「SEEDAファンからの視点」花と雨 FTWさんの映画レビュー(感想・評価)
SEEDAファンからの視点
まず日常的に映画の視聴習慣はなくレビューの書き方はおろか日本語の扱いさえままならない日本語ラップ(一部ラッパーは嫌うが便宜上の呼称)ファンからの多分に個人的見解を含んだ視点として了承を賜りたい。
おそらくSEEDAファンといっても年齢層は幅広くCONCRETE GREEN(SEEDA、DJ ISSO主宰のコンピシリーズ、以下、CCG)、SCARS(SEEDAも所属しているクルー)からのファンやKREVAの客演などでチャートに顔を出し始めたメジャー時代(インディーと行ったり来たりするが)、Youtube番組ニート東京で知った世代などそれぞれだろうと思う。
私自身は現在30代半ばで中学時代に日本語ラップの洗礼を受け、さんピン世代、nitro microphone undergroundからTHA BLUE HERB(以下、TBH)やshing02、MSCや降神といったラッパー達を好んで聴いていた。
「花と雨」のアルバムが発売された当時、日本語ラップは2000年を超えた辺りから目立ち始めたメジャーとアングラの二極化が進み冬の時代なんていう表現をされていたと記憶している。
SNSが浸透して容易に軽薄で稚拙な意見が目に写る時代ではなかったにも関わらず、にわかファン達にはバトルシーンが盛り上がっている今以上に風当たりが強く、テレビではセルアウトに走った聴くに耐えないポップスラッパー達がいっちょまえにヒップホップ気取りでででかい顔をしていたと思っていたらそれすらも落ち着きを見せ始めシーンには閉鎖的なムードが蔓延していた。“日本語ラップ村”という蔑称にも聞こえる言葉を認識したのもこの頃のように思う。
当時TBHの狂信者であった私自身もなんとなくその現状に冷めつつあり日本語ラップ全体からは距離を置いている時期であった。
SEEDAを認識したのは「花と雨」リリースからは少し時が経った頃に友人のカーステで聴かされたNOROKIYOの1stアルバム「EXIT」。初めはネイティブっぽい英語の発音やオーバーサイズのBBOYファッションが陰りを見せていた時代というのもありTBH信者の自分には違和感があった。当時は日本人ならば日本語でラップをしなければ本物ではないというような空気があったしストリートでは男性にもスキニーパンツが流行り出した頃だった気がする。
「EXIT」も「花と雨」に並ぶ言うまでもなく日本語ラップのクラシックであるだろうし名曲の数々はもちろん一曲目の“フリースタイルせがまれ イェーイェー連発 ネタしかできねぇメッキ野郎”のラインなんかは歌番組などの曲振りをステレオタイプなラッパー口調でフリースタイル風ネタを披露するラッパーがなんとなくダサいと思っていたことを代弁してくれた感があったし、それまではどこかまあまあ年上の大人の人達がやっている音楽という印象があった日本語ラップを1979師走生まれのNORIKIYOや1980練馬に生まれたSEEDAがやっていて、自分の年齢から言えば兄貴くらいの年頃ということもあって一気に身近な存在になった。
「花と雨」に出会ったのは「EXIT」の客演陣、曲中でシャウトされているラッパーの音源を片っ端から聴き集めようとした矢先のことであった。そして人生で5本の指に入るほど繰り返し聴き込んだアルバムになった。
適当にバイトして道端で遊ぶことを覚えながらも20代前半の漠然とした焦燥感の中にいた自分には殴られたような衝撃を受けたとともに人生観を変えられるほどに響いた。生々しいドラッグディールの描写や権力への不信感、金への執着心、月並みのボースティング(自分自身を誇示、自慢すること)に留まらない悲観的な状況からのポジティブな視点で描かれたパンチラインだらけのリリックや、それまで多くのラッパーが行なっていた“ストリート”に対するどこか抽象的な賞賛をせず“金とエロ”などのワードから聞こえる欲望にまみれた世界とそこにいる自身を見つめるストリート観、これこそがフロウだとでもいうようなラップスキル、思わず口ずさみたくなるフック(サビ)のかっこ良さ(サンプリングセンスも含め)にBach logic(以下、BL)の洗練されていてハイファイなトラックが合わさり両者のキャリアでベストワークといっても過言ではない。主にK DUB SHINEがつくっていたように感じる“英語使っちゃダメでしょ”の空気を一変し日本語ラップ史上に何度かあるシーンの流れを変えるエポックメイキングな1枚であることは間違いない。(実際にケーダブとSEEDAには確執が生まれた)
とにかくフィールする部分は違えど皆が曲名を見れば脳内でトラックが流れSEEDAが歌い出すことができるほどに大好きな大名盤であるということ。
ようやく映画のレビューに入る。
物語の進め方についてや映像の意味するところ、映画を撮影するうえでの定石なんかはこのレビューの冒頭通り何もわからない。子どもの頃に見たBACK TO THE FUTUREが唯一といっていい心に残る映画体験でMSC漢に言わせるところの“映画とか読書とかなんてどん臭い趣味はねえ”といった具合で女の子とのデートツールくらいにしか思っていない。
好きモノの皆さんには自伝映画ではなくあくまでも原案であるということを念頭に置いたほうがいい。
SEEDA本人のキャラクターはリアルタイムのリスナーにはよく知られていると思う。とにかくだらしなく半日の寝坊は当たり前、女と酒はあまりやらないが草とコカが好き、喋り下手で背が低い、浮き沈みが激しい性格。CPF(クラウドファンディング的にアーティストに出資した会員限定で音源の提供や限定ライブに参加できるサービス)で制作等に充てられるべき事前に集めた金でアメリカに遊びに行っちゃって約束してた音源が予定通り配信されなかったり、自分のリリパに本人が来なかったなんていうインタビューも見聞きした。これだけだとディスと捉えられなくもないがひとたびラップをやらせれば誰もが首を振り(縦にね)、スルーしようとしていたラッパーのアルバムにSEEDAのクレジットがあれば否が応にもチェックせざるを得なかったカリスマ性がある。
劇中では上記のダメな部分の描写はあまりない。実際はたぶんもっとクソ野郎であり“マーファカー!へけけ〜!”と笑うあのSEEDAは映像からは想像しにくい。ダメな自分を投影していたリスナー達には物足りないことになっているだろう。
CCGやSCARSが大好きだった連中は劇中の仲間達の描写も気になるところだと思う。熱心なファンには登場人物の名前を聞けば容易に想像できるものとなっている。I-DeAは相田、BESは別所など。BLの本名は知らないが麻生という役名で自分は名前から連想することはできなかったが見た目を寄せてきている(AKLOだったかSALUがデビューするときのインタビュー動画で出てきたくらいしか見たことないがあの感じ)。初見でBLが登場してきたというなんとなくわかったもののトラックメイカーの話題では“西のBL、東のI-DeA”とまで評されていたのだから関西イントネーションであればより登場シーンにインパクトが残せたのではないかと思う。(映画素人からしてもいきなりなにわ感が出るとブレるっていうのはわかっちゃいるが)
リスナーに馴染みの深い主要な仲間達はそれくらいでSCARSメンバー、SD JUNKSTAやCCGで絡みのあったラッパー達は出てこない。
アルバムを元にしているなら「ガキのたわ言」のレコーディング風景も知りたかったし、後に妻になるコーラスを担当したEmi Mariaがちょこっとだけ出てきてもいいし、仙人掌がラップ指導をしたのだから時系列はおかしいが「街風」収録の2人が共作した「山手通り」の冒頭にあるような先輩後輩の会話あるあるのようなユーモアある場面ももっと見たかった。
ただユーモアある場面がまったくないわけではなく「花と雨」のスキットが再現されている場面がある。実際の音源ではSEEDAとDJ ISSOが“最近さぁどやって金稼いでんの?”“いやぁバイトだよねぇ” “バイトだ?週いくつくらいやってんの?” “週…3日…くらい…” “3日だ?3日で実家じゃないべ?どやって食ってんの?それ家賃でとんでね?” “そー…だよねぇ…”の会話はイリーガルマネーで生計を立てていることを暗喩しているかのような勘ぐりを誘うし当時の自分が普段しているような内容や喋り方に親近感が湧くこのアルバムに欠かせないものである。
劇中では単純に再現度が低い。吉田はそこまで気にならないが会話相手が別所というBESであるし、何よりセリフの間が違う。DJ ISSOの自信なさげな発声と当面の生活をしのぐための大事な資金である日銭の管理をできないのか、しないのか、薬物でヨレてどうでもいいのか、でもなんか回ってるっちゃ回ってる自分でもよくわかってない状況がおもしろく感じたものだった。(彼はSEEDAののちのアルバムのスキットではバイトの状況がさほど変わらないのに車をゲットしている。)
冒頭の吉田がサイファーでラップを初めてする場面では相田が学校の先輩として登場するが実際のI-DeAはたしか青森出身でこの頃は出会ってないはずで、これはどういうことだ?と少し混乱してしまった。予備知識がない方にはスムーズに見れる場面なのかもしれない。
あと映画ってことで仕方ないだろうが登場人物がキレイ。この頃のアンダーグラウンドなラッパーなんてもっと小汚いし泥棒みたいなナリで出てきてほしい。
この手の映画でネックになるのは俳優がラップできんのか?という疑問。その点では主演の笠松くんのラップは指導の甲斐もあってか嫌悪感は湧かないし下手には聴こえない、ただ上手くはない。日本人でラップがうまいラッパーランキングがあるとすれば表彰台を争うであろうSEEDAのレベルを求めるのは酷なのはわかっている。BESだってそうだ。あの発声やフロウは簡単に真似できないからこそ価値がある。個人的にはトップ1,2はこの2人に決まっている。
だからこそあのスキットの再現の場面ではBESが相手だと素直に見れないし、思わず“水差すんじゃねーよ。そんなんじゃねーから”という悪態が頭をよぎった。
ここまで文句のようなことを連ねてしまったが感動の場面も多々あった。
映画館でビートが流れてきたときは素直にアガったし、街の情景を映す場面のピアノが効いたリミックスされたビートもかっこよかった。クラブの爆音とまではいかないがBGMの音量がもう少し大きくてもいい気がした。
姉の机で履歴書に経歴を書くと思いきや「Live and Learn」のリリックを書き始める場面は吉田の決意が感じられ熱くなったしラストシーンのライブで姉の姿が見えたときには感動した。
映像のどこがどう新しく古いか、かっこいいのか悪いのか細かいことはよくわからないしBACK TO THE FUTUREよりはおもしろくない。
しかし1800円の価値はある。
今でこそ社会への不信感や疎外感、焦燥感は薄れ自己肯定できているがあの頃感じた気持ちだけはまだ記憶として残っている。そこにはいつもSEEDAのラップがあったしあの大好きなアルバムの理解が深まるってだけでも見る理由には十分だ。