「活字→映像という娯楽への移り変わり」フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊 imymayさんの映画レビュー(感想・評価)
活字→映像という娯楽への移り変わり
情報量の多いウェスアンダーソンの映画。字幕もはやいし、映像美に見惚れていると字幕を見逃してしまうから、一回見ただけでは理解しきれず、誤読をしていそうだけれども、
映画全体の構造が、フレンチディスパッチ誌の編集長の追悼号(最終号)を最初のページから最後のページまで、映像化したものになっている。
フレンチディスパッチ誌はおそらく普通の総合雑誌で、いたって真面目な記事の筈なのだけれども、死んだ編集長が書き手を甘やかしすぎて、元々個性派のライターたちがもう好き勝手にたのしく記事を書いていて、他の雑誌ではないような奇想天外な内容になっているのだと思われる、
活字というのは、読む人によって、多様な解釈や多様な想像(イメージ化)がなされるから、それが、ウェスの映画では、コラージュ風になったり、ストップモーションの映像になったり、アニメーションになったりするといったように表象されるのだと思う。
映画を見終わったあとに、ああそうだ、活字って、ほんとうはイメージが無限に広がるもので、読む人の数だけそれぞれのイメージが存在するんだった、ってなんだか感動してしまった。
現在はゲームの世界が3Dになったり、スマホで娯楽は事足りてしまうけれど、昔は、活字こそが、世界の人々を楽しませていたのだなと、改めて思う。だけれども、フレンチディスパッチ誌は、編集長の死とともに、廃刊になってしまう。活字を愛した人の死が、活字のおもしろさが廃れて、ほかの娯楽にすり替わっていくその様を表しているように思う。現に、この映画では、活字が「イメージという映像」で表現されているのだから。
ウェスの映画は、ひとつひとつのシーンをポスターにしてしまいたいくらい、ほんとうにかわいい、序盤のウェイターのところ、かわいい建物たち、色使い、料理のシーン、逃亡劇がアニメーションになるシーン。全て可愛いのに、あまあますぎないのは、わりとテーマに設定しているものたちが重かったりするから。バランスが絶妙なの。何度でも見たい、ウェスアンダーソンの作品でいちばん好きだと思った。
この映画は、ウェスアンダーソンかもしれない、ひとりの活字の読み手が、活字を読んだ時に引き起こしたイメージをそのまま映像にしようと試みた作品なのかもしれない。