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“「積みゲー」が単純に未クリアのゲームを指しているのに対して、「詰みゲー」は『クリアする意思と時間があってもクリアできない』という状況も含めたワードになっているのが大きな違い”とのこと。始めに本作タイトル通りだと、前者の意味合いなのだが、どうも印象としては後者の“手詰まり感”の方が後半支配的になるのではと思ったのだが…
40分という作品としては短編なのは、どうも10分の他作品を作っていたのだが、とある映画祭に於いて持ち時間が余ってしまう理由で今作品を作ったらしい。かなり実験色の強い、裏を返せば、観客には余り寄り添わない出来となっている。カタルシスが得られそうで、結局ラストのシークエンスは現実なのか夢オチなのか、それともループものなのか、解釈が分かれるモヤモヤ感が施されたオチだからだ。確かにこれでは、『世にも奇妙な物語』では採用ならないなぁと、尺だけの単純な発想である(苦笑
大胆且つ鮮明さとくどさが表現されていた音効、そのスクラッチ音や、人間の発する音等がクライマックスで一つのBGMとして編成されていく作りは興味深い。それと編集処理や早送り・巻き戻し・フラッシュetcの多用と、目まぐるしさの渦はトリップ感さえ感じさせる。そしてそのテーマは、“単なるパートナーの我慢できない所作”。メニエール病を匂わせる様なイメージも表現されているが、深掘りしていないのは、観客を納得させられる程の同情を、敢えてなのか尺的なのか表現されていないので、実はそのテーマ性も深読みする必要はないのではないだろうか。単にトリガーとしての様々な“気に障ること”の積み重ねで、最後は“詰む”。とはいえ、生活は続くのであって、そのストレスをどうやって解消したらよいのか、それを『王様の耳はロバの耳』の如く、木の洞に巨大な耳かきを突っ込むという、何かのメタファーを表現したという作りであろう。で、前述のように、ラストはまた普段通りに二人で生活。クライマックスシーンでの漫画チックな数々の特殊造形は、狂気と気持ち悪さをぶつけてきたのだが、これを表現する必然性をとやかく言っても仕方がない。なにせ監督は特殊メイクアップアーティストらしいので。いわゆるオカルト漫画やグロテスク系、いわゆる“リョナ”系の猟奇的エッセンスを実写化したらこうなったという内容なのではないだろうか。何せ、お互いのパートナーの気に入らないところを論う話はそれ以上でもそれ以下でもないしね・・・。