「映画の違い・面白さの違い?」完璧な他人 Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
映画の違い・面白さの違い?
かなり昔、月をボ~ッと見ていると隣にいた友人の一言。”あまり見つめすぎると頭がおかしくなるよ。”と...唐突に言われたことに腹が立つわけでもなく、天才的秀才的ともいえる彼の優しさから異邦人の自分に対してのアドバイス。今でも何かしら、彼の人格形成は何だったのか?を振り返りたくなる。
日本では、”中秋の名月”という言葉が示す通り、自然界を楽しむ風習が存在するけれども、西洋では異なる。古くから迷信的に言い伝えられている”月”を見る行為は、あまりよくないとされている。特に女性に対しては、何かが起こると’まことしやか’に言い伝えられているけれども、イタリアの映画とその映画を原作とする韓国映画とも、広いベランダから月食を見る設定になっている。そのパーティに集まった男女3組のパートナー同士と、何故か一人で訪れた男性に起こる痴話げんか的騒動の顛末を描いている物語になっている。
ある程度の年齢を超えると人に言えないことが多くなるのは、当たり前で、イタリア映画では描かれていない子供時代の様子をこの映画の製作者が、シナリオに付け加えたことで子供同士の時は、何でも言えた仲でも大人になればそうはいかないというメッセージを伝えたかったのかもしれないが、それをする事によって、話が道徳臭くなり、また説教がましくなり、しかも映画のシナリオを分断したようになって、ラストの寛容なオチを素直に受け入れられなくなってしまう恐れがある。イタリアの映画では、不倫なんて小さい事って.....馬鹿馬鹿しい。今が楽しければ~ッて。ラストのアッケラカ~ンと帰っていくシーンが理解不可能となってしまう。
少しきつい言い方かもしれないが、このシナリオは、日本を含めチョップスティックを使っているような東洋人では、ヒマラヤ山脈のように理解できない壁のようで男女間のいさかいまでもブッラクに表現できる精神構造をイタリア人が持っていると解釈しないなら、この映画のように、どうしようもなくて、あか抜けない場面と終わり方となってしまう。それというのも机を囲んで、マッコリを飲み、鍋をつついていては、話が泥くさくなり、ホークを使う文化にはかてません。原作のほうは、会話自体は、ゆっくり進んでいくようでも、シナリオ自体が会話だけでなく、場面のカット、カットの展開のスピーディーさによって、いかにもあれよあれよと進んでいっているのに対し、韓国語では、発音の独自性からなる強発音の為か会話の波に乗れない自分がいた。失礼韓国のみなさん。原作は、確かに面白い内容で、しかも多くの国がリメイクをし、その回数の多さから、ギネスブックに登録された映画であることを頭に置いていただければ、話が分かるかもしれない。作りやすい映画の内容、しかし、そこに落とし穴があるかもしれない。