人から買った家だぞwww」と超ド級の煽りを入れてくる。
作中通して言われているのは、移民に対して、あるいは黒人に対して(ランサムが南部南部言ってる刑事)、表向き「差別反対!」「自分と違う人種の人にも理解あります」「移民とも平等にオトモダチやってます」風を装ってる人達も、一皮剥けばこうだろ、という嫌味なんではないかなと思います。
「移民に親切にしてあげる自分」「移民とオトモダチになってあげてる自分」に酔ってるだけで、本当に理解しようとも受け入れようともしていない、実際お前ら当然のように世話になった他人を押しのけて生きてる自覚すらねーだろ、とこのライトな空気感の中で叩きつけてくるわけです。この尖がった作風がアメリカでウケたんじゃないかなと。
メグが「『奪った』金を手にした途端『上から目線で』『施しを与える』と言われた」ように感じたのではと書きましたが、これと「アメリカはアメリカ人の国」、「代々続く家」に対し「少し前に買っただけ」という台詞を合わせると、「結局デカい面して自分達が住んでるこの国は他人(ネイティブアメリカン)から奪った土地だろ」という嫌味と共に、奪った相手(ネイティブアメリカン)に対し上から目線で「施しを与えた」気になって自己陶酔している成功者(主に白人)への痛烈な批判であり、更に「自分が奪った物は平然と『自分の物』と言い張るくせに、自分が奪われた物を『他人の物になった』とは絶対に認めない」人々の矛盾を遺産相続のシーンで表しているのでは。
「遺産相続でモメる」はミステリーでありふれた展開ですが、よくよく考えると「ああ、よくあるアレ」では済まないのが面白い。
ラストにマルタが豪邸の2階から家族全員を見下ろしているのも、結局所有者なんてものは時と共に変わるもので、マルタを見上げる家族の中に友人であったはずのメグが含まれているのも、本物の友人ではなかったことの象徴なんでしょう。
また、気になったのがランサムの「碁で勝てるのは俺だけだと思ってた」「特別な絆がなくなった」という台詞。この言葉が本気なら、(勿論金も欲しいんだろうけど)ハーランがマルタを可愛がってることを知り自分を見捨てたと思ったのかなーとも考えられて、ちょっと悲しい。自分だけが対等に話せ、遊びの相手も自分だけが対等にできたのに、と。
もし本気で特別な絆があったと思っていたなら、ハーランが支援を打ち切るのは愛故なのに、自分にくれていた支援をマルタに変えた=特別な絆(愛情)をマルタに奪われたと勘違いしたことによって、ランサムは唯一の理解者を失ったことになる。
ギャグシーンも結構あり、マルタから事実を聞いた後のランサムの沈黙、実は薬瓶を入れ替えといたのに逆に打ったと暴露されて「…えっ…?」ってなってた間なんですよね、あれ。「え?俺が逆にしといたのに更に逆に打ったの???」という困惑を想像すると何かジワジワ笑える。
マルタを刺すシーンも、視聴者はハーランの言葉から、ランサムが取ったナイフは偽物と予想がつくし、面白い感じにしないとと思ったのか、緊迫した空気だけ残してカッシャカッシャ刺し直す仕草が…笑
ランサムが、解説ではゴミクズなんだけど、ちょいアホで愛嬌がありすぎるんだよな…クリス・エヴァンス、悪役向いてなくないか?いや、下手とかじゃなくて。
『コラテラル』の時も書いたけど、やっぱ演技上手くても元の自分と余りにもかけ離れた役はできないと思う。持ってない物は出せないよな。