HOKUSAIのレビュー・感想・評価
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物語に波はなかった。
冒頭1秒で「あ、地雷踏んだな」とわかった。
黒バックに白い文字で「徳川幕府の鎖国政策〜」と出たのだが今現在鎖国なんて言葉は教科書ですら消えているのに未だにそんな言葉を使って江戸時代がいかに閉鎖的で芸術家達に生き辛い時代だったかを表していて辟易した。
この映画は権力にも負けず絵を描き続けたHOKUSAIすげーーーーーーーという映画なんだなと一瞬にして悟った。
そして次の冒頭のシーンでその悟りは確信に変わる。
蔦屋の元にガサ入れのように役人どもが入ってきて作品を取り上げて往来の真ん中で焚書よろしく燃やすなんてどの世界線だよと。
おそらく情報統制が最も厳しかった昭和の戦中でもそんなことしないぞと。
たしかに江戸時代にはたびたび浮世絵や文学戯作を取り締まる法律が出た事例はあるものの一定の基準が存在していた。代表的なもので言えば「織豊時代以降の人物を実名で描(書)いてはならない」等々。
作中に出てくる歌麿の逮捕は上記の禁を犯し、豊臣秀吉を実名で描いたからだそうだ。
もちろん抜け道もあった。
歌舞伎なんかではよく使われていた手法だが時代設定や人物の名前を少し弄ってあくまでフィクションの態で出すのだ。
これ以上話が逸れるのはまずいのでここらにしておくが、決して幕府は手当たり次第に娯楽を潰していたわけではない。
それを単純に権力悪としてしか描かない脚本の腕のなさには呆れる他ない。
いや、大河ドラマほど時間がないのはわかるのだが、それにしたってもうちょっとあっただろと思う。
偽紫田舎源氏にしたってお咎めを受け作者が死んでしまったのは事実だが、決して「武士がくだらぬ作品を書くな」という理由でお咎めを受けたわけではない。実際には「主人公は時の将軍をモデルとしたものである」等々の噂が流れ、その噂を聞きつけた幕府の役人に問い詰められたそうだ。
このように映画を2時間に収めるために史実を悪い意味で単純化して曖昧なものにして登場人物の芸術家としての信念を描こうとしているのだが、余計わからなくなっている。
決して史実から変えるなとは言わない。
ただ、この改変は単純に面白くない。
物語自体も青年期、老年期通して平板で波がない。
さらにタチが悪いのは絵を描くシーンなどが冗長に描かれていて無駄に上映時間が130分もあるところ。
出ている役者さんは決して悪くないはずなのにそれぞれに与えられたキャラ付けが単純すぎて損をしている。
瀧本美織さんはなんのために出てきたんだ?
あんなに魅力的な演技をする方なのに物語にそんなに入ってきていないように思える。
後半娘が出てくるためのただの記号のような扱いは本当に気の毒だ。
老年期のクライマックスシーンで種彦が殺されるシーンはもはや爆笑ものだった。
本を書き続けますと言っただけで切腹も許されず討たれる??
これは別の世界線の江戸時代の話なんだろうか。
演技がスバラシイ
俳優さんたち、流石の演技力、存在感でした。
伝記ものとして観ると物足りない感があります。
そもそもかなりの部分がフィクションのようですね。
実際の作品に絡めたエピソードがもっとほしかったかなぁ
あと、北斎は旅をしてるイメージを持っていたのですが、旅のシーンはごく僅かでしたね。
その辺りの期待感が高かったのでちょっぴり
残念な面もありましたが、
とはいえ、観て良かったです。
フィクションヒューマン時代劇だと思って観ると楽しめると思います。
芸術家の熱量半端ない!
一番は、田中泯さんのスクリーン越しでも、火傷しそうなほどの熱量に圧倒されました。
芸術家って、北斎って、これほどの熱量を発散させたから、
世界に認められるほどの作品を生み出したんだ❗と、リアルに思えてしまえる。
そして、若かりし頃の柳楽さんは、内に秘めたマグマのような熱が感じられ、
まだまだだぜっ!オレは!!やったるぜっという意思が伝わってきました。
そして波の絵に出合ったときの自信に満ちた表情。
いやぁ~、このお二人の北斎が本当に素晴らしかったです。
二人のラストのコラボレーションもダンスのようで、圧巻でした。
今まで観たことない、たいへんオリジナリティ溢れる伝記映画で熱く深く感動いたしました。
壱の章で力尽きたか?脚本
壱の章は面白かった。
もう、完全なフィクションと割り切って、名優達の演技を楽しむ事に徹したからだ。
感覚的には、ウルトラマンAやタロウにウルトラ兄弟が勢揃いする話と一緒。
或いは、野球で言えばペナントレースではなくオールスター戦。
(ルネサンスと対比したいところではあるが、ボッティチェリ&ダヴィンチの庇護者は圧政の悪名高きボルジア家ではなくフィレンツェにて隆盛を極めたメディチ家だし、ラファエロ&ミケランジェロを支援したのはローマ教皇ユリウス2世だし。
本作冒頭から最後まで描かれる「権力(江戸幕府)による芸術の迫害」とは正反対だしな。
ダヴィンチ達とラファエロ達の間には30年もの開きがあるので彼らが一堂に会するとも考えにくい。
やっぱり歌麿・写楽・北斎・蔦屋揃い踏みシーンはせいぜいウルトラ兄弟だわ)
まぁ、これくらい割り切った姿勢で臨んだので、壱の章だけは楽しめた。とは言え、阿部くんの独壇場とも言える。玉木宏も良かったけど見せ場というほどのシーンが多くはないので演技力が勿体ないままに早々の退場と相成ってしまう。(主役は柳楽なのか?阿部くんなのか?(笑))
ピンチをチャンスと捉える強さ。惚れますね〜。男たるもの斯くあって欲しいものです。
北斎の絵を褒め、世界への夢を語り、今日は良い酒が飲めると言った次のシーンが葬儀という、このテンポは非常に好きです。
でもねー。こーゆー作風、若い頃に随分見かけたぞ?そう!プロではなくて高校・大学の文芸部や漫研が作成するような同人誌。
歴史考証も史実の研究もロクにせず、噂話レベルの伝承やら作品数点見ただけでイメージを勝手にでっち上げてストーリー創作しちゃうやつ。
弍の章はまったく不要だと思うし、歌麿の手鎖処分は「信長&秀吉以降の大政治家」を描く事が禁止だったのに大作の秀吉画を仕上げたからだからね?美人画や風俗画はそこまで弾圧してないよ。
滝沢馬琴から柳亭種彦に繋げる狙いみたいだけど、わざわざ章立てする程じゃない。
参の章、四の章。いきなり70代って唐突過ぎる。
歳の頃を言えば、大体、壱の章からおかしい。北斎のデビューは19歳。勝川派を破門されるのは、それから15年も過ぎた34歳。その時点ですでに狩野派も中国絵画も習得している。北斎の画号を使い出したのは45歳。
ついでに写楽は北斎の3歳下なだけ。写楽が描いたのは、北斎破門に重なる年の僅か10ヶ月のみ。
もう、時代考証、年代考証言い出すと壱の章そのものが「大嘘」なんですよね。北斎にか〜な〜り!失礼かも。(桜井 侑斗 風に読んでねw)
参・四は、田中泯の見事なまでの怪演で保っているだけ。田中泯、おそらく北斎が80代の時に描いた自画像をモチーフにしてるだろうなぁ。表情や雰囲気、間違いない(笑)
藍のシーンは演出過剰じゃないか?
元々、脚本がああなのだとしたら、田中泯にか〜な〜り!失礼じゃないか?
脚本&北斎の娘「お栄」役の河原れんって何者?と、思わず調べてしまったら、スターダストプロモーショングループ総帥の細野義朗の奥さんですってぇ?歳、30は離れてるよね?
なるほど、錚々たる名優達を容易に使える理由はこれか。
金も役者も思いのまま、若妻(40歳が若いかは知らんが)の希望なら好きに叶えてやる、ってとこなのかな?
そういう事なら言っちゃうけど、冒頭の焚書は「天保の改革」の時じゃないか!北斎が82歳の頃だよ?
飢饉で人が毎日200人近く死んでいくんだから贅沢禁止を訴えるのも当然。しかも絵師達は言う事聞きやしない。
もう少し制限緩やかだった寛政の改革時には歌麿も判じ絵使って平気で美人画描いたしね。(遊女や歌舞伎役者の絵じゃなければOKだったので、美人画に見せかけて暗号で遊女の名前を書いた)
天保なんて、絵師達は皮肉たっぷりの絵で規制回避するわ、お上に呼び出されも注意受けるだけかせいぜい罰金刑だよ。柳亭種彦は1番軽い譴責処分受けただけ。現在で言えば始末書提出程度。しかも、この時60歳。
脚本家は、水野忠邦に謝れ!
あまりに変なので、今ネット検索したら河原れん氏のHOKUSAI解説インタビュー見つけた。生首図が描かれたのは種彦が亡くなった年だから、種彦の首だろうと「作家として直感的に思った」って・・・。いや、種彦は24歳から60歳まで戯作者として一世風靡して、別に幕府も咎めていないし。
天保の大飢饉の時だけ、老中が「偐紫田舎源氏」の執筆をやめさせただけだし。
映画の他のエピソードも、すべてロクに調べもしないまま、「河原氏が「絵と浅い知識を自分勝手に結びつけて、憶測しただけ」の事ばかりじゃないか!
なんか、だんだん腹が立ってきたぞ?
それなのに、宣伝記事には
「歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。」
なぁにが「徹底的に調べ」だ!
いいかげんな仕事ぶりにも程があるわ。
弍の章以降、珍しく眠くなってしまった。(映画鑑賞中に眠くなる事は滅多にないのだが)
起きていられたのは、俳優陣の名演技のおかげに他ならない。
演技には星5をつけたいのだが、実に総合評価には迷う本作であった。
淡々と…
いわゆる物語が淡々と続きます。
途中、過度な演出が所々に入るものの、あの大作を書くきっかけの描かれ方が微妙…。
絵を描いているところを、どれだけ演出されても、嘘くさい感じがして…。
少し残念な感じがした。
どこか抜けが悪い北斎のような気がした。
もう随分昔に観た新藤兼人の「北斎漫画」の影響だと思うのだが、なんだか見心地の悪い映画だった。監督も役者も懸命になって演じるから窮屈な気持ちにさせられた。若かりし北斎の苛立ちは子犬のマスターベーションみたいだった。老齢の北斎はユーモアのない偏執病患者のようでサメ肌を隠す美人のようだった。唯一、感心させられたのは自然が北斎の苛立ちを諫めて絵師としての感覚を手に入れたところが見事に描かれていたところだ。人間の頭の中だけで緻密に作り出された"江戸"という都市では頭の感覚ばかりが鋭さを増すばかり。体の感覚は忘れ去られてしまう。
絵を描く人間にはとても生きずらい空間なのだろう。いまの東京となんら変化はなし・・・て、ところか?
キャスティングがよい、ひたすらに絵を描く北斎
腕は良いものの食うことすらままならない生活を送っていた北斎に、ある日、蔦屋重三郎が目を付ける。重三郎の後押しによって唯一無二の独創性を手に入れ、その才能を開花させる。そんな中、北斎の盟友で柳亭種彦が、幕府の禁に触れ討たれたという報せが入る。怒りに打ち震える北斎が描いた命がけの作品とは・・・?というストーリー。
全4章で柳楽優弥と田中泯が葛飾北斎を演じる。脇を固めるキャストも阿部寛、永山瑛太など主演級が集まり、しっかりと深みを増してくれる。田中泯の迫力は素晴らしい。
ただひたすらに描く、というところに北斎の本質があると感じさせられるほど、描いて描いて描きまくる。そこに北斎そのものがある、というメッセージだと自分は感じた。
時代に抗って自由なものを創り出すことの大切さは「ただ描く」北斎にぴったりのテーマだったと思う。
ただ、全4章は少し多かったかも。特に第一、ニ章はやや冗長な部分もある。柳楽優弥の演技は少しやり過ぎてると思う人もいるだろう。
細かい点がちょくちょく引っかかる。個人的に気になったのは柳亭種彦がやや若すぎる点。30-40代で出会ったとしても晩年の北斎と交流があったにしては永山瑛太は若すぎる。
冒頭町のど真ん中で本燃やすのは当時の江戸ではありえなさそうだし、青の絵の具をかぶったのもよくわからない。
ただ、シンプルながら北斎の絵に引っ張られて良い作品だったと思う。
北斎の過去
大衆娯楽に対する厳しい規制がある時代で、北斎の絵は歳を重ねるごとに影響力を増していく。全4章の編成は短編集のようにまとまっていて、北斎について初めて学ぶ人にとっては良い教材なのではと感じた。
日本クリエイティブの元祖?
あんまり評価伸びてないみたいだけど、
そもそも北斎(芸術全般)に興味があるかないかで得られるものに差がでるのかと。
私は趣味で絵を描いたり、
美術の歴史とか齧ってたりするクチではあるので、
北斎はじめとする江戸時代のクリエイターたちの変遷が、フィクションながらドラマチックに描かれており満足だった。
たしかにな~と共感することや、
そうくるか!!と感銘を受ける箇所もあり、
資料がないが故のシナリオが逆に新鮮で、想像を駆り立てられながら観れたので楽しかった。
特に「神奈川沖浪裏」が出来上がるまでのシーンは、
とてもウキウキした。浮世絵だけに
他にも「生首」誕生の由来や、
歌麿、写楽、TSUTAYAとの繋がりも「そお来るか~」て感じで、
名前と絵くらい知ってるかどうかで、このへんのポイントが変わってくるんじゃないかな。
(逆に詳し過ぎれば、史実とは違う!!とかの批判もあるかもなので、
私くらいのエセ芸術齧りミーハーくらいのが、
ちょうどウケがいいのかも)
不安な点を挙げるとしたら
少し冗長に感じる箇所が散見されたので、
見せ物としては
青年期老年期ともに10分ほど短縮しても
メリハリが効いて良かったかなとは思いました。
最後に“まとめ”っぽいこと書きます。
「描きたいものを描く」
「今だから見えるものがある」
北斎のメッセージは
現世のクリエイティビティにも通じ、
一石を投じているのではないでしょうか。
PS.パンフレットカッコ良すぎ
不自由な時こそ生まれる者がある
私ら世代はテレビで時代劇のドラマがまだまだ幅を利かせていた時代
家庭にテレビは1台、チャンネル権は父
だから多少也とも江戸時代は色々と決まりがあり庶民の生活は制限されていたことは分かります
庶民の楽しみもなかなか不自由な事が多かったのでしょう
やりたい事をやり描きたい物を書く、そんな事すらできない中で投獄されたり命を取られた者もいる
どれほどその時代を恨んだことかわかりません
でもね、私思うのです
そんな時代だったからこそ生まれた作品たちはその時代にしか出来ない物ばかりじゃたかったのかとね
手枷足枷があるからこそ才のある者は石に齧りついてでも何かを成し遂げんと物を作れたのではないのかなと
時代の波にもまれて底の方に沈む者もあったでしょう
そうな中でそれでも何かを成し遂げたいと強く思う者が洗い出されて原石は磨かれてきたんじゃないかってね
どこの国でもいつの時代でもそうなジレンマはあるでしょ
何もかもが自由にできる時代が来たとしたらその時にできる作品は意外につまらない物になっているかも知れません
親の出かけてるすきにこっそり食べるおやつにはスリルやリスクがスパイスになって普段食べるより格段に美味いものになっているはずです
例えが正しいかは別にしてとにかく制約があるからこそ人は試行錯誤し切磋琢磨して良い物を作ろうと骨身を削って生み出すのだと思います
邦画の新たな金字塔!
無駄に説明臭い上にその事に意味が無い。
シーンの始まりから演者が画角に収まってなかったり、少し動いただけで画面から外れるので無駄にカメラが動く。
意味が無さそうな場面で無駄にハンディーカムの様なブレブレの映像。
後半生きたであろう演出を無駄に多用した結果台無し。
何故そんな事をしたのか疑問しか残らない映像の数々。
映画を観終わった後に面白く無かったと思った事や千数百円を無駄にしたと思った事は何度も有ったけど。
ただただ、深いため息をついて映画館を後にしたのは初めてだと思う。
うーん監督が悪いのかな?俳優に気を使ってる?
青年期の柳楽優弥、晩年期の田中泯。
最初は面白かったが、正直観ていてどんどん飽きてくるというか詰まらなくなって終わりました。
面白かったのは柳楽優弥、阿部寛、玉木宏、写楽の4人が出揃う所。ここ話メインにして映画の7割に使っていいと思う。もう阿部寛の演技が完璧過ぎて主演です。
晩年期に田中泯、永山瑛太を起用しているので配分も多いが内容がいまいちです。
田中泯、永山瑛太を脇役に起用出来ないからこうなるのかな?
あと予告編の田中泯が風を浴びているカッコいいシーン。映画の中では、え?これだけ?っていうシーンでした。
期待以上
正直配役や事前のレビューとかではあまり期待はしてなかったが、これがどうしてよく描けている。唯一難点はチャプターを設けたことで、北斎の人生の説明のような感じが出てしまったこと。それ以外はキャラは立ってるし、配役もめちゃくちゃ合ってた。と言うより演出と配役の相性が良かったというべきか。写楽の描き方や北斎が波を一つの主要モチーフに選ぶプロセス、長野にお栄と旅する描き方もめちゃくちゃリアルで良かった。設楽と田中のシンクロ画像も一時のATGを思い出して監督の意気込みがよく伝わってきたし、柳亭種彦との関係や種彦の死に関する解釈、また歌麿、写楽、北斎を同時の画面に登場させて演出する場面はルネサンスのボッテチェルリ、ラファエロ、レオナルドが一堂に会する場面のようでもあって興奮を覚えた。映像も脚本も考証も配役も全てにおいてよくまとまったエンターテーメントであったと言ってよい。
部分的には魅力的、ストーリー全体は説明不足かな
美点はあれど、ストーリーが散漫で、伝えたかったことはわからなくもないのですが、映画にのめり込ませるほどの物語性がなかったように思いました。
また説明もかなり少なくて、しばらく見てから、辻本さん演じるこの人が曲亭馬琴か…と気がついたりしました。エピソードでヒントを出すんじゃなくてテロップで名前を出してくれって思いました。全体的に知ってたらわかる、知らない人は、知らなくても話はわかるはずなのでほっとく、という感じが多くて、中途半端に知っている人間からしたら、これは誰なんだ?と気になって途中で検索したくなりました。
冗長で、前半を見たところでまだ半分あるのかぁ〜と少しげんなりしました。
あと、出てきた割に全然回収しない出しっぱなしの演出も少し気になりました。最初に出てきた殴られて泣いていた子どもとかも全然回収しないし、玉木宏さん演じる喜多川歌麿が見せしめで捕まって50日くらい投獄されるとなったあとも、捕まりっぱなしで次のシーンに移行してしまい、大丈夫だったのかな、と心配になりました。
役者さんたちは豪華で、見応えがありました。阿部寛さんはやはりひきがあるなぁと改めて思いました。阿部寛さん演じる蔦屋さんで映画作った方がストーリーがわかりやすくて良かったのでは??とも思いました。またもちろん主演の方々もさすがでした。
またこの作品で良いと思ったのは好きなシーンがいっぱいあったことです。
好きなのは、蔦屋さんが北斎を上手にコントロールしていくシーン、性格の異なる北斎と馬琴が一緒の部屋で作品を作っているシーン、田中泯さん演じる北斎が、突風に煽られて慌てる人々を見てすごく楽しそうに目を見張って観察しているシーン、同じく田中さん演じる北斎が新しい顔料を手に入れ雨に打たれるシーン、そして最後に柳楽さん演じる北斎と田中さん演じる北斎が一緒に波の絵を描くシーンです。
演技や演出など部分的にはすごく良かったです。もっと北斎について知りたくなったのもあり、総合すると見て良かったなと思いました。
凄かった、、、表現出来ないほど生きる活力が入ってくる、、、
近くの映画館でやってなかったので
夫が会社を早引きしてまで
見に行った甲斐がありました、、、、
腰から前のめりになるほど
強く惹きつけられ
ある意味生まれ変わる活力をいただいてしまったほどにエネルギーに溢れていました
ほんとにたくさんの人に見ていただきたい
そんな映画です
ps
映画を見る前にレビューをいくつか読んだんですが
星3つとかの方も結構居られて
ほんとに人の感想はあてにならないなぁと思いました
見たいものはちゃんと自分で見に行かないといけないなと改めて思わされた作品です
☆☆☆☆☆
脚本家
久々に駄作がきました。前半も酷いですが、後半になるにつれ、呆れが怒りに変わってきました。
まず前提に役者は素晴らしかったです。柳楽さんの迫力、田中さんの迫力と目から伝わるものがひしひしと感じられました。阿部さんや、瑛太さん、玉木さんと出番が特別多くないながらも、強い印象を植え付けられる人物たちでした。史実とは違うなと思いながらも役者のパワーで何とかしてた感じです。ナンバーワンキャバ嬢の演技は大したことなかったですが。ただこの演技力というものが後々の怒りにつながってきます。
全4章仕立ての今作ですが、章ごとの終わりが唐突で、区切る意味が感じられませんでした。青年パートと老人パートですが、どちらも「波に」主軸を置いているので、それ以外の絵の魅力が感じられませんし、北斎もヤンチャにキレており、訳分からなかったです。確かに北斎という人物は富嶽三十六景のことしか詳しく知りませんでしたが、今作を見る前に少しだけ勉強してきたので、今作がいかに北斎の人生を改悪しているのかが分かりました。
終盤の種彦が死ぬシーンも完全なるフィクションですが、刀で斬るシーンがしょぼく、これなら史実通り、病死で良かったんじゃないかなと思いました。首を飛ばす意味も分かりませんし。最後まで何にも納得できないまま終わりました。
カメラワークも非常に悪く、どこをはっきり見せたくて、何に集中してほしいのかが全くわからないものでした。これも怒りの原因になります。
今作に怒りが生まれた原因として脚本家、河原れんの存在があります。この方約10年ぶりに映画脚本を務められるということで、どんな物語になるのかと思いましたが、この人が戦犯です。ヘッタクソに間延びした物語を作り上げてきました。完全にコネで脚本を書かせてもらっているのだから、もう少しまともなものを作れば良かったのにと悲しくなりました。頭の中で、ジーン・フィニがカット編集をしていました。泣く少年や素っ頓狂な歌なども不必要です。
この人、一丁前に役者として今作に出演しているのですが、後半パートではずっと出ているので無性に腹が立ちます。演技面に関しては問題ないのですが、その力は脚本に注いでほしかったです。やたらメインの役者さんとの会話のシーンが多く、役名のお栄もやたら呼ばれるしで、あなたの為の映画ではなく、北斎の映画だ!と言ってやりたくなりました。
ここでカメラワークの問題も出てきます。やたら彼女がカメラの中に残っているので嫌でも目をやってしまったり、ピントはやたら合うし、ブレはしないしで、どれだけ優遇すれば気が済むんだと思いました。
基本的に脚本家がダメだと映画の基盤は崩れていくものだと思っていますが、今作はまさにそれを体現している作品だと思いました。もう映画に関わらないでほしいです。
鑑賞日 6/17
鑑賞時間 11:35〜14:00
座席 E-5
人それぞれ
こちらで事前にレビュー参考にさせていただき観ましたが、私はよかったです。
内容に関しての不満?は人それぞれだと思いますが、そういう部分を打ち消してくれるくらい俳優陣の存在感、演技が素晴らしかった。
個人的には瑛太さん。物静かな人柄の役所を粛々と演じながらも、最後のシーンで瑛太さんの人間として、役者としての底力を見たようで鳥肌が立った。
北斎という画家の生涯だけでなく、北斎が生きた江戸という時代の光と闇が描かれていて、
自分が日本に生まれたこと、これからどう生きるかを深く考えるヒントを与えてくれるような映画でした。
よかったよ
実際の歴史は知らないしフィクションの部分もよく分からないけど。
正直四時間は必要な話を二時間にしたんだろうなって感じの、脚本の飛び飛びの感じの所も減点っていったらそうかもしれないけども。
役者さんの演技と映画としての絵力が良くて引き込まれました。
その日本映画のオーバーな感じとか、神々の山嶺見た時はちょっとな~そこで言っちゃうか~(見た方には分かるハズ)みたいな所あってノレませんでしたが、この映画に関してはそもそもあぁいう作風なんだから全然あれでOKじゃないの??江戸っ子なんだし。
まぁもっと深く見たかったので脚本の部分で実際は4.5って所でしょうけど、この評価はあんまりと思い応援のため5つけさせて頂きました。
何というか、通な方々が多いんですね。
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