「「汚い戦争」への悔恨と赦し」2人のローマ教皇 LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
「汚い戦争」への悔恨と赦し
アマプラ派で、Netflix未加入なので、映画館で観ました。
たまむすびの町山解説の通り、お爺ちゃん2人がイチャイチャするブロマンス要素も愉しいですが、やはり一番グッときたのは、ベルゴリオ枢機卿が語った悔恨でした。
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正直不勉強で、軍事政権下での圧政(汚い戦争)については無知でした。
Wikipediaで復習し、弾圧で国民の3万人近くが行方知らずになった事、弾圧に協力したとカトリック教会も批判された事を、確認しました。
ベルゴリオも同様の批判の対象に。
ただ、彼が弾圧に積極的に加担した事実はなく、独裁者に声をあげられなかった事情も、同情されてもいます。
白を黒に変えてしまう独裁者に、闇雲に立ち向かうのは、本当の勇気でしょうか。
そこで命を落としてしまっては、蛮勇にすぎないのでは。
表面上は従っても、命を無駄にせず、できる何かを模索すべきでは。
事実、映画でも語られたように、ベルゴリオが逃亡に協力し、救われた命も多い(ベルゴリオズ・リスト)。
それでも、貧困者を救おうとした仲間を庇えなかったのは事実。
飄々としていたベルゴリオ、悔恨に沈んだ表情が印象的。
ただ、その悔恨こそが、彼が人に耳を傾け、頑な心に(妥協ではない)変化をもたらしたのかもしれない。
だからこそ、神には赦しを与える包容力が必要なのでしょう。
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ベネディクト16世が語った"沈黙"は重い。
ただ、信仰がない無神論者にすれば、いない神に言葉を貰えないのは当たり前。
それでも、人生に迷った時、聖書や経典を絶対的正義として規範にできることは、時々羨ましく感じます。
神が自分を見ていると思うことで、自身の行動を律しやすいでしょう。
神との対話は、本来は内省であり、自分の心に育てた神への忖度。
だから、自分で答えを出すことを諦めて、存在するはずのない天の神を求めてしまうと、"沈黙"を感じてしまうのかもしれません。