「映画において「共感」が全てでは無い」街の上で まさくんさんの映画レビュー(感想・評価)
映画において「共感」が全てでは無い
評論家連中も絶賛しているこの映画だが
自分は冗長で退屈に感じた。
例えば絶賛されているイハの家のロングカットのシーンも確かにキャラクターはかわいいし、今泉監督の役者をキュートに見せる演出力もさすがと思うが、「こういうことってあるよね」という「あるある」の狙いがはっきりとわかって15秒くらいで退屈になる。
要は
「あるある」からの「共感」
「共感」を呼ぶための「自然な演技」
「自然な演技」とバランスを取るための「不自然なシーン」
と狙いが全て見え見えで分かりやすく、咀嚼はしやすいが、心を揺さぶられるようなものが何も無い。
この「共感」というものが現代を支配していて
「共感」出来るか否かが映画の善し悪しだと思っている人が多い。
そこの価値観に合わせて作られる映画も多い。
今泉監督や共同脚本の大橋裕之が客に日和ったのかというとそういうことでもないと思うが
これだけ客が書いた感想が手軽に見れる時代である。
それを意識せず無視して作るのは無理なのだ。
客の方はまるでSNSで「いいね」を押すように簡単に評価するのだから。
「共感」が重要視されるもう一つの理由としては映画や映像コンテンツが溢れていることに起因する。
NetflixやAmazonprimeはもちろんの事スポーツやアイドルやゲームだって劇場映画の敵である。
「敵」という言い方も適切では無いかもしれないが、要は時間の奪い合いをしている。
時間貧乏の客に「共感」をさせることで満足感を与えてあげる。
それが現代映画の手法だ。
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