「祖国を去った者、文化を背負い旅をする。」フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊 デッカー丼さんの映画レビュー(感想・評価)
祖国を去った者、文化を背負い旅をする。
本作はまるでマガジンのページをめくってみていくかのような、
多くの要素とイデオロギー、大量の情報のごった煮を
ものすごいスピードで浴びせられていく映画である。
初見で感じられるのはまずヨーロピアン主義のウェス監督が
前作グランドブダペストホテルの東欧ヨーロッパから
ついに本丸フランスに侵攻したという事、
そして今まで小出しにしてきたやりたいことをすべて凝縮して詰め込んだ
ということが分かる。
その情報量とスピードからなんかよくわからんという評価を下しがちだが、
過去作から一貫して同じテーマが本作にもある。
それは故国(ホーム)を去って文化を背負った人々の話である事。
かくいうウェス監督もテキサス州ヒューストンの生まれでありながら
ヨーロッパの古き良き姿を一貫して描いてきた。
本作は実在する週刊誌ニューヨーカーをモデルにフレンチディスパッチ誌の最終号を映像化したという作品であるが、
文化の担い手がそれを発信し残していく美しさを、ウェス監督が思う存分描いたと言えるだろう。
例えば美術のページの看守シモーヌは移民であることや、ジェフリー・ライトが演じる美食のページのジェフリーライトがふと語る美食をなぜ取り扱うかという点、最後警察署長お抱えの料理人ネスカフィエが大根の毒にやられ死にかけた際に語る言葉、またビルマーレイ演じる編集長もいち早く故国を去っておる点など、アイデンティティのありどころについてを中心に置いている。
グランドブダペストホテルの主人公2人も祖国を去った(追われた)二人だった。
おそらくウェス監督自身がテキサスという土地に、自分の感覚と合わない場所だと感じていたのではと思う。アメリカ南部に位置し、差別が色濃く残り、男臭くカウボーイ色が強い州であるので、ヨーロピアンテイストとは程遠い。
内容。
冒頭述べた通り本作は週刊誌ニューヨーカーをモデルにしたフレンチディスパッチ誌の最終号として描かれる。
内容はオーウェンウィルソンの導入、美術、学生運動、美食で構成される。
マガジンのような作りであるからか、カラー/白黒や画角、アニメーションが人々の感情や場面に応じて切り替わる。
以下各ページを深読み。
・オーウェンウィルソンの導入
フランスの架空の町アンニュイ=シュール=ブラゼを過去と現在で見せたり社会問題を包み隠さず述べる。過去も今もあまり変わっておらず、悪い部分が印象的である。
(文明が進化しても世界が良くなっていないことのメッセージしている?)
・美術
凶悪犯にして天才画家のモーゼス・ローゼンターラーと、看守にして画家のミューズのシモーヌの話。ジャン・ルノワール監督『素晴らしき放浪者』(1932)をモデルにしているページだが、デルトロは画商から無理やり商業の為の絵を描かされ、最終的に刑務所の壁に10枚の絵を完成させる。昨今ブロックチェーンをベースにしたNFTアートやインスタグラム等デジタル上に存在する写真やアート、サブスクリプションに代表されるデジタル上の音楽サービス等実体のないアートの媒体の変化を揶揄しているように感じられた。
・学生運動
シャラメ演じる学生運動のリーダー、フランシスマクドーナンド演じる中立の記者のフランス五月革命の話。学生運動そのものは何を皆争っているのか本質は深く述べられていないが、若者がエネルギッシュに戦っている。(実際はベトナム戦争を発端とした大学教育改革に対する大規模な抗議活動)
議論の為に議論をするというセリフがあるように、我々がコロナ渦で出来ていた対面で熱く何かを語り合い議論するという事のすばらしさがあると思う。
またマクドーナンド演じる独身女性が仕事に生きる事を良い事として述べている点は女性のこれからのベーシックとして強調していると言える。
・美食
ジェフリーライト演じる警官兼貴社がリス料理家ネスカフィエを取材しようとすると所長の息子が誘拐される話。
人種差別問題は各国でいまだに残る問題としてあり、外国人は現地人の何倍も努力してその地位を手にするという事を述べている。なぜ体を張って毒を食べたのかという問いに対し、ネスカフィエが「失望されたくなかった」と答えるのが強く悲しいメッセージだった。
全編を通して感じられるのはバラバラのパーツ(人種、性別、年代)を一つにする、実体のあるマガジンを皆で議論しながら熱意をもって取り組むことのすばらしさ、そして昨今其れが薄れていってしまう嘆きをウェスアンダーソンは語っていたと感じられた。
見終わってから、レコード屋で友人とあれやこれやと語り合いながらジャケ買いをしたくなった。