「やや設定の消化不足が目立つけど、ピクサーの新機軸を示した興味深い作品。」2分の1の魔法 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
やや設定の消化不足が目立つけど、ピクサーの新機軸を示した興味深い作品。
冒頭から展開する、テーブルトーク・ロールプレイング(TRPG)の世界観を明確に反映したちょっとレトロな世界観に、「制作者の趣味だろうか…」と思っていたら、実はダン・スキャンロン監督はTRPGであまり遊んだことがないとのこと。それもあってか、この独特の世界観、そして魅力的な登場人物や、父親が半身だけという奇抜な設定がやや生かし切れず、少し消化不良感が残ったのは事実。しかし本作の、ちょっと「大人な」クライマックスの描き方は、(確実に賛否両論あるだろうけど)ジョン・ラセター時代には決して実現しなかったであろう内容であるため、ピクサー作品の新機軸としてこれはありなんじゃないかと思いました。
ピクサー・アニメーション・スタジオ作品は、『トイ・ストーリー』シリーズが代表するように、「こんな世界があったら…」という、誰もが抱く空想を土台にした作品を作る一方で、『インサイド・ヘッド』のように、作り手側の個人的な思い出を色濃く反映した作品を作り出すという、かなり明確な方向性があります(もちろん、この二つの方向性は完全に分岐しているのではなく、かなり重なり合う領域があるわけですが)。
それを踏まえるなら本作は、後者の色合いの濃い作品であると言えます(ダン・スキャンロン監督の兄と、1歳で亡くなった父親の関係が本作の下敷きとなっている)。本作の際だった特徴は、最重要人物である「父」が、確かにそこにはいるものの、文字通り顔も手も身体もないという点です。つまり物語上の「父」を意味する要素が全て剥奪されているのです。この容姿も物語上の役割も半端な父の、完全な姿を復元したいと願う子供達の奮闘が物語の推進力となっています。
父親に関するこの設定は一見奇抜で、ビジュアル的にもぎょっとするものがありますが、それだけにここからどうやって楽しませてくれるんだろう、と期待させてもくれます。ただ残念ながら、父親の身体が半分しかない物語上の必然性が理解しづらく、それが鑑賞後の消化不良感に繋がってしまっています。
ジョン・ラセターがMetoo運動の盛り上がりの中で告発され、追放された後に、同じ会社が身体をぶった切られた男性の物語を製作する…、とは、相当皮肉な展開に見えますが、果たしてそこまで想定して制作したのかどうか(多分違う)。鑑賞後もいろいろと想像してしまう作品です。